小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

セクエストゥラータ

INDEX|52ページ/60ページ|

次のページ前のページ
 

 完全に計画的な罠だったと気付き、すぐにその場を離れようと部屋を飛び出したところ、明らかに平常ではない形相をした僕と鉢合わせになり、瞬時に説得は無理と判断してそのまま走り去った――。
 ――ということらしい。
「次の質問は……」
「おいおい、オレだけに喋らせる気か?」
 世の中はギブアンドテイク。互いの信頼を築くためには、確かに交互に話しをする必要がある。
 パオロが話した内容は、一応、筋が通っている。けれど、肝心なことは話していない。この話を信じるかどうかの判断を下す前に、まだ確かめなければならないことがある。
「ユウ、お前さんあそこに何の用があった?」
「僕が聞きたいのもそれだよ」
 僕は同じ質問を返した。
 パオロの気配が変わったのが伝わって、僕の身体に緊張が走る。
「今の話の内容は、もう終わった過去のことを説明しただけだ。それじゃあ僕を騙していたことの清算にはならない」
 パオロは口の端を攣り上げる。
「冷たいことを言ってくれるなよ。オレたちは協力者だろ?」
「協力は頼んだけど、僕が協力するなんて言ってないよ」
 負けじと僕も口の端を攣り上げて笑って見せると、パオロは、確かにそうだ、と頷いた。

 *  *  *

 パオロ・バルディーニ。
 彼の姉テオドラは、ボローニャ選手時代の原田良太と交遊関係を持っていた。原田良太のサッカーに対する不誠実な素行が取り沙汰された際、待ってましたとばかりに多数の女性との交友関係が公衆の前に晒され、原田良太にとっては数ある遊び相手の一人でしかなかったことが判明する。
 テオドラは腹に子を宿していたが、その父親が原田良太である証拠はなく、テオドラ本人が投身により他界しているため、証明する方法はなかった。
 テオドラの墓前にて、W杯でイタリアを訪れた原田良太と邂逅する。
 そのとき原田良太が自分の子だと認めたことで、長年パオロの中にくすぶっていた蟠りはすべて消えたのだそうだ。

 そこまで話を聞いたとき、視界の先にホテルが映った。
「ホテルに着いてしまったな。もう一回りするか?」
 僕は頷く。それ以外の選択肢はない。
 ここでパオロと別れてしまったら、何の手掛かりもないままにボローニャの町を彷徨った末、何もできずに試合終了時刻を迎えるだろう。
「パオロは、昔はボローニャに住んでいたんだよね?」
「ん? あぁ、そうだが」
「実は朝食がまだなんだ。いい店を知ってるんじゃないの?」
「勿論だ」
「パニーノがいいね。車の外でできる話じゃないしさ」
「よし分かった。ボローニャの生ハムを使った、極上のパニーノをご馳走してやろう」
 パオロは得意気にそう言ってハンドルを切った。
 スタジアムに近いせいなのだろう。助手席の窓から街並みを眺めていると、日本人の姿が数多く目についた。
 そうして僕は、無意識のうちに年恰好が似た人影を目で追ってしまう。
 ここにいないことは分かっているのに――
「あの場所は誰に聞いた?」
「あの場所って?」
「お前さんがオレに銃を向けた場所だ」
「あぁ、後ろから襲われた場所か」
「……それはもう謝っただろ」
「察しは付いてるんじゃないの? パオロにあの場所を教えた人と同じ人だよ」
「何のことか分からんね」
「五階で待ち合わせしてたんだったね。相手は誰?」
「河合奈津美だ」
「奈津美はあそこにいなかった」
「お前さんは何の目的であの場所に行った?」
「由佳が捕まっていると聞いたんだ」
「彼女は助けなかったのか?」
「いなくなってた。由佳は“捕まって”はいなかったんだよ」
「なるほどな。おっと、あの店だ。待ってろ、最高に美味いパニーノを食わせてやる」
 パオロは車を路肩に止め、僕を残したまま店内へ入っていった。
 その隙に考えをまとめる。
 パオロはあの場所で奈津美と会うつもりだった。原田監督に協力しているパオロには、奈津美と会う理由がある。気になったのは“待ち合わせ”という言い方だ。待ち合わせの場合は、奈津美にもパオロに会う理由があったことになる。
 奈津美はあの場所にいなかったのだし、考えすぎかもしれない。パオロが皮肉めいた言い回しを使っただけかもしれない。
 パオロは、黒木先輩が使っていた携帯電話の履歴を消す、という不審な行動をとっている。それは僕にとっての切り札だ。だけど、諸刃の剣でもある。ただ突き付けただけでは、何とでも言い逃れできてしまう。
 ふと、ダッシュボードが視界に入った。
 この中には拳銃が入っているはずだ。拳銃を向ければ、本当のことを話してくれるだろうか。
 パオロはまだ店から出てきていない。
 僕には撃てない。それはパオロも分かっているのだろう。
 試しているのか、嘲笑っているのか。いずれにせよ、僕を車内に残したのは意図的な行動のはずだ。
 いいよ、誘いに乗ってやる。
 僕は車を降りて身体をほぐし、再び助手席に戻った。直後にパオロが姿を現す。
 車を降りたところを見ていたのかもしれない。弱気になりかけた自分を、だからなんだと奮い立たせる。
「そら、食え。目ん玉飛び出るぞ」
「駅に向かってもらえるかな?」
「そいつはカルロの仕事だぜ」
 僕はパオロの軽口を無視して、受け取ったパニーノの包み紙を開く。主な具材は生ハムとトマト。鮮やかな赤色が食欲をそそった。
 車が走り始めた。
 シートベルトを着けるため、パニーノを包み直してダッシュボードの上に置いた。
 それを見たパオロも、僕に倣ってシートベルトを着けた。
 僕はパニーノに手を伸ばして、さもたったいま思い出したことのように口を開いた。
「この三日間、事件のことをいろいろ考えたんだ。原田監督を負けさせたいのなら、もっと有効な方法が幾つもある。だから、W杯だとか、日本とイタリアの試合だとか、そういう派手な舞台は、何かから注意を逸らす“デコイ”だと思うんだ」
「それで?」
 僕は、車のスピードが上がるのを待った。
「事件の関係者は、僕も奈津美も、由佳も黒木先輩も、原田監督を含めて、みんな日本人だ。なら、何でイタリアで事件は起こったのか。答えは、イタリアでなければ事件に関与できない人物がいるから」
「ほう」
 パオロの声のトーンが落ちる。
 いましかない。
 頭がそう考える前に、心が覚悟を決める前に、口が動いていた。

「携帯の履歴、消したよね」
 一瞬の沈黙を挟んで、パオロが声を出して笑い始めた。
 そして、車を路肩に止める。
「ユウ、お前さんもすごいな」
 パオロの真意は掴めない。
 ただ、毒気を抜かれてしまったことだけは確かだった。
「自分の身の危険は考えなかったのか?」
 パオロの声は、諭すように優しかった。
「いや、僕はただ……」
「ただ、彼女が無事ならそれでいい、か」
 パオロが言ったことは、僕が言おうとしたことそのままだった。
「オレも同じ意見だ」
 僕は、今度こそ言葉を失ってしまった。

 それから、パオロに渡された携帯電話を持って車を降り、進行方向とは逆に歩いた。
 この区画をぐるっと一周歩いて来い。パオロはそれだけを言って、口を閉じた。
 車を降りようとドアに手を掛けたとき、パオロは自分の携帯電話を差し出して、この番号に掛けろ、と言った。
作品名:セクエストゥラータ 作家名:村崎右近