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セクエストゥラータ

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「……でも、話を聞いてもらえるかな?」
「大丈夫、心当りが一人いるよ」

 イタリアの人は基本的に世話好きだと言われているが、それは親切にされたことが印象に残っているからで、街行く人の全員が世話好きなわけではない。
 ホテルで警察署までの道を教えてもらい、呼んでもらったタクシーで向かう。距離が短かったせいか、運転手は罵詈雑言を並べ挙げていた。言葉が分からないと思って好き放題に言っていたのだろう。
 近くですいませんでした、とチップを多めに払うと、バツが悪そうにしながらもしっかりと全額を受け取った。

「Posso parlare con il signor Baldini, per favore?」
 僕は警察署の入口で、ミラノで知り合ったカルロさんの弟、パオロ・バルディーニさんに会いたいという旨を伝えた。身分証を求められたのでパスポートを提示する。僕たちが日本人だと分かって、何かを納得したようだ。
「Un momento.」
「ねぇ、なんて言ってるの?」
「待ってろってさ」
 そして、待つこと五分。
「ハッハー! オマターセ!」
 やけにテンションの高い男性が僕らの前に現れた。
「兄から聞いてる。日本はいい試合だったな! 興奮して眠れなかったぞ!」
 日本のファンだというのは本当らしい。先ほど僕らの対応をしてくれた署員も彼が日本好きだと知っていたから、なるほど、という顔をしていたのだろう。
 口、あご、もみあげに不精ヒゲを生やし、M字に禿げ上がった黒い髪をしている。そのあたりは兄弟だと思ったけれど、お兄さんのカルロさんとは違い、僕よりも背が高く、身長は黒木先輩と同じぐらい。そして、しっかりと引き締まった身体をしていた。
 年齢的には三十代の後半ぐらい。胸元をはだけたヨレヨレのシャツを着ている。日本語とイタリア語を織り交ぜた言葉で、昨日の試合と昨夜の興奮を繰り返し説明していた。
 終わりそうにないと判断した僕は、意を決して話を切り出す。
「実は、聞いて頂きたいことが」
 話の途中でピタリと動きを止めて、蒼く透き通った目で僕と由佳の目を交互に覗き込んできた。
「ん? ひったくりにでもあったか?」
「いえ、友人が誘拐されてしまったんです」
 彼は何度か大きく頷くと、申し訳なさそうに笑った。
「あぁ、すまない。日本の冗談はまだ理解できないんだ」
「いえ、本当です」
 目の前のイタリア人は、しばらく動きを止めたままだった。

 *  *  *

「なるほどねぇ」
 僕らは署内の喫煙所のような場所に移動し、改めて話をした。
 奈津美が誘拐されたこと、僕と奈津美と由佳の関係、犯人からの電話の内容、黒木先輩が日本の警察官であったがため、既に警察には知られてしまっていることなど、思いつく限りを話した。
「……で、どうしたい?」
 それが僕らの話を聞き終えた彼の第一声だ。
「なんて言ってるの?」
 呆気に取られていた僕は、由佳に通訳することを忘れてしまっていた。
「あ、僕らはどうしたいのかって聞いてる」
「何よそれ、どうすればいいのかわかんないから来たんじゃない!」
 由佳が食ってかかったけれど、早口になると日本語は聞き取れないようで、両手を広げて困惑していた。
 とりあえず、僕は由佳を落ち着かせる。

 “どうしたい?”とは、また粋な切り返しだと思った。
 ローマにある日本大使館まで送って欲しいのか、犯人を捕まえて欲しいのか。
 “どうしたい?”
 僕は自分自身に問いかける。
 答えは一つだ。考えるまでもなく決まっている。
 奈津美が無事ならそれでいい。
 僕は奈津美を助けたい。
「Io voglio aiutare la donna sequestrata.」
 僕は答えた。彼女を助けたい、と。
「いいだろう。今からオレは協力者だ。パオロと呼べ、オレもユウと呼ぶ」
 握手を求める伸びてきた手を、僕は迷わず掴んだ。

 不意に携帯電話が鳴る。
 それは愛花さんからの着信を知らせる音。今朝のうちに、誰からかすぐに分かるようにと設定を変えておいたんだ。
「もしもし?」
「祐クン? 遅くなってゴメンね。まだヴェローナにいるの?」
「はい、僕らが乗る便は夕方ですから。何か分かりましたか?」
「奈津美ちゃんの母親についてなんだけど……。彼女は以前イタリアに住んでいた記録があったの。当時務めていた企業にも確認したから間違いないわ。二十三年前に仕事を辞めて、日本に戻ってるのね。で、日本に戻って半年以内に奈津美ちゃんが産まれているわ」
「結婚して妊娠して、仕事を辞めて日本に帰ってから、奈津美が生まれた?」
「それはちょっと違うわ」
「どういうことです?」
「戸籍には父親の名前が記載されてないのよ」
「え? でも奈津美は、父親は物心付く前に死んでしまったって……」
「彼女の母親は、ずっと河合姓のままなのよ。つまり、結婚してないの」
「それじゃあ、父親は誰か分からないってことですか?」
「そういうことね。でも、今回の事件と絡めて考えれば絞られてくると思うの。もうちょっと調べてみる。あぁ、もう行かなきゃ。一時間ぐらいで掛け直すわ」
 愛花さんとの電話が終わったあと、話の内容を由佳とパオロに説明した。それぞれ日本語とイタリア語で説明せねばならず、まさに二度手間だった。
「つまり奈津美の父親ってのが、日本代表チームに深い関わりがある人物ってわけだな」
 パオロが言ったその言葉は、犯人の言葉とも合致するし、僕も思っていたことだ。
 しかし、まだその可能性が高いというだけで、確証はない。

 時刻は午前十一時少し前。
 僕はある決意をし、パオロに相談した。
「由佳を日本に帰そうと思うんだ」
「賢明だな」
 パオロは二つ返事だった。
 由佳は嫌がるだろうが、現地の言葉を話せない彼女が残っていてもできることは何もない。それは僕自身にも言えることだが、犯人からの電話がある限りはイタリアを離れることはできない。
「オレの家に泊るといい。屋根と一日一枚のピッツァぐらいは提供するぜ」
 パオロはケラケラと笑った。
 不思議と、笑ってる場合じゃない、と言う気にはならなかった。
「ありがとうございます」
 僕は頭を下げてお礼を言う。
「いいさ、気にするな。それよりも、あの娘の説得は骨が折れそうだな。悪いがそっちの協力はできんぞ?」
 パオロはタバコに火をつけ吸い始める。
「犯人からの連絡はその電話に?」
「はい」
「よし、逆探知の手配をしよう」
 由佳は、僕とパオロのイタリア語での会話に怪訝な表情を浮かべている。これが女の勘というものなのだろうか。
「由佳、あのさ……」
 僕は由佳に向き直る。
「何?」
 明らかな警戒の色が見てとれた。この様子を見る限りでは、たしかに骨が折れそうだ。
「う……あ……お昼はどうしようか?」
 背後からパオロの含み笑いが聞こえてきた。由佳の迫力に圧されて言い淀んでしまった僕の姿は、余程滑稽だったのだろう。
 由佳は一変して寂しそうな表情になる。
「やめてよ。言いたいことは分かってる。あたしだってバカじゃないのよ?」
「由佳……」
 僕は今度こそ本当に何も言えなくなってしまった。
作品名:セクエストゥラータ 作家名:村崎右近