セクエストゥラータ
* * *
チュンチュンと小鳥の鳴き声がする。
「うぅ〜ん」
枕元の時計に手を伸ばす。時刻は午前九時五十七分。
ぶるっ
「寒いっ」
僕は少しでも寒さから逃れようと布団に深く潜り込む。
チュンチュン。
「うるさい」
チュンチュン
「僕はまだ寝ていたいのっ!」
昨夜はサークルの飲み会があって、遅くまでというか早くまでというか、とにかくお酒を飲んでいた。だから二日酔いとは言わないけれど、頭は痛い。
チュンチュン。
したがってまだ寝ていたい。
チュンチュン。
チュンチュン。
「あ〜うるさいっ 分かったからチュンチュン鳴くな!」
僕はやけになって窓を全開にし、柵に固定してあるエサいれに鳥の餌を流し込んだ。
最初はパン屑を柵の上に置くぐらいだった。しかし現在では、百円ショップで購入した餌入れを針金で柵に固定し、ペットショップで売っている小鳥の餌を食べさせる始末。餌を与え始めて一年以上経過しているけれど、アパートの管理人さんからもご近所さんからも苦情は出ていない。
「はーい、おはよー。たーんとお食べー」
小動物と触れ合うと心が豊かになるというのは、きっと本当のことだと思う。
もうすぐ春とはいえ、窓を全開にしておくとさすがに寒い。窓を閉めるか、上着を羽織るかを一瞬迷って、上着を羽織ることにした。
くるりと室内を振り向く。
誰かと目が合った。
ちなみに間取りは一Kだ。八畳の部屋と二畳のキッチン。風呂トイレ付き。大学生の一人暮らしとしては充分だ。
そう。僕は一人暮らしだから、僕が起きたときに誰がか部屋にいるはずがないんだ。
その『誰か』は、僕を見てニヤニヤしている。
待って、一つずつ整理しよう。
その『誰か』は、僕と同年代の女の子だ。
自然に垂らされた黒髪が、毛先に進むにつれてソフトカールのルーズな曲線を描いていた。派手めな赤いコートを羽織り、中にはグレイのタートルニット。濃い青のスリムジーンズ。多分、玄関にはロングブーツが置かれているはずだ。
すごく可愛い。見とれてしまいそうだ。いやもう遅いな。
でもなんで僕を見てニヤニヤしているんだろう?
あぁ、待って、僕はこの女の子を知っている。たしか同じ大学で同じ年齢で昨日一緒に飲んで……
「おはよ。鳥とお話しができるなんて羨ましいわー。今度、わたしを紹介してね」
思い出した、河合奈津美だ。
いいや、思い出す必要もないくらいに分かっていた。ただ、脳が理解するのに時間が必要だっただけだ。
「か、河合さん、なんでっ?」
「あら、覚えてないの? 酔ったわたしを連れ込んだのは、井上クンなのよ?」
脳に届けられた言葉の意味を僕が理解するのには、またしても数秒の時間を要した。
「えぇーー!?」
目を丸くして口をパクパクしていると、彼女はお腹を抱えて笑い出した。
「冗談よ、冗談」
当たり前だ。
自慢じゃないが女の子を連れ込む度胸は持ち合わせてない。
しかし、この二人きりという状況が分かっているのだろうか? ちなみに僕は分かってない。ただ単に、僕が男として見られてないのかな。
ヘコむ。まじヘコむ。
河合奈津美。
古臭い言い方をするなら学園のアイドルだ。いや、僕にとってはそれ以上。“河合奈津美”と書いて“めがみさま”とルビを振ってもいいくらいだ。
昨日の飲み会だって、彼女が来ると聞いたから参加したわけで。つまり僕は彼女に憧れているというか、片思いというか……。いやいや、実際は会話したこともなかったんだが。結局、昨日も彼女とは一言も話せなかったしね。
さぁて。そろそろそんな彼女がどうして僕の部屋にいるのかという疑問に戻ってもいい頃かな? 大丈夫か、僕?
「あのっ」
言いかけたとき、彼女が小さく息を吸いながら身体を震えさせた。
今日は冷え込むみたいだ。僕は急いで窓を閉める。
彼女は片手を挙げて「ごめんね、ありがとう」という仕草をした。そのはにかんだ笑顔があまりに可愛くて、彼女がどうしてここにいるのかなんてどうでも良くなった。
「何か飲……む?」
飲みます?と敬語になりかけたのを懸命に堪えた。ここ数年で最高のナイスプレーだったと思う。
「何がある?」
キタコレ。
タメ口での会話に成功。いきなりのタメ口は嫌がられないかと思ったけど、彼女は受け入れてくれたみたいだ。
「コーヒー、紅茶、コーラ、牛乳。僕はコーヒーにするけど?」
「じゃあ、わたしも同じもので」
ふぅ、まったり。
湯煙が上がるコーヒーを一口飲んで落ち着いてしまった。
彼女は持参したのであろうファッション誌に目を落としている。だが、さすがにそろそろ現実逃避を止めなければならない。
「あのさ、なんでここにいんの?」
「ん? お邪魔だった?」
「いやーーそうじゃなくてー」
「由佳から何も聞いてない?」
「と、特には」
「おっかしーなー」
由佳。
中村由佳。幼馴染み属性を持つ女の子だ。
小中高大すべて同じという非の打ちどころが無い腐れ縁。昨日の飲み会の情報も由佳から聞いたものだ。
携帯にはメールも着信も残ってないが、この状況が由佳の仕業だと分かっただけでも収穫だ。
よくやった! ぐっじょぶ!
欲を言えば、先に掃除をさせて欲しかったところだ。
由佳は、二十分も遅れて現れた。
遅れるという連絡を受けた河合奈津美は、このアパートの管理人である中村由佳の伯母から鍵を借りて部屋に入ったのだそうだ。
由佳には過去にも何度か鍵を借りて侵入していた前科がある。
勿論、管理人の伯母さんが双方をよく知っているからこそ許されることなのだけれど。
「それで、ナニユエに我が部屋での待ち合わせを敢行した次第か?」
「だって、外、寒いじゃん?」
語尾に付属している“?”は僕に同意を求めているのかな?
「そうだねー、寒いよねー、アハハハハー」
お前が相手なら容赦しねぇぞ。コノヤロウ。
「ごめんね井上君。“大学の近くで待ち合わせできる場所”がいいってわたしが無理にお願いしたの」
河合奈津美が丁寧に頭を下げた。さらさらと流れるように髪が垂れていく。
彼女の髪には、大量のシルクプロテインが配合されているに違いない。
「いやっ 汚いところでアレだけど、ご自由に利用してっ」
敬語になってしまわないように無理しているものだから、言葉尻がおかしくなる。
「ありがとう」と彼女は微笑んだ。
かわいいっ! 抱きしめたいっ!
いやそんなことする勇気は無いけどもっ!
「大学内にも待ち合わせできる場所はあるのに、なんで?」
恥ずかしさを誤魔化すために質問してみる。
すると、空気が一変してピリッとした雰囲気に包まれた。
由佳が目で訴えている。
そこには触れないで、とそう言っている。
付き合いだけは長いから、そういったタブーに触れてしまったときの空気は分かる。
「正直な話、由佳のおかげでここに住めてるわけだから文句は無いんだ。ただ一応、僕も極めて健康な男子なわけで、前もって連絡してくれたら助かるな、と」
「アンタは女の子を連れ込んだりできないでしょー? いつもキレイにしてるみたいだし、問題ないでしょ」
そう言って部屋を見渡す由佳。
チュンチュンと小鳥の鳴き声がする。
「うぅ〜ん」
枕元の時計に手を伸ばす。時刻は午前九時五十七分。
ぶるっ
「寒いっ」
僕は少しでも寒さから逃れようと布団に深く潜り込む。
チュンチュン。
「うるさい」
チュンチュン
「僕はまだ寝ていたいのっ!」
昨夜はサークルの飲み会があって、遅くまでというか早くまでというか、とにかくお酒を飲んでいた。だから二日酔いとは言わないけれど、頭は痛い。
チュンチュン。
したがってまだ寝ていたい。
チュンチュン。
チュンチュン。
「あ〜うるさいっ 分かったからチュンチュン鳴くな!」
僕はやけになって窓を全開にし、柵に固定してあるエサいれに鳥の餌を流し込んだ。
最初はパン屑を柵の上に置くぐらいだった。しかし現在では、百円ショップで購入した餌入れを針金で柵に固定し、ペットショップで売っている小鳥の餌を食べさせる始末。餌を与え始めて一年以上経過しているけれど、アパートの管理人さんからもご近所さんからも苦情は出ていない。
「はーい、おはよー。たーんとお食べー」
小動物と触れ合うと心が豊かになるというのは、きっと本当のことだと思う。
もうすぐ春とはいえ、窓を全開にしておくとさすがに寒い。窓を閉めるか、上着を羽織るかを一瞬迷って、上着を羽織ることにした。
くるりと室内を振り向く。
誰かと目が合った。
ちなみに間取りは一Kだ。八畳の部屋と二畳のキッチン。風呂トイレ付き。大学生の一人暮らしとしては充分だ。
そう。僕は一人暮らしだから、僕が起きたときに誰がか部屋にいるはずがないんだ。
その『誰か』は、僕を見てニヤニヤしている。
待って、一つずつ整理しよう。
その『誰か』は、僕と同年代の女の子だ。
自然に垂らされた黒髪が、毛先に進むにつれてソフトカールのルーズな曲線を描いていた。派手めな赤いコートを羽織り、中にはグレイのタートルニット。濃い青のスリムジーンズ。多分、玄関にはロングブーツが置かれているはずだ。
すごく可愛い。見とれてしまいそうだ。いやもう遅いな。
でもなんで僕を見てニヤニヤしているんだろう?
あぁ、待って、僕はこの女の子を知っている。たしか同じ大学で同じ年齢で昨日一緒に飲んで……
「おはよ。鳥とお話しができるなんて羨ましいわー。今度、わたしを紹介してね」
思い出した、河合奈津美だ。
いいや、思い出す必要もないくらいに分かっていた。ただ、脳が理解するのに時間が必要だっただけだ。
「か、河合さん、なんでっ?」
「あら、覚えてないの? 酔ったわたしを連れ込んだのは、井上クンなのよ?」
脳に届けられた言葉の意味を僕が理解するのには、またしても数秒の時間を要した。
「えぇーー!?」
目を丸くして口をパクパクしていると、彼女はお腹を抱えて笑い出した。
「冗談よ、冗談」
当たり前だ。
自慢じゃないが女の子を連れ込む度胸は持ち合わせてない。
しかし、この二人きりという状況が分かっているのだろうか? ちなみに僕は分かってない。ただ単に、僕が男として見られてないのかな。
ヘコむ。まじヘコむ。
河合奈津美。
古臭い言い方をするなら学園のアイドルだ。いや、僕にとってはそれ以上。“河合奈津美”と書いて“めがみさま”とルビを振ってもいいくらいだ。
昨日の飲み会だって、彼女が来ると聞いたから参加したわけで。つまり僕は彼女に憧れているというか、片思いというか……。いやいや、実際は会話したこともなかったんだが。結局、昨日も彼女とは一言も話せなかったしね。
さぁて。そろそろそんな彼女がどうして僕の部屋にいるのかという疑問に戻ってもいい頃かな? 大丈夫か、僕?
「あのっ」
言いかけたとき、彼女が小さく息を吸いながら身体を震えさせた。
今日は冷え込むみたいだ。僕は急いで窓を閉める。
彼女は片手を挙げて「ごめんね、ありがとう」という仕草をした。そのはにかんだ笑顔があまりに可愛くて、彼女がどうしてここにいるのかなんてどうでも良くなった。
「何か飲……む?」
飲みます?と敬語になりかけたのを懸命に堪えた。ここ数年で最高のナイスプレーだったと思う。
「何がある?」
キタコレ。
タメ口での会話に成功。いきなりのタメ口は嫌がられないかと思ったけど、彼女は受け入れてくれたみたいだ。
「コーヒー、紅茶、コーラ、牛乳。僕はコーヒーにするけど?」
「じゃあ、わたしも同じもので」
ふぅ、まったり。
湯煙が上がるコーヒーを一口飲んで落ち着いてしまった。
彼女は持参したのであろうファッション誌に目を落としている。だが、さすがにそろそろ現実逃避を止めなければならない。
「あのさ、なんでここにいんの?」
「ん? お邪魔だった?」
「いやーーそうじゃなくてー」
「由佳から何も聞いてない?」
「と、特には」
「おっかしーなー」
由佳。
中村由佳。幼馴染み属性を持つ女の子だ。
小中高大すべて同じという非の打ちどころが無い腐れ縁。昨日の飲み会の情報も由佳から聞いたものだ。
携帯にはメールも着信も残ってないが、この状況が由佳の仕業だと分かっただけでも収穫だ。
よくやった! ぐっじょぶ!
欲を言えば、先に掃除をさせて欲しかったところだ。
由佳は、二十分も遅れて現れた。
遅れるという連絡を受けた河合奈津美は、このアパートの管理人である中村由佳の伯母から鍵を借りて部屋に入ったのだそうだ。
由佳には過去にも何度か鍵を借りて侵入していた前科がある。
勿論、管理人の伯母さんが双方をよく知っているからこそ許されることなのだけれど。
「それで、ナニユエに我が部屋での待ち合わせを敢行した次第か?」
「だって、外、寒いじゃん?」
語尾に付属している“?”は僕に同意を求めているのかな?
「そうだねー、寒いよねー、アハハハハー」
お前が相手なら容赦しねぇぞ。コノヤロウ。
「ごめんね井上君。“大学の近くで待ち合わせできる場所”がいいってわたしが無理にお願いしたの」
河合奈津美が丁寧に頭を下げた。さらさらと流れるように髪が垂れていく。
彼女の髪には、大量のシルクプロテインが配合されているに違いない。
「いやっ 汚いところでアレだけど、ご自由に利用してっ」
敬語になってしまわないように無理しているものだから、言葉尻がおかしくなる。
「ありがとう」と彼女は微笑んだ。
かわいいっ! 抱きしめたいっ!
いやそんなことする勇気は無いけどもっ!
「大学内にも待ち合わせできる場所はあるのに、なんで?」
恥ずかしさを誤魔化すために質問してみる。
すると、空気が一変してピリッとした雰囲気に包まれた。
由佳が目で訴えている。
そこには触れないで、とそう言っている。
付き合いだけは長いから、そういったタブーに触れてしまったときの空気は分かる。
「正直な話、由佳のおかげでここに住めてるわけだから文句は無いんだ。ただ一応、僕も極めて健康な男子なわけで、前もって連絡してくれたら助かるな、と」
「アンタは女の子を連れ込んだりできないでしょー? いつもキレイにしてるみたいだし、問題ないでしょ」
そう言って部屋を見渡す由佳。