セクエストゥラータ
僕がすべきことは、一日も早く由佳の安否を確認し、安全を確保することだ。
黒木先輩が出してくれたパスは、間違いなく受け取った。
あとは、僕がゴールへと捻じ込むだけだ。
* * *
僕は、目の前に運ばれてきたばかりのボロネーゼに向けて、えいや、とフォークを突き刺した。
ボロネーゼとはボローニャの名物料理で、いわゆるミートソース。ただし、ボロネーゼ(ボローニャ風)という名とは違い、ボローニャのあるイタリア北部ではなく南部の形式を持った料理だ。
テーブルの対面には、愛花さんが座っている。
表情を強張らせて僕を凝視する愛花さんは、それでも綺麗な人だと思う。
結局、僕は愛花さんと食事をすることにしたんだ。
考えてみたんだ。愛花さんが僕を食事に誘った理由について。
前提として、愛花さんは事件と無関係ではなく、巻き込まれたのでもない。当初から加担していた犯人の一人だ。
今、犯人は少なくとも二つに分かれて対立している。ハッキリしているのは黒木先輩とパオロの対立だ。愛花さんが協力しているのはどちら側なのか。その答えによっては、愛花さんは僕の味方にも成り得る。勿論、敵にも成り得るし、はっきりそれと認識させてしまうことにもなりかねない。
確かめるのは簡単だ。
パオロが愛花さんとの食事を反対すれば、愛花さんとの間に協力関係はない。特に反対しなければ、その逆。
ただし、気軽に実行できるものじゃない。
僕はパオロに情報を伝えていない。捜査のために行動を共にしている刑事に対してそんなことをすれば、怪しまれて当然だ。僕とパオロは完全な他人なのだから、怒るか呆れるかしてヴェローナに帰ってもおかしくない。それをしていないのは、僕の傍にいる必要があったからだと考えることができる。
僕が何も話さなくなったのは、何かに気付いたからだ、とパオロも考えるだろう。どこまで気づいているかを確かめるために、こうして愛花さんを通して聞き出そうとしているんじゃないか、と僕は考えた。
そして僕は、ホテルに残されていた黒木先輩の携帯電話に、愛花さんへの発信履歴が残されていたことを告げた。
二人が知り合いでもおかしいことはない。
僕は、僕には考え付けないような理由を、愛花さんの口から聞けることを願っていた。
けれど、それは叶わぬ願いだった。
口の中では、アルデンテに茹で上げられたパスタが躍っている。
美味しいけれど、やっぱり日本のパスタが恋しい。特にパスタが好きってことはないんだけれど。
日本に帰りたい。早く。
僕は再びフォークを突き刺した。
「謝る気は無いけれど、それでいいかしら?」
愛花さんは、フフッと笑ったあと、普段と同じ調子でそう言った。
「構いませんよ」
僕はフォークに絡めたパスタを口に運ぶ。
「そう、よかった」
愛花さんは、その声の優しさとは裏腹に僕を量ろうとしていた。
僕に質問をさせることで、僕がどこまで把握しているかを探るつもりなのだろう。
思考を廻らせる僕を尻目に、愛花さんは続けた。
「面と向かって証拠を突き付けるリスクを考えなかった、なんてことはないのでしょうけれど、それでも軽はずみで危険な行動ね」
僕は愛花さんの視線を受け止める。そして、なぜそんなにも平然としていられるのかと疑問を感じた。
「……目的は、何ですか?」
僕は声を絞り出す。
愛花さんは何も答えず、気付いてないのね、と僕を嘲笑しているような気がした。
携帯電話の履歴という証拠で突き崩せると考えていたけれど、ここまで知っている、ということを示せば、残りは勝手に喋ってくれるだろうなんて浅はかな考えが通じる相手でもなかったみたいだ。
愛花さんが言ったように、僕の行動は軽率だったのだろう。
でも、パオロに突き付ける方が危険は大きい。何もしないという選択肢を除外し、どちらかに対して行動を起こさなければならないのであれば、その対象はどうしても愛花さんになる。
突き崩せなければ、二十八日の試合が終わるまで身を隠すしかない。
行動に移す前に、僕は覚悟を決めていた。由佳の安全を確保できないのは心苦しいけれど、僕まで身動きできなくなるわけにはいかない。由佳の身に何かあったと分かったときは、パオロも、愛花さんも決して許しはしない。勿論、僕自身も含めて。
それを伝えるのが、愛花さんとの食事の目的だ。事件の背景を聞き出せるのならば、それに越したことはなかったけれど。
「何も話す気は無いんですか?」
沈黙に耐えられなくなった僕は、返答を急かした。
「そうね、少し考えていたの」
何を、と訊ねる前に、愛花さんの顔から表情が消えた。
「目的を知ったキミに、何ができるのか、をね」
愛花さんは、僕には何もできやしない、と言っているんだ。
そんなことはない、と否定しようとした僕を制して、愛花さんは言葉を続けた。
「責任を逃れようとして言うわけじゃないんだけど、私は協力しているだけなのよ。本当は戦いたいのに戦えないあの人たちに、ほんのちょっと手を貸しただけ。人助けをしている、なんて言うつもりはないけれど、少なくともキミには、私を非難する権利はないわ」
―― だってキミは、もう諦めたのでしょう?
愛花さんの言葉は、僕の胸を抉った。