三色もみじ
真奈実
「あいつは一人なのかね。淋しいなあ」父は前を向きながら言った。
真奈実が視線の先を見ると、広場を挟んだ向かいの右前方に自分と同じぐらいの女性がベンチに座るところだった。
「あいつということはないでしょ、知らない人だし、失礼でしょ」真奈実は自分が言われたように、怒って言うと父はキョトンとした顔をしている。父はものを買いに言っても、横柄な態度で店員を怒らせてしまうことがある。かというと、医師などには必要以上に丁寧になり、相手を疲れさせてしまうことがある。この性格だけは似ずに良かったなあと真奈実は思った。
「いや、ついそう言ったが、俺も一人で公園のベンチに座ってたことあったんだけど、歩いている時は感じないんだが、一人で座ってると淋しいものなんだ」
父がしみじみという。口で言うほど相手をバカにしている訳ではないのだということはわかった。
真奈実も気になって前方を見る。女性は大きめのバッグから飲み物と食べ物を取りだした。辺りをぐるっと見渡し、飲み物を一口飲んでからおもむろにサンドイッチを口にしている。淋しいといえばそうだが、自由とも言える。真奈実には欲しくても手に入らないものだ。多分この先一人では生きて行けない夫、これからどんどん老いてゆく父。幸せを数値で比べることは出来ないけど、あの女性と替われるなら替わってもいいような気もした。そんな気持ちを振り払うように、
「お父さん、公園なんか、いつ行ったの」視界に入るもう一箇所のベンチの様子を何となく見ながら真奈実は父に聞いた。
「桜咲くころだよ。なんとなく、だな」
父が答えることを半分聞き流しながら、独りの女性とは離れた位置にある中年男女の座っているベンチを見る。夫婦なのだろうか、ずうっと話しをしている。楽しそうに、時に真面目な顔で、何を話しているのだろうと真奈実は思った。真奈実は夫と付き合い始めた頃を思い出した。夫の言うちょっとした冗談にも笑いこけ、二人で歩いているとどこまでも歩いていけそうな気がしていた。
あの頃は熱病にかかっていたのだろうと思った。思い出しても、懐かしさというより昔の自分が別人のように思えた。真奈実は、またため息が出そうになって、お握りで口を塞ぐ。
しばらく無言で食べていると、父がポツリと言った。
「十一面観音か」
「え、何」と真奈実が聞くと、父は少し照れたように、
「松美が物知りで」と父が母のことを言い出したのを、真奈実は珍しく思いながら聞く。
「どうして十一なんて半端な数なんどろうと俺が言ったら、教えてくれたんだ」
「へえ、そんな話をしたことがあるなんて信じられない」
真奈実の記憶では、夫婦仲良く話をしている姿は見た事がなかった。
「正面に三つ、左右にそれぞれ三つ、後ろに一つ、上に一つ、計十一面なんだ」
「下はないの」
「足の下は無理だろ」
「あ、そうか」真奈実が笑う。笑ったつもりだったが、心は晴れない。少しずつ子供になってゆくような父と夫。父がぺちゃぺちゃと音をたてて食べている。イヤだわ、夫が病気を理由にあれこれ世話をさせたがる。そして株や競馬など、働かないで金儲けをしようとして結局失ってしまう。共通の話題もないし喋りたいとも思わない。だんだん喋らなくなるのが夫婦なのだろうかと、自分達のことを思いながら真奈実は、話し続けている左前方の二人連れを見る。