キャッチボール
その瞬間は、周りの景色がまるでスローモーションにでもなったかのように動いた。
振り出されたバットがボールを弾く。
ボールは一度形を歪めた後、元に戻りながら逆方向に進み始める。音もなくゆっくりとゆっくりと自分の頭上を越え、高く空へと向かって飛んで行く。
そして、ボールはスタンドに消えた。
「なぁんか実感無いんだよなぁ」
休み時間になったとたんに俺の所にとんできた幼馴染である早川隆二が急に言い出した。
「なにが?」
「だって俺達さ、野球をすることが生き甲斐みたいな感じだったじゃん? それなのに引退しちまったら生きてる意味無いじゃん」
「それは大袈裟過ぎないか?」
「いやいや、そのくらい野球とお前が好きなんだよ」
「気持ち悪いからやめてくれ。ホモかお前」
「う、うわっ、それ結構傷付くわ~辛いわ~」
「…………」
「……うぉい! 温度差激しいっ!」
隆二は叫びながらどこかへ行った。
あいつはアホだ。生粋のアホだ。18年間ずっと一緒に育ってきたから慣れてはいるけど。
でも、俺も野球部を引退してからはなんというか心にぽっかりと穴が開いたと言う表現が合いそうな状態になってしまっているのは事実だ。
実感がわかないと言うのも痛いほど分かる。
あいつ自身苦しいはずなのに、俺の事を心配して来てくれたのかと考えると悪いことをした気持ちになる。
「いつまでも引き摺ってないでちゃんと切り替えて勉強しなさいよ」
と母さんは俺の顔を見るたびに言ってくる。
そんなこと……言われなくてもわかってる。
あの瞬間の事は何度も忘れようと思った。
忘れたかった。でも、いつまでも脳裏に焼き付いていて、鮮明に思い出させられてしまう。
俺の高校の野球部は今年、甲子園を狙えると謳われていた程、実力のあるチームだった。
そんな俺達に期待してか、学校も地域も一丸になって応援してくれた。
しかし、結果は決勝の最終回で逆転サヨナラ負け。その瞬間が夢に出てきて俺を苦しめる。
当然だが野球部に対する周りの見方も元に戻る所か、以前よりも悪くなった気がする。
理由なんて特には存在しないがルーズリーフで折った紙飛行機を投げた。
紙飛行機は窓を飛び出してグラウンドに落ちる。自分達が練習をしてきた思い出のグラウンドに。
チャイムが鳴って、少し遅れて先生が入ってくる。俺は机に突っ伏したままで挨拶をやり過ごした。授業は始まったが意識がとんでしまった。
気が付くと親父と二人でグローブを持って公園の芝生に立っていた。
そうか、これは夢だ。俺の体も小さくなっているし、親父……父さんも今のようにやつれてはいず、元気だからだ。
父さんがこっちに向かってボールを投げた。
キャッチボールが始まった。
俺は慌てて手を伸ばしてボールを受け止める。
グローブを広げて見ると、買ったばかりのボールなのだろうか、白い粉がグローブの内側に沢山着いている。
俺がボールを握って投げ返す。
父さんがそれを受け止める。
「なぁ佑真、楽しいだろ?」
ボールを投げながら父さんが言った。
楽しい。その時は素直にそう思えた。
「うん! 楽しい!」
父さんはにっこりと笑った。
病室でみる笑顔と同じようで違う笑顔だった。
その時、飛んできたボールが頭に直撃して……
体を起こすと、真横で先生が俺を睨んでいる。
どうやら頭を叩かれたらしい。
授業が終わると、案の定にやにやした隆二がとんでくる。
「佑真く~ん、何が楽しいのかな?」
周りから笑い声があがる。
寝言を言ってしまっていたようだ。
俺は寝惚けたふりをしてクラスを笑わせておいた。
「俺、夢を見たんだ。親父が出てきた」
俺は親父に会いに病院に来ていた。
親父は3ヶ月前に癌が見つかった。末期だった。余命は聞かされていないが、もう長くはないだろう。
「そうか。楽しかっただろ?」
「えっ?」
「俺も夢にお前が出てきてキャッチボールをした」
「一緒だ」
「俺は楽しかったな。久し振りにお前とキャッチボールが出来たからな」
そう言って親父は笑う。どことなく寂しい笑顔。
「初心忘るべからず」
親父は突然真顔になって言った。
「最近の佑真は野球が嫌いだっただろ」
「はぁ? そんなわけないだろ」
「お前の事で俺にわからない事なんてないんだよ」
「それは嘘だろ」
「わかるぞ? お前が好きなサキちゃんとか」
「ち、ちげーよ! つかなんでサキをしってんだよ」
「お前の事はなんでも知ってるからな」
「まじかよ……」
きっと隆二のせいだろう。あいつはよく親父に会いに来ていたみたいだし。
「お前は、いやお前達は楽しんで野球をしなかったから負けたんだ」
「そんなこと」
「勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい……」
「そんなので勝てるわけが無いだろ?」
そんなことはとっくに気付いていた。
俺達はプレッシャーに負けたのだ。気付いてはいたが認めたくなかった。俺達は強かったと思いたかったのだ。負けたのは運が悪かっただけ。そう思った方が楽だった。
気持ちとは裏腹に、口からは勝手に非道い言葉が吐き出される。
「っうるせぇんだよ! もう引退してるし、受験のせいでどうせ野球なんて出来ねぇんだよ!」
こうなったら止まらない。親父も知っているはずだ。
「家に帰ったらババァが勉強勉強うるせぇしよ。見舞いに来てやったのにここでも説教かよ。まじ、意味わかんねぇ……」
俺は泣いていた。あの時は泣かなかったのに。
「俺、頑張ってきたよ? 努力もしたよ?」
「…………」
親父は黙って聞いていた。
「でも、なんで叶わないんだよ!」
「……ちっちゃい夢だな」
「はぁ!?」
「お前の人生は高校で終わるのか? 甲子園が終わったら死ぬのか? 違うだろ。勝った時の満足感を得るためだけに野球をするのか? 違うだろ!」
「それは……」
「そりゃあ野球に人生かけてる奴だっているさ。でもそいつらが野球を嫌いだと思うか?」
「ううん」
俺は首を横にふる。
「お前は楽しめてない。それじゃあ喧嘩とおんなじだ」
「…………」
「……もう今日は帰れ。俺がきついだろ」
そういうと親父は布団に潜ってしまった。
あの日の夢を見た。
周りがスローモーションになり、ボールが歪み、俺の頭上を越えてとんでいく。
スタンドへと入りかけたその時だった。
誰かがそのボールをジャンプキャッチしたのだ。
それは、なんと親父だった。
「佑真! お前には俺がついてる!」
そう言ってボールを握った方の手を空に掲げた。
「なぁ隆二」
帰り道に隆二に言った。あの公園の前だ。
「ん~?」
「キャッチボールしようぜ」
「おっキャッチボールか! い~ね~」
公園に入ると、グローブを取り出してはめた。
最初は近い距離から始まる。
「それにしても、どうしたんだ? 急にキャッチボールしよーぜなんてさ」
「初心忘るべからずだよ」
「なにそれ、シャー芯忘れるレズ?」
「あはははっ、なんだよそれ。バーカ」
「んなっ、馬鹿ってゆーお前も結構馬鹿だろ?」
「お前よりはましだよ」
「うるせえっ」
振り出されたバットがボールを弾く。
ボールは一度形を歪めた後、元に戻りながら逆方向に進み始める。音もなくゆっくりとゆっくりと自分の頭上を越え、高く空へと向かって飛んで行く。
そして、ボールはスタンドに消えた。
「なぁんか実感無いんだよなぁ」
休み時間になったとたんに俺の所にとんできた幼馴染である早川隆二が急に言い出した。
「なにが?」
「だって俺達さ、野球をすることが生き甲斐みたいな感じだったじゃん? それなのに引退しちまったら生きてる意味無いじゃん」
「それは大袈裟過ぎないか?」
「いやいや、そのくらい野球とお前が好きなんだよ」
「気持ち悪いからやめてくれ。ホモかお前」
「う、うわっ、それ結構傷付くわ~辛いわ~」
「…………」
「……うぉい! 温度差激しいっ!」
隆二は叫びながらどこかへ行った。
あいつはアホだ。生粋のアホだ。18年間ずっと一緒に育ってきたから慣れてはいるけど。
でも、俺も野球部を引退してからはなんというか心にぽっかりと穴が開いたと言う表現が合いそうな状態になってしまっているのは事実だ。
実感がわかないと言うのも痛いほど分かる。
あいつ自身苦しいはずなのに、俺の事を心配して来てくれたのかと考えると悪いことをした気持ちになる。
「いつまでも引き摺ってないでちゃんと切り替えて勉強しなさいよ」
と母さんは俺の顔を見るたびに言ってくる。
そんなこと……言われなくてもわかってる。
あの瞬間の事は何度も忘れようと思った。
忘れたかった。でも、いつまでも脳裏に焼き付いていて、鮮明に思い出させられてしまう。
俺の高校の野球部は今年、甲子園を狙えると謳われていた程、実力のあるチームだった。
そんな俺達に期待してか、学校も地域も一丸になって応援してくれた。
しかし、結果は決勝の最終回で逆転サヨナラ負け。その瞬間が夢に出てきて俺を苦しめる。
当然だが野球部に対する周りの見方も元に戻る所か、以前よりも悪くなった気がする。
理由なんて特には存在しないがルーズリーフで折った紙飛行機を投げた。
紙飛行機は窓を飛び出してグラウンドに落ちる。自分達が練習をしてきた思い出のグラウンドに。
チャイムが鳴って、少し遅れて先生が入ってくる。俺は机に突っ伏したままで挨拶をやり過ごした。授業は始まったが意識がとんでしまった。
気が付くと親父と二人でグローブを持って公園の芝生に立っていた。
そうか、これは夢だ。俺の体も小さくなっているし、親父……父さんも今のようにやつれてはいず、元気だからだ。
父さんがこっちに向かってボールを投げた。
キャッチボールが始まった。
俺は慌てて手を伸ばしてボールを受け止める。
グローブを広げて見ると、買ったばかりのボールなのだろうか、白い粉がグローブの内側に沢山着いている。
俺がボールを握って投げ返す。
父さんがそれを受け止める。
「なぁ佑真、楽しいだろ?」
ボールを投げながら父さんが言った。
楽しい。その時は素直にそう思えた。
「うん! 楽しい!」
父さんはにっこりと笑った。
病室でみる笑顔と同じようで違う笑顔だった。
その時、飛んできたボールが頭に直撃して……
体を起こすと、真横で先生が俺を睨んでいる。
どうやら頭を叩かれたらしい。
授業が終わると、案の定にやにやした隆二がとんでくる。
「佑真く~ん、何が楽しいのかな?」
周りから笑い声があがる。
寝言を言ってしまっていたようだ。
俺は寝惚けたふりをしてクラスを笑わせておいた。
「俺、夢を見たんだ。親父が出てきた」
俺は親父に会いに病院に来ていた。
親父は3ヶ月前に癌が見つかった。末期だった。余命は聞かされていないが、もう長くはないだろう。
「そうか。楽しかっただろ?」
「えっ?」
「俺も夢にお前が出てきてキャッチボールをした」
「一緒だ」
「俺は楽しかったな。久し振りにお前とキャッチボールが出来たからな」
そう言って親父は笑う。どことなく寂しい笑顔。
「初心忘るべからず」
親父は突然真顔になって言った。
「最近の佑真は野球が嫌いだっただろ」
「はぁ? そんなわけないだろ」
「お前の事で俺にわからない事なんてないんだよ」
「それは嘘だろ」
「わかるぞ? お前が好きなサキちゃんとか」
「ち、ちげーよ! つかなんでサキをしってんだよ」
「お前の事はなんでも知ってるからな」
「まじかよ……」
きっと隆二のせいだろう。あいつはよく親父に会いに来ていたみたいだし。
「お前は、いやお前達は楽しんで野球をしなかったから負けたんだ」
「そんなこと」
「勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい……」
「そんなので勝てるわけが無いだろ?」
そんなことはとっくに気付いていた。
俺達はプレッシャーに負けたのだ。気付いてはいたが認めたくなかった。俺達は強かったと思いたかったのだ。負けたのは運が悪かっただけ。そう思った方が楽だった。
気持ちとは裏腹に、口からは勝手に非道い言葉が吐き出される。
「っうるせぇんだよ! もう引退してるし、受験のせいでどうせ野球なんて出来ねぇんだよ!」
こうなったら止まらない。親父も知っているはずだ。
「家に帰ったらババァが勉強勉強うるせぇしよ。見舞いに来てやったのにここでも説教かよ。まじ、意味わかんねぇ……」
俺は泣いていた。あの時は泣かなかったのに。
「俺、頑張ってきたよ? 努力もしたよ?」
「…………」
親父は黙って聞いていた。
「でも、なんで叶わないんだよ!」
「……ちっちゃい夢だな」
「はぁ!?」
「お前の人生は高校で終わるのか? 甲子園が終わったら死ぬのか? 違うだろ。勝った時の満足感を得るためだけに野球をするのか? 違うだろ!」
「それは……」
「そりゃあ野球に人生かけてる奴だっているさ。でもそいつらが野球を嫌いだと思うか?」
「ううん」
俺は首を横にふる。
「お前は楽しめてない。それじゃあ喧嘩とおんなじだ」
「…………」
「……もう今日は帰れ。俺がきついだろ」
そういうと親父は布団に潜ってしまった。
あの日の夢を見た。
周りがスローモーションになり、ボールが歪み、俺の頭上を越えてとんでいく。
スタンドへと入りかけたその時だった。
誰かがそのボールをジャンプキャッチしたのだ。
それは、なんと親父だった。
「佑真! お前には俺がついてる!」
そう言ってボールを握った方の手を空に掲げた。
「なぁ隆二」
帰り道に隆二に言った。あの公園の前だ。
「ん~?」
「キャッチボールしようぜ」
「おっキャッチボールか! い~ね~」
公園に入ると、グローブを取り出してはめた。
最初は近い距離から始まる。
「それにしても、どうしたんだ? 急にキャッチボールしよーぜなんてさ」
「初心忘るべからずだよ」
「なにそれ、シャー芯忘れるレズ?」
「あはははっ、なんだよそれ。バーカ」
「んなっ、馬鹿ってゆーお前も結構馬鹿だろ?」
「お前よりはましだよ」
「うるせえっ」