セクエストゥラータ
●第九章 誘拐された女
六月三十日。
日本に帰ってきた僕は、サッカーを再開した。
僕の身体は鈍り切っていて、ボールを扱う筋肉をいちから鍛え直さないと、全くと言っていいほど使い物にならない状態だった。
失った試合感を取り戻すのだって、一朝一夕にできることじゃない。
今年卒業してしまう僕が、今更サッカー部に入部することはさすがに躊躇われた。
単位なら足りてる。大丈夫。
イタリアでの出来事は、僕以外にも変化をもたらした。
由佳は、相変わらず自分の部屋のように入り浸っている。
何をするわけでもなく、ぐーすか寝ていく。
仮にも男の部屋なんだぞって注意したら、目を輝かせながら「押し倒してくれるの?」ときたもんだ。ぐぅの音も出ない。
由佳にも何か明確な目標ができたらしいことは分かった。
まだ秘密にしておきたいらしくて、いくら訊いても教えてくれなかった。
だから、由佳の荷物に出版社の封筒があることには気付かないことにしている。その出版社がスポーツ雑誌を作っている会社だってことも、由佳が教えてくれるまでは、知らないことにする。
黒木先輩は、日本には帰ってこなかった。
イタリアの空港で、こっちでやることができた、と言っていた。
パオロと一緒に行動していたみたいだから、少なくとも悪いことはしていない。
正直、黒木先輩が何をしているのかは察しが付いているけれど、僕から言えるのは、奈津美がやったことは無駄にならなかったってことだけだ。
七月九日。
日本代表チームが帰国。
チームの帰国から二日後、七月十一日。
代表監督、原田良太が帰国。
帰国後すぐ、監督の続行も含めた今後の予定を訊ねられた原田良太は、取り囲む取材陣に向かって爆弾発言を行う。
『二人の婚外子がいる。その子たちへの償いが終わってから考える』
二人の氏名は明かされなかったけれど、聞く人が聞けば黒木信輝と河合奈津美のことだと分かったと思う。少なくとも、僕は分かった。
奈津美の母・亜希穂は、そのニュースを聞いたときに一筋の涙を流した。
何で僕が知っているのかって、そのとき目の前にいたから。
河合亜希穂と原田良太の二人が、近い将来、義母・義父になるであろう二人が。
さる六月二十八日のこと。
その日はW杯決勝トーナメント二回戦の日だった。
事実上の決勝戦と言われていた、日本とイタリアとの試合。
そんな大事な試合の直前、僕は代表監督である原田良太に電話を掛けていた。
『優勝しなければ、娘を誘拐する』と。
どこの馬の骨とも分からん男にまだ娘をやるわけにはいかん。
原田良太はそう言って電話を切った。
ただ最後に、任せておけ、と。
日本は優勝できなかった。
累積警告による出場停止とか、怪我による主力選手の離脱とか、不可解な判定とか、明らかな誤審とか、いろんなものが重なったけれど、二位という結果は変わらない。
日本は優勝できなかった。
七月十一日。
原田良太が帰国したその日、携帯に見知らぬ番号から着信があった。
『娘が誘拐されてしまってね。誘拐犯から取り戻さねばならん。手伝ってくれるか?』
僕が震え上がったのは言うまでもない。
あの日、日本とイタリアとの試合があったあの日、僕は奈津美を誘拐した。
僕は、奈津美から奈津美を誘拐した。
口では嫌だと言いながらも、僕から離れることをしなかった奈津美を。言動と行動とが一致していない奈津美を。
振り解けないように、言い訳できるように、抱きしめた。抱きしめて、離さなかった。
僕に掴まれていたせいだって、自分を納得させられるように。
「大丈夫だから」
耳元に囁いた。何度も、何度も。
『二年で代表レベルの選手になれ』
原田良太が、いや、お義父さんが提示した条件は、とんでもないものだった。
僕が高校三年でサッカーを辞めていたことも知っていたし、つい二週間前に再開したばかりだということも知っていた。
その上で、二年以内に代表に選出される選手になれって。
このときの僕は、やる気を引き出すために高すぎるハードルを言っているだけだと思っていた。それが嘘でも方便でもなく、本気の本気だったと知るのは、その翌日のことだ。
新戦力の発掘と育成。
そう銘打たれた一大キャンプを組むことが発表された。
有名無名プロアマ問わず、次回のW杯で主力になるであろう若手を集めた短期合宿。
当然、僕には拒否権はないわけで。
二週間前なら、参加権も無かったわけで。
その短期合宿には、高校時代のチームメイトだった大介も参加していて。
お前このやろうって、いっぱい罵倒されて、再会を喜んで。
自分の力不足を痛感して。
芝生に寝転がりながら、やっぱりサッカーは楽しいなって。
僕が誘拐してしまった彼女は、四年後また僕が攫っていくつもりだ。
脅迫状はもう準備してある。
『優勝します。そして、貴方の娘を頂きます』