香水(コスモス4)
「ダメ?」
「ダメって、こっちも都合あるしよ。今日は無理だよ」
それ以上は何も云わない、何も聞かない。
初めてアツシに会った日も、ホテルに行った。
夜の繁華街を、Tシャツにジーンズのミニスカートにミュールといういでたちで、無防備に歩いていた。大したお金も持っていなくて、行くあてもなかった私を拾ったのがアツシだった。金髪にスーツ姿という明らかキャッチの格好に、なぜかスーパーの袋のような白いビニール袋を右手に持っていたのが印象的だった。「君可愛いね、お金に困ってない?良い仕事あるんだけど」と、近寄ってきた。何も云わずに黙っていたら、アツシはどこかへ諦めたのか、どこかへ行こうとした。何を思ったのだろう。私は、彼の裾を捕まえたのだ。行かないでほしいとばかりに。その後は、お決まりでホテルへ行って情事を済ませるに至る。ホテルを出る際に、アツシは例のビニール袋から小さな箱を取り出して私にくれた。
「パチンコで儲けたから」と、渡された箱は、サムライウーマンの香水だった。
何の変哲もない、ただの公共住宅地が目の前に広がっている。小さな引き出しがいっぱいの箪笥のようなその箱の中に、私の家がある。
重たい足を引きずって、ペンキの剥げかけた扉を開けた。入ってすぐに、男物のエナメルの靴が目についた。奥の居間から、男女の談笑が聞こえてきた。
聞かないように、聞かないように、そのまま自室に入ってしまおうとしたときに、奥から「綾香帰ったの?」という声が聞こえてきた。
反射的に、自室に飛び込むように入って、扉の鍵を閉めた。外から、「綾香、帰ったなら挨拶くらいしなさい」と、母親の声が聞こえてきた。お父さんもいらっしゃるのに。いや、いいんだよ。ごめんなさいね、あの子、反抗期かしら。誰だって、そういう時期があるさ。オギャーオギャー。あらあら、おしめかしら。僕がやるよ。あら、ごめんなさいねぇ。
反抗期かしら。
誰だって、そういう時期があるさ。
鞄の中から、夢中になってサムライウーマンの香水の瓶を探し出した。蓋を開けて、私自身に何度も振り掛ける。むせそうになる中で、呼吸が落ち着いていくのを感じた。
そんな言葉でくくらないでよ。そんな簡単に云い表せるほど、私は単純じゃない。
死ね。みんな、死ねばいいのに。