セクエストゥラータ
ベリーニは、イタリアでよく飲まれている桃のカクテルらしい。お酒のことは分からないけれど、なんとなく甘そうだ。
「売店で声を掛けられたときには、こんなことになるなんて思ってなかったんです」
「大変なことなんでしょ? 事情を訊いたりはしないわ」
そう言ってくれたから、僕は少し楽になった。
「キミは、困っている私たちを助けてくれた。だから、キミを助けたいの」
「それは……」
「分かってる」
僕の声を掻き消す、悲しくも力強い響き。
「私はただの一般人。どんなに鼻息荒く息巻いたところで、何か特別なことができるわけじゃない。だからって、何もしなくていい、なんてことはないでしょ」
僕らの目の前に、カクテルグラスが差し出された。
注がれた淡い桃色の液体は、店内のやや暗い照明によって妖艶な光を放っていた。
関口さんは、イタリアに来た理由を話してくれた。
旅行に誘ったのは秋野さんの方で、関口さんの傷心旅行なのだそうだ。尤も、失恋したのは何ヶ月も前のことで、誘われたときには失恋の傷なんてとっくに癒えていた。
けれど――。
「あんな大人しい子が、海外旅行に行こう、だなんてね」
僕は言葉を返せずにいた。二人の関係を上手く言い表すことができなかったからだ。
「あ、ごめんなさい。私の話ばかりしちゃったね」
「いえ、おかげで吹っ切れたような気がします」
「そう」
「次は何を飲みます? 本当はもっと強いお酒が飲みたいんじゃないですか?」
「あら、気付いちゃった?」
関口さんは、苦笑いを浮かべる僕を横目に、グラスのお酒を飲み干した。
* * *
朝が来た。
頭が痛い。昨夜は飲みすぎたらしい。
二日酔いになっていなければ良いけれど。
瞼が開かないのは、目から光を吸収することが頭痛を助長してしまうということを、身体がしっかりと記憶しているからだろう。
薄目を開けて時計を確認する。
時刻は午前九時三十分。六月二十五日の朝。日本とイタリアとの試合まで、あと三日。
大きく伸びをして、上体を起こす。
そうして、ソファーで寝ていたことを確認して、安堵のため息を漏らす。
途中から記憶が無い。お酒が進むにつれて、関口さんの目が徐々に座っていったことだけは覚えているけれど、どうやって部屋まで帰ってきたのかは、全く思い出せなかった。
シャワーを浴びてさっぱりしようと思った。覚えてはいないけれど、服を着たまま寝ていたし、昨夜はそのまま酔いつぶれて寝てしまったのだろう。それに、若干酒臭い。
僕は、身体の匂いを嗅ぎながら洗面所へと向かった。
二日酔いの朝。奈津美が僕のアパートにいたあの朝を思い出す。
あの日までは、遠くから眺めるだけの存在だった奈津美。
あの日から、かけがえの無い存在になった奈津美。
けれど今、僕の視界に彼女の姿は無い。
そして結局、何も分からないまま。
この誘拐騒動の真相には辿り着けやしないのだろう。このまま二十八日を迎えて、日本とイタリアとの試合が行われて、終わって、この電話が鳴るのを待つしかない。
だって僕は、何の力もないただの学生だ。
僕はどうしてサッカーを辞めてしまったんだろう。
僕にはサッカーしかなかったはずなのに――