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セクエストゥラータ

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「一緒に来ていた友達の番号なんだな」
 僕は答えられなかった。答えたくなかった。認めたくなかった。
 そして、パオロは続けた。
「どうしたい?」
 パオロは、初めて会った警察署でも同じ質問を僕に投げ掛けた。
 そのとき僕は、奈津美が無事ならそれでいい、奈津美を助けたい、それだけを考えて、『Io voglio aiutare la donna sequestrata.』(誘拐された彼女を助けたい)と答えた。
 でも、今の僕には、同じ答えを返すことができない。
「確かめたい」
 僕が発した、確かめたい、という言葉は、分からない、という言葉にそのまま置き換えることができる。
 何をか、と問い返さなかったのは、パオロの優しさだと思った。

 僕の脳裏には、一つの新たな疑問が浮かんでいた。
 携帯電話に逆探知を掛けることで掴める位置情報は、基地局単位まででしかない。基地局が電波を拾う範囲は、数百メートルから数キロメートルに及ぶこともあり、大まかな場所しか掴むことはできない。
 しかし、W杯期間中である現在は、基地局とその容量の増設、並びに、移動中継局となる中継車が多数配置されているため、複数の基地局からのアクセスを試みることで、より正確な位置を割り出すことができる。
 通常なら呼出音が鳴った瞬間に完了するはずの作業に時間が掛かっていたのは、より正確な場所を割り出すためだ。
 車を走らせるパオロは、そんな風に説明してくれたけれど、僕の耳には入らなかった。
 僕の気を紛らわせようとしてのことだと分かっていた。
 僕は沈黙の空間に耐えられなかった。
 僕は考え込もうとするのを懸命に拒否していた。

 ―― 奈津美は本当に誘拐されたのか?

 そんな最悪の疑問を、どうしても振り払うことができなかった。
 奈津美は誘拐されていない。
 それは、すべてを根底から覆すことになる最悪の仮定だ。

 同じ原田監督の子供である二人が結託して起こした狂言誘拐。
 その目的は、原田監督が犯したという罪を気付かせ償わせること。

 共犯者に成り得るのは由佳だけだと思っていたけれど、奈津美が被害者ではないとすれば、最初の電話で録音した音声を流すことも可能になる。
 共犯者の可能性を持つ人物が、由佳だけじゃなくなってしまう。

 何を信じればいい?
 何を疑えばいい?

 尊敬していた先輩に騙されていた挙句、幼馴染みと恋人の両方を疑わなければならないなんて――

「……黒木!」

 僕のこの言葉には、どれだけの感情が込められていたのだろうか。

 *  *  *

 パオロが車を止めたのは、ボローニャ市街の真ん中だった。
 多数の日本企業が進出しているボローニャでも、試合がある二十八日まではまだ日があるから、日本人が歩いていれば多少は目立つだろうと思っていた。
 日本人の目撃情報を辿れば、簡単に見つけられるだろうと考えていた。
 しかしどういうわけか、右を見ても左を見ても日本人の姿があった。
「まいったな」
 さすがのパオロも、お手上げだ、と口の端を攣り上げた。
「このどこかに……」
 僕は周辺を見渡す。
 レンガ色で統一された街並みは、ここが日本ではないことを強く実感させるのに、そこを歩いているのは日本人だ。
「近場のホテルを当たってみるか?」
 黒木は僕との通話の直後から電源を切ったままらしい。だから、まだこの周辺にいるのかどうかも分からない。
「そうですね。じっとしていても始まらないし、他にできることがあるわけじゃない」
 試合がある二十八日までは、ボローニャのどこかに潜んでいることは間違いない。
 僕は足を止めたくなかった。考えたくなかった。
 思考を止めるために、身体を動かし続けた。

 黒木を探すにしても手掛かりが何もないので、僕とパオロは正直に黒木の名前での照会を頼んでいた。勿論、パオロの警察バッジの力を借りてやったことだ。
 そして、あるホテルの宿泊客に黒木の名前を見つけた。
「失礼ですが、井上様でございますか?」
 対応をしてくれた受付の従業員は、僕にそう問い掛けてきた。
 黒木は、僕がここに辿り着くことを見越してメッセージを残して行ったらしい。
「お部屋の鍵と、こちらをお渡しするようにとのことでした」
 フルネームと手元の携帯電話番号を確認された後、頑丈な鉄製の箱を渡された。箱自体はホテルの物で、預かり物はその中身だけだ。
 箱の中には、電源が切られた状態の携帯電話が収められていた。
 僕が持っている携帯電話と同じデザインで、同じ色のものだ。
 携帯電話は、ボタン一つ操作しただけで簡単に立ち上がった。黒木が使っていた携帯電話に間違いない、とパオロに告げる。
 パオロが電話の追跡中止の連絡を入れている間、僕は受け取ったカードキーを眺めていた。
 普通に考えるならば、これは部屋に入れということだ。
 黒木は、正体に気付いた僕が携帯電話の電波を辿ってここにやってくることも計算していた。部屋に行ったところで、手掛かりは残されていないだろう。
 唯一の手掛かりとなっていた携帯電話をここに残すことで、大人しくしていろ、というメッセージの代わりとしたんだと思う。
 僕は思惑通りに誘導され、踊らされてしまっていたわけだ。
 ともかく、僕はその部屋に向かうことにした。何かしらの手掛かりやメッセージが残されていることを願って。
「おっと、その前に車を駐車場にいれておかないとな。待ってろ」
 ロビーで空いているテーブルを見つけ、ソファーに深く腰を下ろした。それはつまり、考えることを避けられない瞬間がやってきたことを意味している。
 クッションに身体を預け、目を閉じ、息を吐く。
 現状を確認する。犯人が黒木であるのは間違いない。そして、最初の電話の際に僕の横にいたことから、黒木の単独犯ではないことが確定している。
 共犯者の存在――
 由佳が共犯者だとすれば、パオロの存在や逆探知のタイミングについて黒木が知っていたことの説明が付く。
 犯人・黒木からの電話の直前、由佳はお手洗いに行っていた。そこで電話するなりメールを送るなりして連絡したのだろう。
 ただし、由佳には協力する動機がない。
 奈津美が共犯者、つまり狂言誘拐であった場合、その動機は父親である原田監督への復讐。同じく原田監督の息子である黒木は、復讐という動機を否定していたけれど、結局は同じことだ。
 でもその場合は、逆探知のタイミングを知った経緯が説明できなくなってしまう。
 結果として、二人ともが共犯者、もしくは、黒木は全く別の方法で僕を監視していた、このどちらかということになる。

「ここ、空いてますか?」
 僕は声を掛けられた。
 若い、僕と同じぐらいの年齢の、女の人の声。
 その声を耳にした僕は、どういう反応をするべきだったのか。喜怒哀楽のどれか一つを選べと言われたら、一生その答えは出ないだろう。
 ただ一つ確かなことは、驚きはしなかったことだ。
 僕は目を開けて、声の主に無感情な視線を向けた。
 自然に垂らされた黒髪が、毛先に進むにつれてソフトカールのルーズな曲線を描いていた。
 河合奈津美。誘拐されているはずの、僕の恋人だ。
「空いてる……よ」
作品名:セクエストゥラータ 作家名:村崎右近