セクエストゥラータ
考えても分からないことに頭を悩ませていても仕方がない。ここは行動あるのみ、当たって砕けろ、だ。
「原田監督に会う方法はないかな?」
「そう言うだろうと思って、キャンプ地に向かっているところだ」
パオロは咥えていたタバコの火を消して、楽しそうに笑った。
日本代表チームは、ボローニャ近くの郊外にキャンプ地を構えていたらしい。僕はそんなことも知らなかった。
キャンプ地の駐車場はしっかりと閉鎖されていたけれど、パオロの警察バッジで入ることができた。
けれど、一般車が入れないはずの駐車場には、なぜかたくさんの車が止まっていた。これらすべてが関係車両なのだとしたら、チームに帯同しているスタッフは五百人を超えてもっとずっと多いことになる。
すんなり入れたのは駐車場までで、それ以上は厳重な警備が敷かれていた。
「どうする? 正攻法でバッジ見せてみるか?」
「それだと僕は入れないんじゃ?」
とりあえず車を降りて周辺を歩いてみると、テレビ局の中継車が目に入った。それを見て、報道関係の車だったのか、と僕は一人納得する。
そういえば、愛花さんはこのキャンプ地には来ていないのだろうか?
でも、たとえ報道関係者であっても、練習場の中には入れないだろうし、原田監督と密会するなんてことは不可能だろうな。
いや、そうじゃない。どうせダメだから、なんて勝手に諦めて何も行動しないなんて、愚の骨頂だ。
僕は愛花さんを探して更に周辺を練り歩くことにした。
* * *
「あの、すいません。池上さん、いらっしゃいますか?」
中継車の傍に日本人を見つけて、僕は躊躇せず問いかけた。
「キミだれ?」
タバコを吸っていた日本人の男性は、訝しげに僕を観察した。
「知り合いなんです」
「知り合いを騙って近づく人は多いんだよねぇ。キミ、同業者?」
僕が名前を告げるよりも早く、嫌顔で切り返されてしまった。
「いえ、そういうわけじゃ……」
業を煮やしたパオロが、脇から割り込んでバッジを見せる。
「あ、警察の人? 池上が何かやらかしたんですか?」
話し方が敬語に変わるあたり、やはり官憲の力は侮れない。少し心苦しいけれど。
「そうじゃないんです。僕は通訳で」
あぁ、嘘をついてしまった。でも、この際そんなことは気にしていられない。
「すぐあとに撮影が控えてますんで、手短にお願いしますよ?」
「えぇ、それは大丈夫です」
「おーい、池上。警察の方がお見えだぞ」
愛花さんは中継車の中にいるらしい。僕は密かに胸を撫で下ろす。
スペイン戦のときに一瞬だけ見たロゴマークの記憶を頼りに、たくさんあった中継車の中から目星を付けたのだけれど、正直なところ、自信はなかったんだ。
男性スタッフは、愛花さんを呼びながら中継車に乗り込んだ。
入れ替わりで慌てて降りてきた愛花さんは、僕の顔を見るなり破願した。
「おー、これは美人さんだな」
パオロは愛花さんを見るなり僕を押しのけて前に出て、右手を差し伸べて握手を求めた。
「祐クンじゃないの。びっくりさせないでよ」
勿論、パオロの言葉はイタリア語なので、愛花さんには通じていない。
「祐クン、この方は?」
「ユウ、通訳してくれ」
うーん、嫌な予感しかしないんだけども。
「ええっと、『貴女はとても美しい』と言っています。『美しい女性を見ると口説きたくなる私の性分をどうか責めないで下さい。貴女の美しさがそうさせるのです』と言っています」
パオロもファルファローネだったのか、と僕は密かに呆れ返っていた。しかし、歯の浮くセリフを通訳させられるのは御免だ。
「パオロ、そのへんにして」
「ん? あぁ、すまないな」
「愛花さん、この人は協力してくれてる刑事さんなんです」
「池上愛花です。よろしく」
二人が握手を交わす。
「それで、進展はあった?」
「はい。奈津美の父親は原田監督だそうです」
意外にも、愛花さんの反応は静かなものだった。
「どうリアクションしたものか、分からないのよ」
それは素直な感想だったと思う。だから僕は、奈津美を誘拐した犯人が、黒木先輩と由佳かもしれない、とは言えなかった。愛花さんが返す素直な感想が怖かった。
僕は本題を切り出す。
「原田監督に会いたいんです。何か方法はないでしょうか?」
「それでここに来たのね」
「はい」
「実は、このあと原田監督にインタビューすることになってるんだけどね……カメラも回ってるし、祐クンが考えているような話はできないわ。それでも良ければ、スタッフに紛れて現場に連れて行くことは可能よ」
愛花さんは、まだ何か言いたいようだった。
何を言いたいのかは分かっているんだ。原田監督を見ることには何の意味もないってことだ。会って話しをして、奈津美の父親なのかどうか、その真偽を問いただすことに意味がある。
取材終了直後ならチャンスがあるかもしれない。
たった一言、貴方の娘が誘拐されました、とだけ耳元に囁くことができれば、時間を取ってくれるかもしれない。
「取材はいつ始まるんですか?」
「それがね、正確には分からないの。監督の都合が良い時間にやることになっててね」
愛花さんによると、午前の練習が終わってから、午後の練習が始まるまでの間に、もし時間が取れれば取材を受ける、という曖昧なもので、取材そのものは確約されているわけではないらしい。
選手たちはクールダウンを始めていることから、午前の練習はもう間もなく終わるだろうとのことだった。
「取材を受けてくれるとしたら、午後の練習開始の直前になるんじゃないかしら」
「午後の練習は何時から始まるんですか?」
「二時間半から三時間後、というところね。取材自体は十五分も掛からないから……」
どちらにしろ、今から約二時間の空き時間がある。
「二時間……ね。食事して戻ってくるには充分な時間だぞ」
朝食をジャンクフードで済ませたこともあって、早めに昼食をとりたかったところだった。つまり僕には、パオロの提案に反対する理由はない。
同意しようと口を開きかけたとき、視界の端でざわめきが起こった。
「あれは?」
「原田監督が出てきたんでしょうね」
愛花さんは、まるで他人事のように言った。
「え? じゃあ……」
「移動中の監督や選手に声を掛けるのは、ルール違反なのよ。できるのは遠くからカメラを回すことぐらいね。あ、ほら、前から二番目が原田監督よ」
無意識に愛花さんの視線を追う。設置されたカメラの列の向こうを、数人の人影が歩いているのが見えた。顔までは分からないけれど、愛花さんが言ったように前から二番目が原田監督なのだろうということは分かった。
原田監督は、何かあったのか急に足を止め、立ち並ぶカメラの列に顔を向けた。ただ、視線の先は安定していないみたいだった。
誰かを探しているのかな、と思った矢先のことだ。
「あ、目が合った」
「気のせいだろ」
僕の言葉を、パオロが即座に否定した。
いや、でも、とパオロに視線を移していた一瞬の間に、原田監督はいなくなっていた。
「祐クンて、意外とミーハーなのね」
「みーはー?」
僕が問い返すと、愛花さんは、なんでもないわ、と微笑んだ。