花狂い京女
楼花爛漫花疼き
どんより暮れなずむ春の宵であった。
京の町の至る所で桜が満開になろうとしていた。淡いピンクの花塊は霞(かすみ)か雲か、おぼろ気な夕闇に溶け入りそうである。地を這うように生温かい闇が立ちこめていく。遠く寺院の鐘がくぐもって響く。花見客であろう、宴会の嬌声がホテルの部屋にも流れてきた。ホテルは鴨川の土手桜に包まれたラブホテルで、Kは取材先の人妻と密会していた。仄暗い部屋に桜の甘やかな匂いが充満していた。
人妻は楚々とした京女で裸身をさらすのを嫌がった。
灯りを消して舌を入れるや、一気に燃え上がりそのままベッドに倒れ込んだ。着衣を剥ぐのももどかしく、騎乗位になると激しく腰を動かした。半眼をむいて逝き続け、絶頂が来る度にヒ~ッと喉笛を漏らした。満開桜のような女の昂ぶりは尋常でなかった。
「うちって変かしら?」と呟き、「きっと桜のせいよ」と恥じらってみせた。左乳房に小さな傷があった。ホテルの部屋を覗き込むように、満開桜がたわわな花枝を窓辺に伸ばしていた。
桜は何の変哲もない温和しい樹木であるが、春になると狂ったように咲き誇る。小さな花びらは可憐だが、その咲き方が尋常でない。無数の花びらが樹木の至る所から、枝と言わず、幹と言わず、発疹のように吹き出る。黒い幹に咲きこぼれる白い花は、見ようによってはグロテスクである。
「桜の樹の下に屍体が埋まっている」と書いたのは梶井基次郎であったか。これは、楼花爛漫の季節に発情した人妻の話しである。
一
女は京都郊外の由緒ある神社に嫁いで来た若い後妻であった。
自称カメラマンのKは二留して大学を卒業したものの、サラリーマンになる気はなく、かと言って特別にしたいことがある訳でもなく、先輩の主宰する雑誌社に籍を置いて、大学時代と変わらない生活を続けていた。写真がプロ級で文章も書けたから重宝がられ、あれこれ取材を任された。先輩の依頼では、その神社は十七代目の宮司が後妻をもらい、外国人向けの観光案内を作ったとのことで、それを取材して欲しいということであった。
神社を訪れたのは観光客の途絶える寒い季節で、叡山に連なる山々が白粉をまいたようで、陽の当たらぬ谷筋や木陰、路傍や軒端に汚れた残雪が残っていた。天気の変化が慌ただしく、雪雲が空を覆うと鈍色に翳りミゾレが頬を叩いたが、太陽が現れると春の陽気で冬枯れの田園は一斉に輝いた。神社は鬱蒼(うつそう)たる木立の中にあって、目まぐるしい天気のせいか烏(からす)の群れがガ~ガ~とうるさかった。
遅れたせいだろう、社務所の前で髪を詰めた着物姿の女が待っていた。
丁度、雲が途切れて帯のような光が女に降り注いでいた。萌黄色の着物姿がライトアップされたようで、Kを見て一瞬驚いた風であった。
「お寒いところ、お出でやす。お待ち申しとりました。」
頭を下げた女のうなじが匂い立つようであった。料亭の若女将のように垢抜けていた。
社務所でストーブに当たっていた宮司は、「寒いやろ、温もうてや」と席を譲ったが、色白で小太り、人の良い下町親父風であった。由緒ある神社の十七代目に見えなかったし、何より若女将風の女と釣り合わなかった。英字観光案内の件を尋ねると気さくに喋りだした。
「家内は外国暮らしが永かったもんで、この頃は外人観光客もちらほら来るようになったさかい、外人用の案内板やパンフレットがいる言うて、英字の看板とパンフレットを作ったんですわ。全部、家内の差配ですわ。」
歳の開いた女を意識してか、聞きもしないのに結婚について語った。
「最初の家内は十年前に亡くなって、一人娘と暮らしておったんやが、その娘も嫁いでしもうて・・お手伝いさんに来てもうてたけど、何かと不自由しとったんだす。」
「わしも歳やし、再婚は無理やと思うてた。それがこんなに綺麗で、出来のええ家内が来てくれたもんやから・・感謝、感激ですわ。朝夕、神様にお礼してますねん。」
饒舌にのろける宮司の横で女は黙って微笑んでいた。
父親のような宮司に嫁いだ垢抜けた女に興味を感じたから、外国暮らしや宮司との出会いを訊いたが、女は伏し目がちで応えようとしなかった。
宮司のことを「いい方で、感謝しとります」とだけ言った。
帰り際に写真を撮ったが、楚々として品のある女と小太りで庶民的な宮司はどう見ても夫婦に見えなかった。女のなで肩が心なし淋しげであった。
若く美しい女がなぜ親父のような年齢の宮司に嫁いだのか?・・何か事情があるに違いないと思った。
二
うららかな春の陽気が続いて、待ちかねた桜のつぼみが一斉に綻びつつあった。
四囲を山に囲まれた京都は新緑の山並みを遠景に御所があり、寺社があり鴨川が流れ町家が続き、どこを撮っても絵になる。春の都踊りが始まると、古都は一気に観光都市の賑わいを取り戻す。
そんなある日、突然宮司から「カメラマンのお宅に頼みがある。是非来て欲しい」と連絡があった。
暖かな日和に誘われて、Kはカメラ片手に郊外の神社を訪れた。神社の森は芽吹いた木々の柔らかな緑に覆われ、砂利を敷き詰めた境内は春の淡い光が溢れていた。久しぶりの訪問に女に会えるのを期待したがあいにく不在で、神主姿の宮司が現れた。
会うなり彼は、「垂れ桜を見とくれますか」と離れの庭に案内した。
垂れ桜は五分咲きだろうか、こんもりした樹形が淡紅色の噴水を思わせる。
「娘の誕生記念に植えたんですわ。今年で二六年、娘と同い年ですねん。まだ半咲きやけど、満開は緋色の滝が落ちるようで、それは見事なもんでっせ。」
「ライトアップしたらと言う人もおるんやが、夜中まで観光客にウロウロされたらたまりませんわ。家族で楽しんどるんです。」
相変わらず饒舌であったが、一瞬表情を曇らせた。
「家族言うても娘一家だけで・・娘は家内と余り歳が違いませんやろ。折り合いが悪うて寄りつきませんのや。一人娘やから、いくいくは娘婿に十八代目を継いでもらわんならんのに、困ったもんですわ。」
何十代も続く旧家を継ぐのは大変なんだと思いながら冷やかした。
「若い綺麗な奥さんをもらいはったから、娘さんが焼いてはるんと違いますか。」
人の良い宮司は相好を崩した。
「家内はフランスに永ごう暮らしとったけど、いや永ごう暮らしとったからやろな、日本の伝統というか、昔からの京暮らしに憧れてますねん。この間まで宮川の料亭で働いとりましてん。そこでわしは一目惚れしたんですわ。」
「器量はええ、気配りはある、作法を心得とる、銭勘定も出来る。今時あんなエエ女はおませんで・・わしはエエ宝をもろうたと思うてます。」
「外人と暮らしとったから、妾でエエやないかという者もおりましたけど、わしが惚れて、ぜひ結婚してくれと頼んだんですわ。」
「わしも歳やから贅沢は言えません。よう来てくれたと感謝しとります。それに・・」
ニヤリと笑って「あれも最高でっせ」と親指を突きだした。
どんより暮れなずむ春の宵であった。
京の町の至る所で桜が満開になろうとしていた。淡いピンクの花塊は霞(かすみ)か雲か、おぼろ気な夕闇に溶け入りそうである。地を這うように生温かい闇が立ちこめていく。遠く寺院の鐘がくぐもって響く。花見客であろう、宴会の嬌声がホテルの部屋にも流れてきた。ホテルは鴨川の土手桜に包まれたラブホテルで、Kは取材先の人妻と密会していた。仄暗い部屋に桜の甘やかな匂いが充満していた。
人妻は楚々とした京女で裸身をさらすのを嫌がった。
灯りを消して舌を入れるや、一気に燃え上がりそのままベッドに倒れ込んだ。着衣を剥ぐのももどかしく、騎乗位になると激しく腰を動かした。半眼をむいて逝き続け、絶頂が来る度にヒ~ッと喉笛を漏らした。満開桜のような女の昂ぶりは尋常でなかった。
「うちって変かしら?」と呟き、「きっと桜のせいよ」と恥じらってみせた。左乳房に小さな傷があった。ホテルの部屋を覗き込むように、満開桜がたわわな花枝を窓辺に伸ばしていた。
桜は何の変哲もない温和しい樹木であるが、春になると狂ったように咲き誇る。小さな花びらは可憐だが、その咲き方が尋常でない。無数の花びらが樹木の至る所から、枝と言わず、幹と言わず、発疹のように吹き出る。黒い幹に咲きこぼれる白い花は、見ようによってはグロテスクである。
「桜の樹の下に屍体が埋まっている」と書いたのは梶井基次郎であったか。これは、楼花爛漫の季節に発情した人妻の話しである。
一
女は京都郊外の由緒ある神社に嫁いで来た若い後妻であった。
自称カメラマンのKは二留して大学を卒業したものの、サラリーマンになる気はなく、かと言って特別にしたいことがある訳でもなく、先輩の主宰する雑誌社に籍を置いて、大学時代と変わらない生活を続けていた。写真がプロ級で文章も書けたから重宝がられ、あれこれ取材を任された。先輩の依頼では、その神社は十七代目の宮司が後妻をもらい、外国人向けの観光案内を作ったとのことで、それを取材して欲しいということであった。
神社を訪れたのは観光客の途絶える寒い季節で、叡山に連なる山々が白粉をまいたようで、陽の当たらぬ谷筋や木陰、路傍や軒端に汚れた残雪が残っていた。天気の変化が慌ただしく、雪雲が空を覆うと鈍色に翳りミゾレが頬を叩いたが、太陽が現れると春の陽気で冬枯れの田園は一斉に輝いた。神社は鬱蒼(うつそう)たる木立の中にあって、目まぐるしい天気のせいか烏(からす)の群れがガ~ガ~とうるさかった。
遅れたせいだろう、社務所の前で髪を詰めた着物姿の女が待っていた。
丁度、雲が途切れて帯のような光が女に降り注いでいた。萌黄色の着物姿がライトアップされたようで、Kを見て一瞬驚いた風であった。
「お寒いところ、お出でやす。お待ち申しとりました。」
頭を下げた女のうなじが匂い立つようであった。料亭の若女将のように垢抜けていた。
社務所でストーブに当たっていた宮司は、「寒いやろ、温もうてや」と席を譲ったが、色白で小太り、人の良い下町親父風であった。由緒ある神社の十七代目に見えなかったし、何より若女将風の女と釣り合わなかった。英字観光案内の件を尋ねると気さくに喋りだした。
「家内は外国暮らしが永かったもんで、この頃は外人観光客もちらほら来るようになったさかい、外人用の案内板やパンフレットがいる言うて、英字の看板とパンフレットを作ったんですわ。全部、家内の差配ですわ。」
歳の開いた女を意識してか、聞きもしないのに結婚について語った。
「最初の家内は十年前に亡くなって、一人娘と暮らしておったんやが、その娘も嫁いでしもうて・・お手伝いさんに来てもうてたけど、何かと不自由しとったんだす。」
「わしも歳やし、再婚は無理やと思うてた。それがこんなに綺麗で、出来のええ家内が来てくれたもんやから・・感謝、感激ですわ。朝夕、神様にお礼してますねん。」
饒舌にのろける宮司の横で女は黙って微笑んでいた。
父親のような宮司に嫁いだ垢抜けた女に興味を感じたから、外国暮らしや宮司との出会いを訊いたが、女は伏し目がちで応えようとしなかった。
宮司のことを「いい方で、感謝しとります」とだけ言った。
帰り際に写真を撮ったが、楚々として品のある女と小太りで庶民的な宮司はどう見ても夫婦に見えなかった。女のなで肩が心なし淋しげであった。
若く美しい女がなぜ親父のような年齢の宮司に嫁いだのか?・・何か事情があるに違いないと思った。
二
うららかな春の陽気が続いて、待ちかねた桜のつぼみが一斉に綻びつつあった。
四囲を山に囲まれた京都は新緑の山並みを遠景に御所があり、寺社があり鴨川が流れ町家が続き、どこを撮っても絵になる。春の都踊りが始まると、古都は一気に観光都市の賑わいを取り戻す。
そんなある日、突然宮司から「カメラマンのお宅に頼みがある。是非来て欲しい」と連絡があった。
暖かな日和に誘われて、Kはカメラ片手に郊外の神社を訪れた。神社の森は芽吹いた木々の柔らかな緑に覆われ、砂利を敷き詰めた境内は春の淡い光が溢れていた。久しぶりの訪問に女に会えるのを期待したがあいにく不在で、神主姿の宮司が現れた。
会うなり彼は、「垂れ桜を見とくれますか」と離れの庭に案内した。
垂れ桜は五分咲きだろうか、こんもりした樹形が淡紅色の噴水を思わせる。
「娘の誕生記念に植えたんですわ。今年で二六年、娘と同い年ですねん。まだ半咲きやけど、満開は緋色の滝が落ちるようで、それは見事なもんでっせ。」
「ライトアップしたらと言う人もおるんやが、夜中まで観光客にウロウロされたらたまりませんわ。家族で楽しんどるんです。」
相変わらず饒舌であったが、一瞬表情を曇らせた。
「家族言うても娘一家だけで・・娘は家内と余り歳が違いませんやろ。折り合いが悪うて寄りつきませんのや。一人娘やから、いくいくは娘婿に十八代目を継いでもらわんならんのに、困ったもんですわ。」
何十代も続く旧家を継ぐのは大変なんだと思いながら冷やかした。
「若い綺麗な奥さんをもらいはったから、娘さんが焼いてはるんと違いますか。」
人の良い宮司は相好を崩した。
「家内はフランスに永ごう暮らしとったけど、いや永ごう暮らしとったからやろな、日本の伝統というか、昔からの京暮らしに憧れてますねん。この間まで宮川の料亭で働いとりましてん。そこでわしは一目惚れしたんですわ。」
「器量はええ、気配りはある、作法を心得とる、銭勘定も出来る。今時あんなエエ女はおませんで・・わしはエエ宝をもろうたと思うてます。」
「外人と暮らしとったから、妾でエエやないかという者もおりましたけど、わしが惚れて、ぜひ結婚してくれと頼んだんですわ。」
「わしも歳やから贅沢は言えません。よう来てくれたと感謝しとります。それに・・」
ニヤリと笑って「あれも最高でっせ」と親指を突きだした。