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セクエストゥラータ

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「すいません! 女の子が走って行きませんでしたか?」
「ずっと歩いてきたけど見てないよ」
 何事かと動揺しながらもちゃんと答えてくれた。見ていないということは駅ではなく大学方面へ向かったということだ。
「ありがとうございます!」
 僕は頭を下げ、反対方向へと走った。
 すぐに二つの人影が目に入る。
 奈津美と黒木先輩だった。
 黒木先輩はすぐ僕に気が付き、手を挙げて合図をよこした。奈津美は黒木先輩に借りたのか、不似合いなコートを肩に掛けていた。
「奈津美、ごめんな」
 奈津美は声こそ出さなかったが、そっと僕の胸に顔をうずめることで応えてくれた。僕は彼女の肩を抱くことで更にそれに応じる。
「取り込み中に悪いんだが」
 黒木先輩の声は少し寒そうだ。
「先輩、ありがとうございました」
「いや、たまたまだ。様子がおかしかったんでな」
 とにかく、上着の数が足りていないまま外で立ち話は辛いものがある。
 黒木先輩にコートを返し、僕が着ていたものを奈津美の肩に掛けた。話は部屋に戻ってからだ。それにしても、今夜は特に冷え込む。
「今日はお前にプレゼントを持って来たんだ」
「プレゼントですか?」
 僕の脳裏にはトライアウトの申込書が浮かぶ。
「違う違う」
 顔に出ていたのか、黒木先輩はそう言いながら苦笑した。
「W杯の観戦チケットだ」
 なんと黒木先輩は強運にも四人分のチケットを手に入れていた。
 警察官という仕事柄、同僚と行くこともできず、それならばということで持って来てくれたそうだ。
「俺は警官を辞めてでも行く」
 黒木先輩は何としても行く気らしい。
 話し合いの結果、由佳を誘って四人で観戦に行くことになった。
 由佳に電話すると、冗談だと思ったのか聞く耳を持たず、黒木先輩から説明されて初めて理解したらしい。電話の向こうで叫びまくっていた。
 三人で駅まで歩いた。
 黒木先輩と奈津美は帰る方向が違う。奈津美が乗った電車が先に出発した。彼女は恥ずかしそうに小さく手を振っている。あんなことがあったせいか、今日の彼女はいつも以上に愛しく感じられた。
「井上、俺がサッカーに戻れというのはこれが最後だ。今の日本代表をその目で見て、足りないものがお前だと気付け」
 黒木先輩を見送った後、部屋に戻らずに駅前の家電販売店に陳列されているテレビを見ていた。
 飽きもせずに日本代表の戦力分析を行っている。

 日本
 攻撃力B+ 支配力A+ 守備力A 総合A

 いつか見た番組と何も変わらない。
 当たり負けしない強さ、引き離されないスピード、ワンタッチで繋ぐパスワーク、競り勝つ高さ。
 中盤を支配し素早いポジションチェンジでマークを混乱させ、ポストプレーでゴール前に落とし、フリーになった選手が押し込む。
 それが日本代表の得点パターン。
 出演者の誰かが、「今の日本チームに足りないものを挙げるとすれば?」という質問に、冷静に答えていた。
「誰でもどこからでも点が取れるといえば聞こえはいいですが、裏を返せば絶対的な点取り屋、いわゆる“エースストライカー”がいないということなんですよ。攻撃力の評価はA+でもAでもなくB+になっているでしょ。その評価がすべてを物語っているじゃないですか」
 最後の試合で黒木先輩がくれたアドバイスを思い出した。
「お前はボール待つんじゃない、ボールを呼び込むんだ。お前を信じた仲間がボールを繋いでくれる。お前は“エースストライカー”なんだ」
 僕は頭を振る。
 何度も何度も。
「僕は違う」
 結局ゴールを決められなかったじゃないか。

 奈津美から『W杯楽しみだね、イタリア語の勉強しなくちゃかな〜?』というメールが届いた。
 僕は『そうだね』と一言だけ打ち返す。

 もうサッカーはしない。
 普通に就職して、願わくば奈津美と結婚して。
 そうだ。奈津美がいてくれれば、それだけで生きていける。

『愛してる』
『わたしも』

 *  *  *

 六月二十日。
 いよいよ二日後に迫る決勝トーナメント第一戦。
 日本は下馬評通りの強さを見せ、危なげない試合運びで決勝トーナメント進出を決めていた。
 黒木先輩の持っていたチケットは、狙い済ましたかのように日本戦のもので、僕たちは否応なしに興奮していた。

 着替えよし。
 パスポートよし。
 最終確認終わり。
 通算して何度目にもなる最終確認を終えて、僕は荷物を担ぐ。
 成田から連絡しているW杯用に増設された臨時便に乗り、イタリアへと向かう。
 試合が行われる会場は、イタリア北部のヴェローナにある。
 マルク・アントニオ・ベンテゴディ・スタジアム。約四万二千人の収容が可能だ。
 イタリアのヴェネト州ヴェローナ県ヴェローナ市は、人口三十万人ほどで、有名なシェイクスピア作『ロミオとジュリエット』の舞台となった街だ。あの有名なバルコニーは、『ジュリエッタの家』という観光名所にもなっている。
 以上の説明は、飛行機の中で奈津美に聞かされたものだ。
 『ロミオとジュリエット』は、小学生の頃に演劇でやったことがある。僕は殺されてしまうロミオの親友役で、由佳は六人いたジュリエット役の一人だった。
 その由佳は飛行機が初めてだったらしく、「飛ぶのね? 本当に大丈夫なのね? 信じていいのね?」と涙目で訴えていた。
 飛行機のあまりの大きさに驚いたらしい。
 そういう僕自身も飛行機に乗るのは初めてだったのだけれど、どうやら、先にパニックになった者の勝ち、というのは本当らしい。
 黒木先輩は、仕事の休みの関係で別便に乗って現地へ向かうことになっている。
 奈津美と由佳は二人とも寝てしまっている。奈津美はともかく、怖いと泣き喚いていた由佳の神経の図太さには恐れ入る。
 客室乗務員のお姉さんが、二人の毛布を持ってきてくれた。
 余談だが、【キャビン・アテンダント(Cabin Attendant)】という呼び名は正しい英語ではない、と奈津美が言っていた。
 ほんとにどうでもいい。
 奈津美の寝顔を見ているうちに、僕も寝てしまっていた。
 二人で幸せに暮らす未来を思い描いていたこのときの僕には、この先イタリアで起きる悲劇を想像できるはずもなかった。

 二〇XX年 イタリアW杯開催の年。
 遠い異国の地イタリアで、事件は起こった。


作品名:セクエストゥラータ 作家名:村崎右近