Remember me? ~children~ final
テレビにはビデオカメラが繋がれている。
ずっと、優子の帰りをこうして待ち続け、大量の酒を飲んでいたとでも言うのだろうか。
「優子……優子……優子……」
テレビの前でひたすら、その名前を連呼する姿は、普段の優子の母さんからは想像も付かない様な光景だった。
どうやら、こちらの存在には気付いていないようだ。
近付こうと一歩踏み出した時、電話が鳴りだした。
彼女は電話の音にも全く動じる事なく、ひたすら名前を連呼し、画面を見続けている。
もし、警察に捜索願を出していたのなら、その報告かもしれない。
喋る事は出来ないが、今の状況下で電話に出られるのは僕だけだ。
受話器を取り耳に当てる。
「平井さんのお宅ですか? こちら先程、お電話頂いた――――お宅の娘さん――――」
何もかもが信じられなかった。
どうして優子が、こんな目に遭わなければならなかったのか。
僕の母さんも、どうしてあんな目に遭わなければならなかったのか。
死ぬのは……僕でよかったのに……。
「落ち着いて聞いて下さい。娘さんが、河川で死体となって見つかりました――――」
電話を受けた数時間後。
どうにか持ち直した優子の母さんを連れて、優子が運ばれた近場の病院を訪れた。
小さな優子の顔に掛けられた布。
青白く変色した肌。
霊安室に、死体となった優子は眠っていた。
優子の母さんはまだ酔いが回っていたせいもあるかもしれないが、始めは状況を把握出来ていなかった。
しかし、次第にその表情は悲哀に染まり、大きな鳴き声が室内に響いていた。
僕だけが、先に家に帰された。
優子、優子の母さん、僕。
いつも三人でいた家。
でも今は自室に僕一人だけ。
目蓋に涙が溢れ出し、やがて大粒が頬を伝った。
母さんの時と同じだ。
僕のせいで……僕が優子を守れなかったから……。
玄関のドアが開く音がした。
優子の母さんが帰って来たようだ。
それでも動く気にはなれない。
椅子の上で背中を丸めて、ひたすら泣いた。
「あなたが泣いて、どうにかなる事じゃないのよ」
低い声と共にドンッと、床を打ち付ける大きな音が部屋に響いた。
床に背中から打ちつけられたかと思うと、喉に激痛が走った。
首を絞められている。
誰に?
痛みで瞑っていた目を開けて、驚愕した。
床に倒れている僕に馬乗りになり、優子の母さんは恐ろしい形相で僕の首を絞めていたのだ。
「全部、あなたが悪いのよ。どうして優子を守ってくれなかったの? あの子にとっては、あなたこそ全てだった。あなた自身も、優子が全てだった筈」
僕の首に掛けられた手は、力の加減を知らない。
それどころか、彼女の言葉の一言一言が発せられる度に、その力は増していく。
「そう、あなたのママ。……楓だって、あなたさえいなければ死なずに済んだ。全部、あなたが悪いのよ!」
そうだ。
死ぬのは僕だけで良かった。
母さんも、優子も……きっと僕さえいなければ死ぬ事はなかった。
僕さえ、いなければ……。
「香奈! 何やってるんだ!」
突然、男の人の声が部屋に響いた。
優子の母さんはそれを聞いて咄嗟に、僕の首から手を離す。
呼吸が元に戻り、苦しさから解放される。
「皓! 戻って来てくれたのね!」
皓と呼ばれた男の人の元へ、彼女は抱き付く。
「皓! 優子が! 優子が!」
「分かってる。辛かったよな……本当に……」
男の人は泣いている。
「大丈夫だ。今は、俺が付いていてやるから」
「皓、あいつが……あのガキが優子を! 優子を!」
彼女は僕を指差し、男の人に訴え掛けている。
「分かった。そうだな」
僕の方を見る。
「君が麗太君か。香奈がすまなかったな。今夜は少々、取り込みが多いから、このまま寝てくれ。詳しい事は明日にでも話そう」
そう言うと男の人は、彼女を慰める様に頭を撫でながら、共に部屋を出て行った。
翌朝、皓という男の人とリビングで話をした。
優子の母さんは部屋で寝ている。
「俺は平井皓。優子の父親だよ」
優子の父さん。
会ったのは昨晩が初めてだ。
見たところの印象は、優子の母さんと年は同じくらいだろうか。
僕の母さんとも年は近そうだ。
『沙耶原麗太です』
いつも通りに筆談で返事をした。
どうやら僕の事情も踏まえている様だ。
「ああ、聞いてるよ。優子の事、今までありがとうな」
深々と頭を下げる彼に、僕は首を横に振る。
「昨日の事、気にしているのか? 麗太君のせいで、ああなったとは思っていないよ。香奈には、よく言い聞かせておくし」
この人も、優子を亡くして辛い筈なんだ。
それでも、こうやって僕と向かい合って話をしてくれている。
たったそれだけの事が、今の僕にとっては大きな慰めとなっていた。
「これからの事なんだが……俺はこの家で香奈と暮らす事にするよ。寂しい思いを……させたからね……。それに、まだまだやる事も残っているし」
この人が、今日からここで暮らす。
優子のいない、この家で……。
「昨日の夜。香奈を寝かした後。麗太君の父さんから連絡がきたんだ」
父さんが?
母さんの葬式にも参加する事もなかったのに、どうして今になって?
「もし、麗太君が望むのなら……だけど」
彼は一瞬の間を置いて言った。
「この街を出て、一緒に暮さないか? って。短い間ではあったけど、仕事の都合上で息子を一人にしてしまった事は申し訳ないと思ってる。そう言っていたよ」
おそらく、この家には、もう僕と一緒にいる事を望んでくれている人は一人もいない。
僕がいたとして、この家に住む二人とは何の接点もないのだ。
ましてや優子の母さんは、僕の首に手を掛けた程の人だ。
この家は僕の居場所じゃない。
『この街を出て、父さんと暮らします』
それが僕の出した答えだった。
優子も、優子の母さんも、家族同然の様に思っていた。
僕がこの家に預けられた日、二人は僕に対して家族同然の様に接してくれた。
それなのに今は……。
所詮、隣近所というだけの関係でしかなかったのだと、改めて思い知らされた。
その時、まるで鬱陶しかった重荷が外れた解放感と、自分自身の中で大切な何かを失ってしまった喪失感を覚えた翌日の朝。
声が出せるようになっていた。
声を取り戻した日。
この日が、優子の家で過ごす最後の日という事になる。
夕方に父さんが、僕を迎えに来るらしい。
それまでに学校へ行き、荷物等の整理をしなければならなかったのだが、今の僕にとって、いつも通りに学校へ行く気になど到底なれず、早朝に優子の父さんと二人で学校へ行き、先生への挨拶や荷物の処理をした。
その後に今まで通っていた脳外科医にも行った。
「今回の場合は……何かしらのショックや、ストレスからの解放等の精神的な変動が原因かもしれませんね」
かかり医は、さも当然の様に淡々と話していた。
僕の様な症状を出す人は、極稀というわけでもないらしい。
学校と病院、行くべき場所には全て行ったので、今日はずっと家にいる事になる。
作品名:Remember me? ~children~ final 作家名:レイ