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セクエストゥラータ

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「それよりも、早く行ったほうがいいわ。この周辺で食事できるお店は、どこも満席になるんじゃない?」
 尤もだ、と僕は思った。
 報道関係者だけでもこれだけの数がいる。入れないと分かっていて、キャンプ地にまで押しかけたサポーターもいるだろう。
「いいさ、少し遠くまで行こう」
 心なしか、パオロの声が疲れているように感じた。
「戻ったら連絡を頂戴」
 そう言って、愛花さんは小さく手を振った。
 中継車を離れた僕らは、まっすぐにパオロの車に乗り込んだ。
「楽しい食事になると思ったんだがなぁ」
 愛花さんと食事ができると思っていたのだろう。パオロは残念そうにそう言った。
 その気持ち、ちょっとだけ分かる。
 車を走らせてすぐに、周辺に食事処がないと分かった。
 運転するパオロの喫煙間隔が短くなっていた。ヴェローナから運転し通しだったのだから、やっぱり疲れているんだろう。ボローニャまで約二時間、長時間の運転は想像以上に体力を使うと聞くし、尾行に注意を払いながら運転していたのだから、その分消耗は増しているだろう。
 ふと気付く。
 二時間、だ。
 ヴェローナからボローニャまでの移動時間と、原田監督が取材を受ける時間。
 犯人がボローニャ中央駅から掛けてきた四回目の電話。あのときまだ僕らがヴェローナにいたとしても、すぐにボローニャへと向かえば、取材開始にギリギリ間に合う。
 ボローニャの郊外には、日本代表のキャンプ地があった。僕らを誘導したかったのは、おそらくこのキャンプ地で間違いないだろう。気になるのは、犯人が言っていた『行けば分かる』という言葉と、犯人からの電話が、原田監督への取材にギリギリ間に合うタイミングであったことだ。
 どんな意味があるのかは分からないけれど、犯人は取材に合わせて事件を起こし、僕らをその現場に立ち会わせるつもりなのかもしれない。
 でも、取材の開始時間は未定で、取材そのものも確約されたものではなかった。何らかの行動を起こすには、不確定要素が多すぎる気もする。それに、キャンプ地には厳重な警備体制が敷かれていた。事件を起こせるとはとても思えない。
 だとすると、犯人が言っていた『行けば分かる』とはどういうことだろうか。
 キャンプ地で間違いないとは思うのだけれど、確証は何もない。
 まだ仕掛けていないのか、僕が気付いていないのか。それとも、その時間にならなければ分からないことなのか。
「お、あの店が良さそうだ」
 パオロは嬉々として咥えていた煙草を灰皿に押し付けた。
 僕はそんなパオロを横目に見ながら、もう何度目になるのか分からない状況の整理を始めた。

 *  *  *

 今回の一件。
 犯人の意図が、キャンプ地で僕と原田監督を会わせようとするものなら、この計画は杜撰すぎる。
 取材の時間が確定してないこともそうだし、僕がボローニャに向かわない可能性だってあった。奈津美の父親が原田監督だと気付いていたのだから、もっと確実にキャンプ地に向かうように誘導しても、犯人が不利になることは何もなかったはずだ。
 となると、あの電話の狙いは別にあったのかもしれない、という考えが生まれる。
 今のところ、ボローニャに誘導する以外に、電話番号を隠す目的あったんじゃないかと僕は疑っている。
 犯人は、僕をボローニャに誘導すると同時に、電話番号を隠していることを隠していた。それに気付けたのは、既に僕がボローニャにいたからだ。僕がまだヴェローナにいたとしたら、ボローニャに向かうことだけに気を取られてしまっていただろう。
 電話番号を隠す目的は、待機電波によって基地局単位で居場所が割り出されてしまうことを避ける目的と、その電話番号、つまり携帯電話の持ち主を特定させないことだ。
 電話番号を隠すというのは、犯人にすれば当然のことで、被害者側となる僕らにとっても不思議なことじゃない。留意すべき点は、逆探知開始を境にして犯人が電話番号に注意し始めたということだ。
 そうすると、初めから公衆電話を使わなかったのはなぜか、という疑問が生まれる。
 この誘拐は計画的に行われているから、逆探知に気が回っていなかった、とは考えられない。となれば、その逆。
 電話番号に目を向けさせている。
 いや、いくらなんでもそれはない。自分の正体は、電話番号を知られると都合が悪い人間だ、と言っているようなものだ。

 正体を悟らせて、僕に協力させようとしている?
 僕に手伝えって言ってる?
 もしそうなら、もっと早くに教えて欲しかった。
 僕は何をすればいい?
 どうすれば奈津美を無事に返してくれる?

 食事は喉を通らなかったけれど、強引に流し込んだ。もしものときのために、体力だけは確保しておきたかった。
 パオロは、何も言わずにいてくれた。
 キャンプ地に戻って愛花さんに連絡する頃には、一時間半が経過していた。
「祐クン、大丈夫?」
 迎えに来てくれた愛花さんは、心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
 ほんの少し前の僕であったら、躊躇することなく微笑みの仮面を被り、大丈夫ですよ、と返事していただろう。
 辛いんだとただ泣き叫ぶことも、辛くなんかないと平気な振りをすることも、どちらも逃げ出していることに変わりはない。
 それに気付いた僕は、そんな愚行を繰り返したりしない。
「奈津美が心配で」
「そうだよね……」
 愛花さんは優しく微笑んでくれた。
 きっと無事よ、なんていうありきたりな気休めがなかったことが、僕には嬉しかった。
「同行の許可を取ってくるわ」
 愛花さんは中継車に向かって歩き出した。
 僕はその後姿を見送る。
 こんなときに不謹慎だけれど、愛花さんはとても綺麗な人だ。
 モデルのような“美”ではなく、アイドルのような“カワイイ”でもない。他のどんな言葉よりも、“綺麗”という一言が似合う。
 でも愛花さん自身は、そんなふうに言われたくないらしい。
 愛花さんと二度目に会ったとき、一緒にいるところを大学の友人に冷やかされたんだ。
 愛花さんは一瞬だけ不快を顕わにして、そのあとは友人に見せつけるようにして親しげに振る舞ってくるようになったんだ。
 自分の外見にコンプレックスを持っているらしくて、にやけ面で近づいてくる男も、にやけ面を覆い隠して近づいてくる男も、どちらも大嫌いなのだそうだ。
 そういえば、さっきパオロが目の色を変えていたけれど、愛花さんは気分を悪くしていないだろうか。あとでそれとなくフォローを入れておこうかな。

 *  *  *

 三十分後、選手たちがグラウンドに入って行った。午後の練習が始まるらしい。
 それとほぼ同時刻に、取材を始めてくれて構わないという旨の連絡が届いた。
 僕は撮影スタッフに紛れ込んで、けれど邪魔はしないように、少し離れたところから様子を取材の様子を見ることを許された。
 独占取材だったようで、対談に近い形式の撮影だった。
 ジャージ姿の監督は、愛花さんが投げ掛けた質問に対して、それはそれは丁寧に答えていた。
 その様子を見ていた僕は、ある既視感に包まれていた。
 以前にもどこかで見たことがある、そんな感覚。
作品名:セクエストゥラータ 作家名:村崎右近