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セクエストゥラータ

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●Intermezzo(彼女を好きになったのは)


 ピーーー

 ホイッスルが鳴る。
 ―― やった!
 僕はフィールドに倒れ込んだ。
 はぁはぁ。勝った。もう立てないや。足が無いみたいだ。よく最後まで動いてくれたよ。ありがとう、僕の両足。
 あれ? 僕はボールを蹴ったっけ? ボールはどこに飛んでいったっけ?
 チームのみんなが駆け寄ってくる。
 ありがとう、やったよ、良いパスだったよ。
 なんでそんな顔してるの? 僕たちは勝ったんだよ? なんで心配そうな顔してるの? 
「祐、それ……」
「井上、お前、足が……」
 僕は仲間の目線を追った。
 その先にあった僕の左足は、見たこともない不思議な角度に曲がっていた。
「……ぅうわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

*************
 彼女を好きになったのは
  【井上 祐】
*************

 気が付いたとき、病院のベッドの上だった。
 ベッドの脇には、サッカー部のマネージャーがいて、チームメイトがいて、泣きじゃくる母親がいた。
 すぐに大介が来て、僕の顔を見て一瞬だけ笑って、すぐに表情を凍り付かせて。
 足の感覚がないことは、目が覚めてすぐに気が付いていた。
 状況を把握するのは一瞬で済んだ。
 あぁ僕の足は壊れてしまったんだってすぐに分かった。
 日課だったんだ。目が覚めてすぐ、目を開けるよりも先に足の状態を確認することが。
「試合…は?」
 自然に言えたと思う。
 それしか言うことができなかったから、それを言うことだけに全力を注げたから。
 僕が足のことを聞いてしまえば、ここにいる全員が悲しむって、悲しませてしまうって、悲しんでくれるって、分かってたから。
 でも違うんだ。見えてたんだ。足が出てるって、分かってたんだ。
 本当は上手く避けるつもりだったんだ。上手く引っ掛けられて、怪我しない程度に派手に転がってさ。
 そしてペナルティーキックをもらって、決勝点となる先制ゴールをさ、決める予定だったんだ。
 その瞬間、考えてしまったんだ。
 そしたら身体が動かなくなって。
 相手の反則を引き出すことに罪悪感を感じたんじゃないんだ。
 自分の足でゴールを決めることを諦めてしまった、そんな自分に気が付いて、頭が真っ白になって、避けることを忘れてた。
 これは僕自身が招いてしまったことなんだよ。
 だから、貶して哂うべきなんだよ。そうしなきゃ、いけないだよ。
 そんな憐れみの目で見ないでくれよ。
 同情の笑顔を見せないでくれよ。
 サッカーをする資格はないんだって、僕自身に思わせないでくれよ。

 *

「それじゃあ、またね」
 追い返しもしなかったし、引き止めもしなかった。
 サッカー部の関係者が全員引き払った時間は分からないけれど、窓から見えていたのは夜の景色だけだった。
 病室で母親と二人きりになるのは気まずかった。
 別に反抗期だったわけじゃない。
 昨日までの僕は、他のすべてが目に入らなくなるぐらいサッカーに夢中だった。それこそ、母親とどういう会話をすればいいのかが分からなくなるぐらいに。
 母親には悪いけど、早く一人になりたかった。
 卑怯者に成り下がった自分を、大好きだったサッカーを裏切った自分を、一秒でも早く罵りたかった。
 誰かに罵って貰えるなんて期待できなかったから。
「母さん、僕は大丈夫だよ」
 いろいろと言いたいことがあったみたいだったけれど、僕が大丈夫だからって三回言うまでの間にそのほとんどを言ってしまったからなのかもしれないけれど、明日は着替えを持ってくるね、と言って病室を出ていった。
 午後七時五十二分。
 病室に一人きりになった。
 ようやく訪れた、待ち望んでいた時間。
 これはあとで聞いた話。病院に運び込まれたときの僕は錯乱状態だったらしい。暴れて足を悪化させ兼ねないから、緊急措置で鎮静剤を使ったのだそうだ。
 ただでさえ、家族も、友人も、赤の他人さえも、見栄を張る相手が一人として存在しない病室にいたのに、薬が切れて不安定になっていた僕が平静を保てるはずはないわけで。
 薬で寝ている間に到着した父親が、是非にと個室を望んだそうだ。
 僕がこうなるのを分かっていたらしい。

 誰のせいでもなく、僕のせいだったから。
 傷付けてしまったと思っているであろう相手に対して申し訳ないから。
 僕は、悔しい、だなんて思っちゃいけなかったはずなのに。
 絶対に、それを表に出だしちゃいけなかったはずなのに。
 そう思えば思うほど、余計に腹立たしくなってしまって。
 涙も嗚咽も止められなくて。
 少しずつ声を抑えることができなくなって。
 何に対しての悔しさなのかも、誰に対しての怒りなのかも、何もかもが、本当に分からなくなってしまって。
 そんな自分があまりに情けなくて。

「くっ……そおぉぉおおお……」

 僕は、叫ぶことを止められなかった。

 *

 入院二日目。
 僕の病室にはサッカー部の顧問をしている西岡先生が訪れていた。
 昨日の決勝を戦った相手のサッカー部で、僕の学校の先生ってわけじゃない。
「本当に申し訳ないことをした」
 彼は僕に頭を下げていた。これで何度目だろう。
「試合中の事故ですから、気にしていません」
 僕には、帰れと怒鳴る権利もなければ、上手く避けられずにごめんなさいと謝る権利もない。
 だから、できる限り事務的に、そして愛想良く振舞った。
 昨夜は一睡もできなかった。
 巡回の看護婦さんに無理を言ってカーテンを開けてもらって。
 夜空に浮かぶ月が満月じゃなかったことに安堵して。
 月に照らされた足のギブスの、どうにも言い表せないほんのりとした青さが怖くて。
 そしてやっぱりすぐに閉めてもらって。
 朝一番でやってきた母親には、顔を見られただけで「眠れなかったのね」と見透かされて。勿論、ちゃんと寝たよと反論したけれど。
「明日にでも本人を連れて来ますから」
「ですから、あれは試合中の事故だったんです。だから、謝罪なんてして頂かなくて結構なんです。僕のことは気にしなくていいと伝えてください。顔を会わせるのも辛いでしょうし。ホントに大丈夫ですから」
 僕は上手く笑えている自信があった。
 “顔を会わせるのも辛い”のは僕のほうだった。
 だってだろう? 絶対に会うわけにはいかないじゃないか。
 僕は怒る。
 間違いなく怒って、怒鳴って、帰れと叫ぶ。
 そして謝る。
 間違いなく涙を流して、頭を下げて、ごめんなさいと許しを請う。
 分からないのは、誰に対してそうするのか、何に対してそうするのかってことだけだ。

 西岡先生と入れ替わるように黒木先輩が来てくれた。
 何の統一性も感じさせないバラバラの花束を持って。
「もう少し、だったな」
 黒木先輩の第一声は、何だかとても意味深で。
 もしかしたら、この人なら、僕の裏切りを責めてくれるかもしれない、罵ってくれるかもしれない、そんなバカみたいな救いを求めてしまうほど、このときの僕は追い詰められていた。
 明日、西岡先生が“本人”を連れて来てしまうかもしれない。
 白い部屋に閉じ込められた僕の目の前に。
 逃げ出すことができず、逃げることが許されない僕の目の前に。

 入院三日目。
作品名:セクエストゥラータ 作家名:村崎右近