Remember me? ~children~ 4
「そうよ。学校では喋る事もない。友達も、先生も、皆が知らない二人だけの時間が、マミちゃんと綾瀬君の間にはあるんでしょ?」
「綾瀬は……日曜日の教会へお祈りに行く時に一緒なだけで……」
「でも、私にクッキーの作り方を教わったのは、綾瀬君に食べてもらいたかったからでしょ?」
「はい……」
マミちゃんと綾瀬君の家は、それぞれがキリスト教の家計で、毎週日曜日は教会へ通っている。
クラスメイトの綾瀬君とは、学校では話したりはしないものの、日曜日だけは二人で教会へお祈りへ行くらしい。
なんでも、互いの両親がお祈りには参加しない代わりに、二人揃って行かせているとか。
「前に作ったクッキー。綾瀬……美味しいって言ってくれてました。あと、教会のシスターさんや他のクリスチャンの人達も」
先程まで気だるそうだった彼女だが、綾瀬君の話になると、どこか嬉しそうだ。
普段からクールを装ってはいるが、素が出ると可愛い。
優子から聞く学校でのマミちゃんとは大違いだ。
変に気取らないで、普段から素の自分を曝け出せば良いのに。
買い物鞄をマミちゃんに返し別れた後、真っ直ぐ家に帰った。
昼時よりも陽は少しだけ低い位置に傾いてきていて、暑さもかなりマシになっている。
庭の隅に自転車を停め、家に入ろうとしたところ「にゃぁー」という、鈍い猫の鳴き声が道路側から聞こえた。
鈍く鳴きながら、四本の足を地に着け背中を伸ばす。
「ああ! マルだ!」
はしゃいで私は駆け寄った。
マルの前でしゃがんで、頭や背中を軽く撫でる。
すると、また「にゃぁー」と鈍く鳴く。
「可愛い!」
マルは本当に可愛いなぁ。
ウチでも猫か何か飼おうかしら……。
無理かな。
世話も大変そうだし。
マルは大きく口を開けてあくびをした。
「マルはいいわね。猫って悩みとかあるの?」
また眠そうに鈍く鳴く。
「……まったく、私は猫に何を言ってるのかしらね。マルに相談してもしょうがないのに」
撫でるのを止めると、マルはピョンッと家を仕切る塀の上に跳んで、隣の家の塀の上を器用に歩いて行った。
こんな愚痴を話されたら、猫だって逃げ出してしまうわね。
冷房の電源を入れ、リビングを冷やした。
まず、部屋が涼しくないと夏は過ごせない。
こんな事、冷房なしの教室で勉強している優子に話したら、本気で怒られそうだ。
なんだか情けないなぁ、私って。
常々そう思う。
ソファに寝そべって、ジーンズのポケットに入れていた携帯を床に放り出す。
着信は一件もない。
最近、誰かとしたメールといえば、博美や啓太郎と会う予定を確認したっきり。
あと、今は誰にも言っていないけど、夏休みの少し前に皓から一通。
『心配掛けてごめん。仕事はしっかりやってるし、飯もちゃんと食べてる。だから俺は大丈夫。楓の事は俺も残念だと思ってる。すぐにでも、そっちへ帰りたい。でも今は駄目なんだ。まだ家には戻れない。一人で大変かもしれないけど、優子の事、頼んだからね」
皓が家を出て行って、約六カ月後に来たメールだった。
そのメールには、文の下に長いスペースが開けられていて、決まってこう書かれている。
『俺の事は探さないで。あとメールの返信もしないで』
私は皓の言う通り、居場所を探る為に仕事場に連絡を取って所在を聞いたりはしていない。
そんな事をすれば、なんとなく皓の事を裏切った様な気がしてしまいそうだから。
こちらの友人達にもメールの事は話さないようにと、最初のメールで言われた。
このメールを知れば、啓太郎や博美にアドレスがばれてしまうからだろう。
皓から来たメールのアドレスは、新しい物に変えられていた。
きっと私以外の、啓太郎や博美に連絡を取られる事を避ける為だ。
あの二人ならきっと、少しの手掛かりを掴んだ時点で、それを火種に皓の居場所を全力で探そうとする筈。
私の為に。
私は中途半端だ。
皓に帰って来て欲しいと願う毎日を過ごしているくせして、友人には皓の全てを打ち明けられないでいる。
こんな生活が、いつまで続くのだろうか?
長く続く筈もない。
優子も、麗太君も、やがて大人になって私から離れていく。
啓太郎や博美の様な友人達も、やがて家庭を持って私から離れていく。
博美は、もう何人かと付き合い別れを繰り返している。
啓太郎なんて、付き合っている今の彼女と同居までしているのだ。
皆、私から離れていく……皓も……。
「嫌だよ……皓」
ソファにうつ伏せになって目を瞑る。
皓の事が頭に思い浮かぶ。
嫌だ、皓の事が頭から離れない。
彼の笑顔、泣き顔、可愛い一面、かっこいい一面、色々な彼。
それらが思い浮かぶ度に切なくなって、溜まっていた涙がこぼれ出す。
「嫌だ……皓、どこにも行かないで……。私の所にいて……。私、寂しいの……皓」
小さな声で呟き続けた。
どれほどの時間、ソファに寝そべっていたのだろう。
外からの陽の光は、あまり変化がない。
私が思っていた程、時間は経っていないようだ。
こんな事ばっかりしていられない。
とりあえず体を起こそう。
ゆっくりとソファから起きあがった時、ふと、リビングの電話が鳴りだした。
慌てて駆け寄り受話器を取る。
街の総合病院の脳神経科の先生だ。
声の出せない麗太君のかかりつけ医でもある。
麗太君を私の家に預ける様に計画したのは、麗太君のパパだった。
仕事上、忙しい立ち位置でもあった彼は、麗太君を私に預け、会社近くのアパートに居を構えたそうだ。
親戚や両親の家に預けるという手もあったが、それは他県にある為に麗太君の生活環境を大きく変えてしまう事になる。
住む街や学校、何よりも友人関係。
その事を考慮して、麗太君は私の家に預けられる事になった。
妻である楓と親しかった私を信頼していた、というのも理由の一つだ。
それに、あの時は色々な事情が混在していた。
事故を起こした相手との事に関して、麗太君のパパも忙しかった様だし。
麗太君を脳神経科に通わせる事は、彼からの約束だった。
だから私は麗太君を預かってすぐ、彼を専門のかかりつけ医のいる病院へ連れて行った。
診断結果は一時的なショックやストレス。
今の生活に少しずつ慣れさせる事が必要なのだそうだ。
事故の時の事を思い出させる様な事は絶対にしてはいけないし、事故を起こした相手、そういった人物や関係者にも合う事は厳禁らしい。
麗太君はカウンセリングの為、一週間に一度、病院へ通う事になっている。
『自分が病院に通っている事は、優子には内緒にしてほしい』
そう麗太君から頼まれた。
だから優子には、麗太君の病院通いについては何も言っていない。
それで一時的なバランスは取れているのだ。
電話を掛けてきた先生の話は、麗太君の容体についての事だった。
先生の話では、ここ最近の麗太君は少しではあるが、愛想や雰囲気が明るくなったと言っていた。
今の生活に慣れてきた事もあるだろうけど、きっと大半は優子のおかげだ。
優子は、私が言った通り麗太君の支えになってくれた。
いや、それ以上の存在になったのだ。
作品名:Remember me? ~children~ 4 作家名:レイ