Remember me? ~children~ final
近付いて、私の額に手を添える。
「熱は……ないみたいだけど」
「違うの……そうじゃなくって……」
ママは床に視線を落とす。
その時、表情が凍りついた。
今までに見た事のないような、困惑した表情。
「優子……このアルバム、見たの?」
黙る私に、ママは問う。
「見たのね?!」
怒鳴られた。
いつも大らかで穏やかな、あのママが私を怒鳴った。
そして私の両肩を強く掴み問い詰める。
「どうして?! 勝手にこんな物を見るなんて! ねえ、どうして?!」
数度、肩を揺らされ、私はママの手を振り払う。
そうか。
やっぱり、ママの反応を見る限り、小谷順子という女の人が言っていた事は本当だったんだ。
この家にない、赤ん坊の頃の私の写真。
お腹の膨れたママの写真に、ペンで書かれた文章。
そこには明らかに優太と書かれていた。
「ねえ、ママ……。小谷順子さんって、誰?」
その名前を聞いた途端に、ママは私から一歩引く。
「それに優太って? 私は何なの? 今まで、ママとパパで私に隠し事してきたって事?」
ママは答えようとしない。
「ねえ、嘘って言ってよ。いつもみたいに……笑って誤魔化してよ……」
部屋に降りる沈黙。
その数秒後、ママは重い口を開いた。
「そう。小谷が……来たのね」
「あの人と知り合いなの?」
「あの人、小谷順子は、皓が高校生の時にバイトしていたお店の人。そして……あなたの本当のママ」
「嘘……」
今まで頭の中では否定してきたけれど、ここにいるママの言い分を聞いてしまっては、否定のしようがない。
微かに浮かぶ、幼い頃の記憶。
私を見つめる悲しそうな、本当のママの表情。
私の頬にこぼれていた、今ここにいるママの涙。
その時のママの言葉。
『優子。あなたの名前は優子よ』
近所の人達の噂話。
『優子ちゃんも可哀想にねぇ』
『でも、仕方のない事なんじゃない? だって、香奈ちゃんが流産しちゃったの、あの順子って子のせいだって、噂になってるじゃない』
パパの泣き顔。
『ねえ、どうして泣いてるの?』
『ああ、いや……ちょっとな。嫌な事を思い出しちまって……』
泣きながらも笑い掛けるパパに、私も笑い掛けた。
『大丈夫! 嫌な事は、私とママで一緒にいれば、ぜーんぶ消えちゃうから!』
まるで、自分とは程遠い世界の事の様に感じていた。
ありえない。
さっきまでママだって信じて一緒にいた人が、実のママじゃなかったなんて。
「優子」
ママは私に手を差し伸べる。
今まで感じてきたものと同じ。
同じ匂い、同じ温もり。
けれど、それは偽物。
「嫌!」
叫び、私はママの手を振り払った。
「今まで、ずっと騙してたんだね。優太君って子の事も全部、隠して。私は……私の優子っていう名前も……全部、優太って子の代わりだったんでしょ!」
怒鳴る私を前に、ママは微動だにしない。
まるで、いつかこうなる事が分かっていたかのような、覚悟の様な何かが感じられた。
あの後、ママは何も言わずに、私を取り残して部屋から出て行った。
部屋に残された私は、あれからずっと床に深く座り込んでいる。
キッチンの方から聞こえてくる晩ご飯の支度をする音。
いつもと同じ。
でも、その時の私とママの間には、大きな歪の様なものが出来上っていた。
夕暮れの光が部屋に差し込み始める。
ああ、もう学校が終わる時間だ。
どれほどの間、ここに座り込んでいたんだろう。
立ち上がり部屋から出た。
リビングを通してキッチンから聞こえてくる音。
そんな普段、癒されていた筈の音が、今の私にとっては不気味な音にしか聞こえなかった。
それら全てが偽物だから。
偽物の家族。
偽物の家。
偽物の日常。
偽物の通学路。
偽物の学校。
偽物の友達。
偽物の街。
優太という子の代わりとして、今ここにいる偽物の私。
全てが偽物だ。
キッチンの方からは、先程と同じ音は未だ止まない。
聞こえてくる音に耐えかね、我慢ならずに立ち上がった。
おぼつかない足取りで玄関のドアを開け、外へ出ると、寒々しい冬の夕暮れ時の風が頬を鋭く切った。
全部、偽物。
なら、私がここにいる理由なんて、今はいない優太っていう子の埋め合わせにしかならない。
辺りは暗くなり、人家と街灯の明かりだけが辺りを照らしていた。
こんな時間に一人で、人通りの多い所にいては気が滅入るだけだ。
だから人のいる場所とは逆方向へ、誰もいない場所を求めて歩き続けた。
ふらふらになり辿り着いた場所は、河川沿いの土手だった。
普段、ここはママや先生からは、川に落ちたら危険だから絶対に立ち入ってはならないと、しつこく言われていた。
でも今の私にとって、そんな事はどうでもよかった。
坂になっている草むらを登り切り、コンクリートで舗装された、街灯も何にもない土手の道に出る。
土手の下から向こう側に掛けて見える街の明かり。
偽物の……街。
反対を振り返ると、川を挟んだ向こう側には隣町の夜景が見えた。
もっと向こう側には、僅かにビル群も見える。
そうか。
もっと向こう側は、ここよりも都会なんだ。
その時、私は思った。
こんな街から出て行きたい。
今ここにいる私の成す意味が偽物というのなら、こんな偽物の街から逃げ出せば、私はきっと本当の自分になれるのだと。
そうだ、遠くへ行こう。
自分自身が偽物だと気付いてしまった今、私にはこの街で今まで通りに過ごせる自信なんてない。
ママの私に対する態度や、学校で私が受けた扱いも……全て今の私が偽物だと自身に気付かせる為の出来事だったんだ。
河川沿いに隣接する草むらに座り、夜景を眺めた。
向こう側には、きっと新しい何かがある。
そんな想いを胸に。
「どうしてだろう」
頬を伝う涙を拭い、呟く。
「どうして……こんな……」
どうして今更、涙なんかが出るんだろう。
あの夜景を見る度に、余計に溢れ出る。
ついさっき、決心したばかりじゃないか。
それでも本音を言えば、この街から離れる事なんて有り得ない事だった。
だって生まれてからずっと、この街で過ごして、この街でマミちゃんや麗太君と出会って……。
でも、もう私に友達なんていない。
麗太君も……きっと私の事なんか……。
「どうして、こんな事になっちゃったんだろう……」
今まで、家で麗太君とママとで楽しく過ごし、学校でマミちゃん達と遊び、家に帰って三人で楽しく晩ご飯を食べる。
次の日も、その次の日も……ずっと。
そんな事が、ずっと続くと思っていたのに。
「どうして……今まで、あんなに楽しかったのに……家も学校も……どうして皆……」
「皆、平井を騙していたんだよ」
泣きながら呟き続ける私の後ろで、誰かが言った。
「マミも麗太も……クラスの奴らも、皆」
振り返ったすぐ後ろには光原君がいた。
かつて学校で、皆に振りまいていた様な笑顔とは逆の、曇り掛かった虚ろな表情。
どうして、こんな所に?
立ち上がり光原君と向かい合う。
「この際だから打ち明けるよ。クラスの奴ら皆、平井の事を嫌っていたんだよ」
「?」
作品名:Remember me? ~children~ final 作家名:レイ