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セクエストゥラータ

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 ぽつりと漏れ出たこの言葉は、僕の本音へと通じる道の鍵だったに違いない。
 奈津美に対して、頼って欲しかった、なんて思いながらも、由佳を危険に晒してしまった、という不甲斐ない事実に打ちのめされて。
 僕は今、ギリギリのバランスで保たれている。自分以外の誰かに責任を押し付けることで、なんとか自分を維持できているんだ。
 僕はこのエレベーターのように、頑丈なワイヤーで吊られているわけじゃないんだよ。

 携帯電話の着信メロディが、エレベーターの中に流れ出した。
 勿論、音の発信源は僕のズボンのポケットからだ。ディスプレイには、公衆電話からの着信であることを示す文字が浮かんでいる。
 通話ボタンを押す。
「Pronto?」(もしもし?)
「えっ、あ、関口ですけれど」
「あぁ、関口さんですか。どうしました?」
「やっぱり甘えさせて頂こうかと思いまして」
「そうですか。ではロビーで待っていてください。迎えに行きます」
 僕は通話を終了させた。
 ロビーに迎えに行くより先に、二人を部屋に泊めることをパオロに説明しておこうと思った。どのみち、エレベーターは既に上昇を始めている。
 正直なところ、パオロと二人きりなのは少し気まずい。証拠もないのに疑いを掛けてしまったという負い目もある。部外者がいれば、事件のことを考えずに済む。
 どうやら僕は、物事を悪い方へと考えてしまう癖があるみたいだ。
 何の手掛かりも持っていない僕らは、動きたくても動けやしない。
 それに、ロビーでの奈津美の様子からすれば、二十八日の試合が終わるまでは、接触してくることはないだろう。
 ロビーで話したことも含めて、ちゃんとパオロに話そう。そうすれば、分かってくれそうな気がする。
 部屋に戻ると、パオロは僕が部屋を出たときと何ら変わらない姿勢のままタバコの紫煙をくゆらせていた。
 何となく、声を掛け難い。
「タバコ、嫌いだったな。悪い」
 僕が何と声を掛けようかと迷っていると、パオロはそう言ってタバコを灰皿に押し付けて火を消した。
 それでも、僕はパオロと目を合わせられずにいた。
 僕の中にある二つの感情。疑いを掛けていることの罪悪感と、危害を加えられるかもしれない恐怖心との割合は、丁度半分ずつだ。
 どちらか一方に片寄ってしまえば、二度と吊り合うことはない。
「ユウ、聞いてくれ」
 名前を呼ばれた僕は、意を決してパオロと目を合わせた。もう逃げないと覚悟を決めたのが、随分と昔のことのように思えた。
「預けられていた携帯電話を調べたが、何も残されていなかった。俺たちには何の手掛かりもないってわけだ。携帯電話を渡してきたってことは、もう連絡する意志がないということかもしれん。逆探知は続けているが、これから先は役に立ちそうにない。気持ちは分かるが、さっきロビーで何を話していたのかを教えてくれ。今はどんな些細な情報でも見逃すわけにはいかないんだ」
 その通り。パオロの言う通りなんだ。
 でも何故か、僕はパオロが言ったこの言葉にさえも、得体の知れない違和感を感じていた。
 上手く言えないけれど、サッカーで言うならシュートを打たされているような、サイドに誘導されているような、そんな気分だった。
「試合が終わるまでここに留まるように、と」
「それだけか?」
「他には何も」
 その会話のおかげでたくさんのことを考え付いたけれど、僕はそれを口にすることができなかった。パオロの関与をより深く疑うことになってしまうからだ。
 僕の答えを聞いたパオロは、ふぅ、と短く息を吐いた。それが何を意味しているのかは、僕には分からない。
「タバコを買ってくる」
 立ち上がったパオロは、そのまま僕の横をすり抜けた。
「宿がなくて困ってる人がいたんだ。ここに泊めてもいいかな?」
 パオロは、振り返ることも足を止めることもせずに、好きにしろ、とだけ答えて部屋を出て行った。
 怒ったのか、呆れたのか、あるいはその両方か。
 結果的に、僕は唯一の味方だったパオロを騙してしまったことになる。

 部屋に残ったタバコの匂いは、罪悪感に潰されそうな僕に更なる追い討ちを掛けた。

 *  *  *

 関口さんと秋野さんを部屋に案内すると、二人はアレルギー物質が入っていない料理をルームサービスで注文した。勿論、僕に断りを入れたあとのことだ。
「すごい部屋に泊まってるのね」
 いきなり口調が馴れ馴れしくなったのが、売店で僕に話し掛けて来た関口さんだ。そして、アレルギーを持っているのが秋野さん。
 英語を話せるのは関口さんだとばかり思っていたけれど、話せるのは一歩退いた場所に立つ秋野さんの方だった。
 二人の温度差を見る限りでは、秋野さんは関口さんにムリヤリ連れて来られたんじゃないかな、と思ったけれど、秋野さんを思いやる気持ちがなければ、僕に話し掛けてきたりはしなかっただろう。
 奈津美や由佳とは違ったタイプの二人組だった。
「明日のチケット持ってるんでしょ? いいな」
 一気にここまで突き抜けられると、不快を通り越して気持ち良くもなる。
 さっきまでパオロが座っていたソファに、関口さんは身体を埋めるようにして座っている。対照的に、秋野さんは所在なさげに部屋の隅に立っていた。
「座ったらどうですか?」
「あ、はい、ど、どうも」
 秋野さんは人見知りが激しいみたいだ。まぁ、それが普通だよな。
 パオロのことは二人に説明してある。勿論、刑事だとは言っていないけれど、イタリア人の男が一緒だってことは伝えてある。
 今更断れない、なんてことになっていたりはしないかと心配だったけれど、関口さんの様子を見る限りでは、そんなことはなさそうだ。
「チケットは持ってないんですよ」
 僕の言葉が意外だったのか、二人は驚きの声を揃える。
「試合の応援でここにいるわけじゃないんです」
「へー。でも、さっきはサッカーでって言ってたじゃない?」
「話せば長くなりますから」
「いいじゃない、教えてよ」
 断るのに一苦労する予感を覚え、僕は思わず苦笑い。
 そのとき、携帯電話の着信メロディが部屋に流れ出した。
 僕はポケットに手を伸ばしたけれど、どうも着信音は別の場所から聞こえているようだった。
 音の発信源は関口さんの目の前。テーブルに置かれている携帯電話。
エレベーターで聞いたのと同じメロディを奏でるその携帯電話を、僕は不思議な気持ちで眺めていた。
「でないの?」
 僕は関口さんが差し出した携帯電話を受け取る。
 ディスプレイには、見覚えのある番号が表示されていた。
 通話ボタンを押す。
「もしもし?」
「祐クン? ごめんね、時間が取れなくて。どうしてるかと思って」
 聞き覚えのある声が、僕の名を呼んだ。
 全身を鳥肌が覆う。
 僕はポケットから携帯電話を取り出し、耳に当てていた携帯電話と並べて見比べた。
 同じ色、同じ形。
 二つの携帯電話の違いは、その中身。片方のメモリーには何も登録されていないということだ。アドレス帳も、着信履歴も、発信履歴も、すべてが空っぽになっている。
作品名:セクエストゥラータ 作家名:村崎右近