セクエストゥラータ
●Intermezzo(諦めてくれたなら)
アイツとあのコを引き会わせたのは、他ならぬあたしだった。
どうしてそんなことをしたんだろうって、ずっと後悔している。
あたしは、諦めさせたかったんだ。
諦めてくれるなら、アイツでも、あのコでも、あたしでも、誰でもよかったんだ。
大学二年になったばかり頃、新歓コンパという名の合コンに二人を誘った。
アイツは合コンが嫌いだった。
だからあたしは、あのコが参加すると聞いても、アイツが首を横に振ってくれることを期待していたのかもしれない。
あのコも合コンが嫌いだった。
その理由はアイツが合コンを嫌いだから。
なによそれ、純情乙女のつもり?
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諦めてくれたなら
【中村 由佳】
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「じゃ、あたしは伯母さんのところで時間潰してるから」
「ホントに行っちゃうの?」
奈津美は不安そうにして、あたしの腕を掴んで離さなかった。
「大丈夫だって。アイツに押し倒すような甲斐性はないから」
「ちょ、ちょっと!」
そうなったらそうなったで、なんてまんざらでもない顔をしている。とんだ尻軽。
昨日の夜だって、カマトトぶってお酒も飲まないし、自分から話しかけもしないし、男どもにちやほやされてさぞかしいい気分だったでしょうよ。
あたしは階段を降りて伯母さんの部屋に戻った。
サイテー。あたしってば、サイテーだ。
あのコは親友なのに。
アイツはとんでもない純情男なんだ。
高校三年の冬まで、ずっとずっとサッカーだけに夢中だったんだ。
同級生がカラオケに行ってる間も、アイツはサッカーボールを蹴ってた。
修学旅行に「ボールに触らない日を作りたくない」ってサッカーボールを持って行ったのも知ってる。夜に抜け出して走ってたのも知ってる。
あたしは、そんなアイツを見てきたんだ。ずっとずっと、ずっと見てきたんだ。
アイツが視線を送っていることに、あたしが気付かないはずがないじゃない。アイツが好きになったコなんだ、いいコに決まってる。
あたしは偶然を装ってあのコに近づいた。そして友達になった。
全部アイツのため。何とかしてあげられたらと思ってのこと。
もし、あのコが猫を被った尻軽女だったら、あたしはどうしてただろうか?
あたしたちは親友になった。自分でも驚くぐらい仲良くなった。
ふとした拍子に、胸を締め付ける想い。
あたしは、あのコが嫌な女だったらいいと思って近づいた。最低な女であることを期待していた。
最低なのは、あたしだ。
あたしはたくさんの合コンに参加していた。それは、あのコの噂を集めるため。あのコが裏で遊んでいるんじゃないかって、心のどこかで願っていた。
高校時代には恋人がいたって聞いた。高校最後の冬に別れたんだって聞いた。
高校最後の冬。
アイツが足を折った冬。
夢の向かうための翼を折られた冬。
アイツは、あの冬から変わってしまった。
アイツの目に、サッカーが映ることはなくなってしまった。
あたしはずっと、小学生の頃からずっとアイツを見てきた。アイツだけを見てきた。
アイツは、ボールだけを追い掛けてた。
中学の頃だってそうだ。
放課後の誰もいないグラウンドで、黙々と走り続けてたアイツ。
あたしの姿に気付いたアイツは、小さく手を振ってくれた。
あたしは手を振り返す。半分の嬉しさと、半分の恥ずかしさで。
アイツはあたしに言ったんだ。
早く帰らないと危ないよって、そう言ったんだ。あたしは、練習が終わるのを待ってるのに。
一緒に帰ろうって言い出せなかったあたしは、中学の三年間、一度もアイツと一緒に帰ることはできなかった。
あたしには、同じグラウンドで練習する陸上部に入って、アイツの姿を盗み見るのが精一杯だった。
朝も夜も、アイツはずっとずっとサッカー漬けだったんだ。
小学校五年生のときだ。
アイツはバレンタインのチョコを三つもらってた。足が早いってだけで人気が出るんだ。
チョコの数を知ってるのは、あたしがそれを食べたから。
「僕、甘いのキライなんだ。お母さんが捨てたらダメっていうから、由佳ちゃん食べていいよ」
あたしのランドセルに入ってるチョコは、どうすればいいの?
ねぇ? どうすればいいの?
あたしがアイツにチョコを渡せたのは、高校卒業を控えた冬のこと。
足と夢とが折れているアイツは、明かりの消えた灯台のようで、見ているだけで泣きそうになった。
でも、泣かないんだ。アイツが泣いてないんだから、あたしが泣くわけにはいかないじゃない。
あたしは、松葉杖のアイツを連れ回した。
カラオケも覚えさせて、同年代の男の子がしているように、夜中まで遊びまわったんだ。
生活指導の教師も目をつぶってくれていた。それだけアイツの落ち込みようは酷かったんだ。
あたしたちは大学生になった。
そうしてある日、あたしは大きな勘違いをしていたことに気付かされた。アイツの目が、何かに対してしっかりと焦点を合わせていることに気付いたんだ。
アイツの目は、目の前にいるあたしじゃなくて、遠くにいるあのコの姿を映していたんだ。
あたしは、アイツが足を折ってから、ずっと一緒にいただけ。
なのにあたしは、勝手に恋人になったつもりでいたんだ。好きと伝えたわけじゃないし、言われたわけでもない。勝手に伝わっているものだと思い込んで、あたしが勝手に浮かれていただけなんだ。
アイツは、あたしじゃなくて、あのコを好きになった。
それが現実。
あたしが、受け止めなきゃいけない、現実。
アイツの目があのコを追うようになってから、一年が過ぎようとしていた。
アイツとあのコに進展はなかった。
あたしは、アイツの恋が上手く行くようにと願いながら、上手く行かないようにと祈る日々を過ごしていた。
そしてあたしは、二人が両想いだったことを知る。
最悪のパターンだ。
あのコとも友達になってしまっていたあたしは、二人からノロケを聞かされることになる。他の人だったなら、アイツ以外だったなら、あたしは喜んで話を聞いたのに。
「思っていたのと違う」
どっちからでもいい。そんな言葉が聞きたくて、早く聞きたくて、あたしは二人を引き合わせた。
引き合わせて……しまったんだ。
ヴェローナを出発した高速バスが、目的地のミラノ・マルペンサ国際空港に到着する。
移動中、窓の外を流れていったイタリアの街並みを、あたしは無感動に眺めていた。
アイツと二人で見たかったな。
何か思うことがあったとすれば、ただそれだけ。
アイツがイタリア語を勉強しているのは知ってた。あそこまで話せるとは思ってなかったけど。
アイツはイタリアに行きたいんだなって、それだけサッカーに本気なんだなって。
あたしは、邪魔だけはしないようにしようって、イタリアに行ってしまっても、ずっとずっと応援し続けようって、そう思って、あたしは、あたしは――
アイツが足を骨折して試合に出られなかったとき、どれだけ悔しい思いをしていたのかを、あたしは知ってる。
今もサッカーへの想いが残っていること、あたしは知ってる。