セクエストゥラータ
●Intermezzo(痛みの分からない女になれるなら)
私は記者になりたかった。
“真実を追求するジャーナリスト”なんてカッコ良さ気なものに憧れたわけじゃない。
私の考えを広めたい、なんていうものじゃなく、誰かの考えを代弁できる私でありたいと思ったんだ。
学生の頃の私は、思ったことを何でも口にするいわゆる“キツイ女”だった。
その通り、私は何でも言えた。
でも、私には中身がなかった。信念がなかった。
なんとなく生きて、なんとなく短大に入ってた。
なんとなく恋愛して、なんとなく結婚して、それなりに幸せな生活を過ごして、なんとなく年老いて行くのだろうと思ってた。
それで良いとも嫌だとも思わなかった。
それぐらい、私には何もなかった。
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痛みの分からない女になれるなら
【池上 愛花】
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短大で迎えた最初の冬のことだ。
親友だった女の子が、校舎の屋上から身を投げた。遺書には『疲れました』とだけ書いてあったそうだ。
とても優しい子だった。そして気の弱い子だった。言いたいことを言えずに我慢を重ねていくうちに、耐え切れなくなってしまったんだと思う。
その事件は、私にとって大きな波紋となった。
彼女には彼女の考えがあって、主張があって、信念があったんだと思う。ただそれを伝える手段を持っていなかった。
つまり、私とは正反対。
私の中に広がった波紋は、心の隅々まで行き渡り、心の端で跳ね返り、やがて一点に集まっていった。すべての波が集まり終えたとき、私は人生初の目標を手に入れていた。
私の目標は“代弁者”になること。
私は四年制大学に編入し、政治経済を専攻。卒業後、新聞社に入社した。希望通り社会部に配属されたが、三ヶ月と経たずに転属となった。
私の記事が評価されたわけじゃない。そもそも入社三ヶ月で記事を書かせてもらえるような会社ではない。
評価されたのは、私の外見だった。
リポーターとしてテレビに映る仕事に回されたんだ。系列のテレビ局だ。そんなことあるんだって、本当に驚いた。
記事を書きたい私には、屈辱以外のなんでもない辞令だった。
当然、リポーター志望の女子社員たちには目の敵にされた。執拗な嫌がらせに、私は耐えた。耐えて耐えて、耐え抜いた。いつか自分で書いた記事を読ませてくれるという約束があったからだ。
けれど、世の中はそう上手く行ってはくれない。
その約束が嘘だったことを知った私は、上司に煮えたぎるお茶を掛けてやった。餌をチラつかせて肉体関係を要求するような下衆野郎には、そんなもんじゃ足りない。
私はスポーツ部門へ転属となった。
スポーツは完全に専門外の分野だったけど、私は負けなかった。
記事を書く勉強を続けさせてくれることを、私の外見を使う交換条件にしたんだ。
勿論、評判は良くなかった。周りから見れば、自分の容姿を鼻にかけた嫌な女に映っただろう。私だって、そんなことしたくない。
それから一年掛けて、記事を書くことに対する信念を認めさせることができた。
私の最初の記事は、五輪サッカーの特集だった。代表候補選手たちの取材だ。
私が任されたのは、経験不足から実際に召集される可能性は低いと見られている、北川大介という選手だった。彼は、将来を有望視されている中盤の選手だ。
本人インタビューの後、高校時代の監督にも話を聞かせてもらうことができた。
私は、より充実した記事に仕上げようと思い、北川選手を良く知る人物を紹介してもらうことにした。そうして、監督の口から井上祐の名前を聞くことになる。
彼は、私が卒業した大学に在学しているという。
監督にアポを取ってもらい、井上祐を取材する。
彼の口からは、そのままを記事にしても問題のないような、とても綺麗な言葉が流れ出てきた。
都合よく誉め言葉を並べているのかとも思ったけれど、高校時代の監督や現チームメイトが言っていた内容と合致していたから、嘘は言っていないようだった。
自分の文才の無さを改めて嘆いたのを覚えている。
その取材の最後に、私はこんな質問をした。
「北川選手と敵として戦うとしたら、どう攻略しますか?」
「僕はもうサッカーを辞めましたから」
それは的外れな答えだった。
けれど、そのときの彼の表情はとても寂しそうで、いつも記憶の片隅にあったあの子の雰囲気に似ていたから、私は彼のことを忘れられなくなった。
満足いく記事が仕上がったのは、それから三日後のことだった。
毎晩泊り込んでようやくできた空き時間。
初夏で汗臭いというのに、私は家に帰りもせず、古い新聞を漁っていた。
彼のことが頭から離れなかった。北川選手のことじゃない。井上祐のことだ。
私は、北川選手が出場したという高校サッカー選手権大会の記事を読んだ。そこには、井上祐という選手の名前は見当たらなかった。
その理由が分かるのは、もう少し先、再び高校時代の監督に電話したあとのことだ。
「また大介のことですか?」
「いえ、今度は井上クンのことをお伺いしたくて」
その電話で、彼が予選の試合中に骨折してしまい、選手権大会には参加できなかったことを知った。
それから卒業するまでの間に完治することはなく、彼は大学に進学した。
彼のことを話す監督は、北川選手について話すときよりも興奮していたことが記憶に残っている。
彼がサッカーを辞めていることを伝えると、残念だけれども予想はしていた、というような答えが返ってきた。
それからの監督は、声に元気が無くなり、急に歳をとってしまったかのようだった。
監督は最後にこう言っていた。
「祐がプロの世界に行っていたら、とんでもない選手になっていたと思いますよ」
私はますます彼に興味を持った。軽い意味じゃない。
電話を切った私は、そのまま自身の母校でもある彼の通う大学へと向かった。
運良く、正門にほど近い交差点で彼を見つけることができた。そのときに、彼のことが気になっていた理由が分かった。
彼の微笑みが、屋上から飛び立ったえっちゃんと重なって見えていたんだ。
私は彼女を助けられなかった。何かの信号を発していることは分かっていたのに。
私が“代弁者”になることを目指したのは、罪滅ぼしのためだったのかもしれない。罪の意識から逃れるためだったのかもしれない。自分が楽になりたいがための逃避だったのかもしれない。
それはずっと思考の片隅でくすぶっていた。
自分が楽になるために、自分の行為を正当化しているだけだ、と言われても仕方がない。
けれど、それでいいと思う。多分、それは本当のことだから。
私はどう思われたっていいんだ。なんて言われてもいいんだ。たったそれだけのことで、あんな悲しい思いをする人が一人でも減るのなら、それは私にとって充分すぎる意味があることだ。
親友が身を投げたことじゃない。それを止められなかったことでもない。
思っていることとは違う生き方、自分自身を騙し続ける生き方、そんな悲しい人生ってない。
そんな生き方をする人を、一人でも減らしたいんだ。