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セクエストゥラータ

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●Intermezzo(羨望が憎悪に変わった日に)


「ん? どこに行くんだ?」
 オレは部屋を出ようとしたユウの背中に声を掛けた。
「咽が渇いたんだ。売店で何か買ってくる」
「飲み物なら冷蔵庫に入ってるだろう?」
「何となく嫌なんだよ」
 ユウは、これ以上何も言うな、とばかりに背を向け、一度何かを口に出し掛けたようだったが、結局は何も言わず部屋を出た。
 扉はカチャリという金属音を控え目に発して閉まり、直後にウゥンと機械的な動作音を発してロックされた。
 肺を膨らませ、大量の煙を送り込む。
 ユウは頭が良い。聞いていた通り、いや、聞いていた以上だ。
 やや悲観的で、やや被害者意識が強い。知り得る情報を総動員して状況を分析し、結果の悪い方を選択する癖がある。
 足を折ってサッカーを辞めたと聞いたが、骨折したことが原因でそうなったのか、生まれつきそういう気質だったのか。
 失敗したときのことを考えていたら、女神を口説くことなんてできやしないだろうにな。
 だがまぁ、それはどうでもいいことだ。問題なのは、ユウがオレに何も話さなくなったことだ。
 そろそろ何かに気付いたのかもしれないな。
 肺に溜まっていた煙をすべて吹き出す。
 僅かに紫の色を帯びた煙を見れば、オレはいつだってあの日に立ち戻ることができた。
 羨望が憎悪に変わったあの日のことを、オレは忘れない。

 もう二十三年も過ぎてしまったよ、姉さん――

***************
 羨望が憎悪に変わった日に
 【パオロ バルディーニ】
***************

 二十三年前、オレはボローニャに住んでいた。
 家族構成は、父と母と、兄と姉。オレは末っ子の次男で十五歳。
 オレは、熱狂的なサッカー好きであった父の影響でサッカー選手になるべく練習の日々を送っていた。
 兄カルロは、何故か身長が伸びず、早いうちに見切りをつけて諦めてしまったらしい。
 カルロとは十三も歳が離れているが、正真の兄弟だ。ボローニャを離れ、ミラノで働いている。
 姉テオドラは、オレの七歳上。
 弟のオレが言うのはおかしいかもしれないが、なかなかのベレッツァ(美人)だった。本人にその気があれば、女優のような仕事もできただろう。実際に、家には何度もその手の誘いの電話があった。
 テオドラは、それらの誘いを断り続ける理由を、家族と離れたくないからだ、と言っていた。オレを産んでから病弱になった母の傍を離れることはできなかったのだろう。
 幼かったオレは、そんな家族の苦悩を知ることもなく、ひたすらにサッカーに打ち込んでいた。

 ある日、ボローニャのホーム・スタジアムであるレナトダッラーラ・スタジアムの観戦チケットが俺の手に転がり込む。
 テオドラが二人分のチケットを持ち帰ってきたのだ。
「父と弟が行きたがってるって言ったら、カレがくれたのよ」
 当時、家族全員がテオドラに恋人がいることを知っていたが、それが誰であるのかは誰も知らなかった。
「怪しい人じゃない。いつか必ず紹介するから」
 テオドラがそう言ってから二年ほど経過していたが、自分の娘を信じていた父と母は、何も言いはしなかった。
 二十三歳ということもあって、結婚にはまだ少しだけ早いと考えていたのだろうと思うが、今となってはそれを確かめることは不可能となった。
 両親はこの世の人ではないからだ。そして、姉テオドラも――

 リーグは終盤に差し掛かっていた。
 優勝を争う上位チーム同士の直接対決という、最も盛り上がる目が離せない一戦だ。
 その前日、興奮しすぎた父が腰を痛めてしまったため、父に代わるオレの保護者としてミラノで働くカルロを呼び、兄弟で観戦することになった。
 ボローニャはしっかりと勝利を収め、優勝へと一歩前進した。
 勝利の原動力となったのは、三年前からチームの一員となっている日本人選手。
 名は原田良太。記録にも記憶にも残る男。この日も二得点の活躍を見せ、チームの勝利に貢献していた。
 加入二年目でチームの得点王になり、三年目の今年はリーグの得点王争いにその名を連ねている。誰もが認めるチームの主力であり、中心選手でもあった。
 オレも多くのサッカー少年と同じように、スター選手であった原田に羨望の眼差しを送っていた。
 いつかオレも、なんて愚かな夢を追い掛けていた。その結果は、刑事になっている今の俺の姿を見れば分かるだろう。
 才能なんて言葉で片付けてしまいたくはなかったが、サッカーを辞めたあとにも自尊心を保つためには、才能がなかった、と言ってしまうのが楽だったのだ。

 カルロと二人、上機嫌で帰った家では、目を覆いたくなるような惨状が待っていた。
 父は頭から血を流して倒れていた。
 母は苦しみにもがいた跡を残して息を引き取っていた。
 テオドラは一糸纏わぬ姿で壁に背を預け、手足を投げ出すようにして座っていた。その虚ろな目は何も映していなかった。
 その後の調べで分かったこと。
 何者かが家に侵入し、父を殴り倒して殺害した。
 その恐怖によって心臓が麻痺した母は、寝室で亡くなっていた。
 そしてテオドラは、侵入者たちに執拗な暴行を受けていた。
 近隣住人が、複数の男たちが家に入り込む姿を目撃していた。友人を招いてサッカーを観戦するのだと思ったらしい。
 そしてもう一つ、テオドラが妊娠していたことが発覚した。妊娠後二ヶ月が経過しているということだった。
 テオドラは、お腹の子の父親について話そうとしなかった。
 しかしそうなれば、いくら子供でも気付く。お腹の子の父親が、事件に関係しているのだということに――

 事件の二日後、衝撃のニュースがボローニャの街を駆け抜けた。試合前日に、原田良太が深夜の街を飲み歩いていたというものだ。
 それだけじゃない。大衆誌には複数の女性とのツーショット写真が掲載されていた。原田の隣にいる相手はすべての写真で異なっていた。
 そのうちの一人に見覚えがあった。顔の部分にはモザイク処理が施されていたが、それは間違いなくテオドラを写したものだった。
 その写真を見たのだろう刑事が、テオドラの入院している病院までやってきて、原田との関係をしつこく追及していた。
 しかし、テオドラは一言も話さなかったらしい。
 そしてその夜、テオドラは屋上から身を投げた。
 四十歳を目前に控えた今だからこそ、こうして冷静に振り返ることができているが、当時十五歳だったオレは、ただただ状況に流されるばかりで、何も分からずに何もすることができなかったのだ。

 *  *  *

「美しい女性を見ると、つい口説きたくなるのが男ってもんだろ?」
 試合前日の夜遊びについての謝罪会見で、原田は臆面も見せずにそう言い放ち、それが監督の怒りを買った。
 原田は試合で使われなくなった。
 監督は原田の女癖の悪さを指摘し、素行の改善を要求。しかし原田は、このまま自分が試合に出なければチームの優勝は難しくなるぞ、と強気に振る舞い、監督の要求を無視し続けた。
 そうして原田はリーグ終了まで試合に出ることはなく、ボローニャは順位を落とし、五位でシーズンを終えた。
作品名:セクエストゥラータ 作家名:村崎右近