素敵なあの子と
適当に相槌を打って、僕はバイクに跨った。サイドスタンドを外し、バランスを取って両足をしっかり地面につける。タンデムをするとき、パッセンジャーに不安を感じさせないのも、ライダーの役目だ。それは、乗る前から始まっている。
バイクの後ろに回った彼女は、目をきらきらさせている。
「肩に捕まって、ゆっくり乗って」振り向きながら言った。
「お邪魔しまーす」
彼女は極端に体重をかけるわけでもなく、スムースに後ろへ乗り込んだ、ふらつきはまったくない。普段から原付に乗っているから、ライダーの気持ちは少しはわかっているはずだ。
僕が次の指示をする前に、彼女の両手が僕の腹まで伸びてきて、ベルトを掴んだ。背中に、温かくやわらかい感触。鼓動が跳ね上がった。体温も急上昇。
「レッツゴー」彼女は後ろではしゃいでいる。
「ちゃんと掴まってね」
大きく深呼吸をして、どうにか落ち着きを取り戻す。動揺したまま運転するのは、危険極まりない。
エンジンをかけて、ニュートラルからローギアに入れた。行くよ、と声をかけてからゆっくりと発進する。ときどき、ミラーで彼女の姿を確認した。終始目を輝かせている。夕日のせいもあるだろう。
海沿いをずっと走るのは、僕も気持ちがよかった。さっきバイクを動かしていたのは、役場に用事があったからで、遊びに行っていたわけではない。
女の子を後ろに乗せて海沿いを走るなんて、ロマンチックの極み。後ろの彼女が、幼馴染のご近所さんではなくて恋人だったらいいのに、と彼女に失礼なことを考えてしまう。
「どうしてそんなに、大きなバイクにこだわるわけ?」後ろの彼女に聞こえるように、大声で言った。「ベスパじゃだめなの?」
「だから、原チャリは原チャリなの」負けじと彼女も声を張り上げる。「別に、大きいバイクにこだわってるんじゃないもん」
「じゃあなんでいつも、乗せて乗せてって言うわけ? 他にもバイクに乗ってる人なんて、けっこういるよ」
「聞きたい?」
あれ、と心の奥で何かが引っかかる。引っかかるというか、何か知らないものが顔を出した感じ。知らないと思い込んでいるだけで、実際は知っているのかもしれない。
再び心拍数が跳ね上がる。
「興味はある」やっとの思いで言葉を搾り出した。
「じゃあ、もっとスピード上げて」
「え?」
「怖くないから、上げちゃってよ」
ギアを上げて、更に加速する。85キロ。ここは車通りも極端に少ないし、道幅も広いから飛ばしてもそんなに危険ではない。
彼女の体が、更に背中に密着する。
エンジンは一気に高回転。
回転計もスピードメーターも右へ右へと振れる。
マフラーが吹き上がる。
対向車線から、県外ナンバーのトラック。
バイクとトラックの音が混ざる。他には何も聞こえない。
ミラーを見る。彼女の唇が動いた。
「あんたが、すきー!」
一瞬にして火照った体と頭を冷やすために、僕はひらすら夕焼けと潮風の中を走り続けた。心臓が耳元で鼓動を打つ。
耳まで真っ赤になった彼女のため、気の利いた言葉の一つも出てこない自分のためにも、僕は高鳴る胸の鼓動を抑えながら、騒音で何も聞こえなかったふりをする。