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 自分たちの出番が近付いて、ステージの袖で待機する。ステージでは次の出演者がスタンバイをしていて、司会のお兄さんが軽快なトークで間を繋いでいた。「豊橋メトロ! 本物やん!」と背後で声がした。関西、或いは西日本では有名な芸能人だろうか。
 豊橋メトロが言った。
「それでは、和歌山県代表、西川響介くんのパフォーマンスです!」
 ソロなんだ。と智子は前のめりになってステージを見つめる。その姿勢のまま、そして固まった。
 すごっ……。
 いい曲だとか、上手いとか、そういうことではなく、とにかくすごいと思った。歌とアコースティックギターだけのシンプルな音。けれど心が満たされていく。頭のてっぺんから足の先に向かって鳥肌が勢いよく駆け下りるのを幾度となく感じた。
 この人がグランプリだ。
 智子は直感的にそう思った。本物はやはり違う。
 西川響介の演奏が終わった。智子は心の中で拍手をした。
 スタッフに声を掛けられ、はっと我に返る。智子は一人、ステージに上がるのに出遅れてしまった。セッティングを急ぐが、西川響介が気になって仕方がない。ちらちらとステージの下手を窺う。西川響介と豊橋メトロが並んで立っている。
「では、星野さん、お願いします」
 ステージと客席の間には審査員席が設けられていて、そこに向かって豊橋メトロが言った。
「うーん、なんだろうな。綺麗にまとまりすぎてるって感じ? もっとこう、チャレンジングな部分がほしかったな。演奏はね、すごく上手だよ。すごく上手。楽曲も素晴らしいんだけど、面白みに欠けるよね。惜しい!」
 そう言って、なにがおもしろいのか、星野は笑った。
「ありがとうございます。では、五十嵐さん、お願いします」
 がさがさ、とマイクを手渡す音がした。
「彼の音楽は既に完成されてると思うんですよね。ただ、少々考えすぎるところがあるようですね。セッティングから見ておったんですが、マイクスタンドの角度を何度も何度も変えていました。そういうところが音楽にも出てしまっています。いささか堅苦しいですね」
「いやー、勉強になりますね」
 西川響介を気遣ってか、場違いな明るい声音で豊橋メトロが言うが、彼は審査員席を見下ろしたまま黙っていた。
 なんだ、この軽い兄ちゃんと暗いおっさんは。智子は先日の母親の言葉を思い出す。
『遊んでばっかりいないで勉強しな』
 大人にはわからないんだ。
 いかんいかん、と智子はぶるぶると首を横に振った。多分このライブは一生の思い出に残る。笑顔で楽しまないと。
 智子はエレクトリックベースのネックをぎゅっと握りしめた。
 全出演者の演奏が終わると、二次予選の時と同様に、各代表者がステージに上がった。
 ステージ中央に、主催者の男性が現れる。軽い挨拶の後、告げた。
「審査員特別賞は、和歌山県代表、西川響介」
 西川響介が淡々とステージ中央へと歩を進める。無表情のまま賞状を、そして受け取った。智子には西川響介がなにを考えているのかはっきりわかった。
 グランプリじゃない。
 西川響介が元の位置に戻ると、照明が落ちた。やけに長いドラムロールの後、一拍置いて、主催者が告げた。
「グランプリは、千葉県代表、『戦略的撤退』」
 人生最大のサプライズだった。

 メジャーデビューシングルのレコーディングの時、プロデューサーの星野に、高校を卒業したら東京で一人暮らしをする予定だと話すと、「五十嵐さんの所に住めば?」と言われた。マクドナルドでバイトすれば? というような軽い口ぶりに、智子は怪訝な表情を浮かべる。
「覚えてない? 大会で審査員やってたジャズドラマー。──あの時ね、賃貸業始めたって言ってたんだよ。確か吉祥寺だったと思うけど。智子ちゃんだったら、よくしてくれるかもよ。どうする? 連絡してあげよっか?」
 ああ、そういうこと。
 とりあえず話を聞いてみるか、と智子は「お願いします」と返事をした。
 星野の手際はよかった。レコーディングの最終日に、五十嵐がスタジオに姿を見せた。
「どうだったかな? レコーディングは」
「はい、まあ……」
 レコーディングは順調に進んだ。とはいっても、右も左もわからず、指示されるままに動いただけだが。ともあれ、大きな問題に直面することはなかった。智子はけれど口ごもってしまう。
「浮かない顔だね。これからメジャーデビューだというのに」
 そう言う五十嵐も浮かない声音だった。審査員でコメントしていた時を思い出す。おそらくこの人はこういう喋り方なのだろう。
「なんで私たちがここにいるんだろう、って思うんです。審査員特別賞の西川響介くんの方が歌も楽器も上手かったし、曲だって素晴らしかった。私たちは、ただ『制服を着た女の子のバンド』っていうだけでグランプリ。──なんだか、後ろめたいですよ」
「未完成の魅力だよ」
 未完成の魅力、と鸚鵡返しに言う。五十嵐は「いささか夢のない話をするよ?」と前置きして話した。
「主催者サイドがあの大会に求めていたものはダイヤの原石を発掘することだ。デビューして成功してもらわないと大会の威厳に関わる。そこで主催者サイドも必死なわけだよ。彼の音楽は完成されていた。商品にするには融通が利かない。彼が持っていないもので、あなたたちが持っていたもの、というのがあってね。──『可能性』だよ」
「そんなのめちゃくちゃじゃないですか。音楽コンテストなのに、下手なバンドが有利なんですか?」
「椿山さん。隙のない女性はもてないよ」
「なんですか、それ……」
「ただ、こんな話もある。あの大会には元々審査員特別賞なんてなかった。それを星野くんが、彼にも賞を与えるべきだ、と言い出して、急遽作ったんだ」

 智子は卒業して五十嵐が賃貸経営するアパート『カデンツァ吉祥寺』に住むことになった。『戦略的撤退』のメジャーデビューシングル『ごめん、待った?』はCDシングルランキング五十五位という、売れたのだか売れなかったのだかわからない数字を叩き出した。音楽でご飯を食べていくんだ、と決めたものの、とりあえず現状ではやっていけないと判断し、智子は居酒屋『不思議草』でアルバイトを始めた。こうして智子の東京生活が始まった。
 二〇一〇年一月のことだった。いつものように西川響介のブログを開くと、「重要なお知らせ」というタイトルが目に飛び込んできた。アーティストの「重要なお知らせ」は活動休止や解散など、ネガティブなものが多い。まさかね、と思いながらも、おそるおそる読み進めていくと、四月に上京する、という内容だった。智子はいても立ってもいられなくなり、「コメント」をクリックする。CDは通販サイトで揃えたし、ウェブサイトはほぼ毎日チェックしていたが、接触するのは初めてだ。
 さて、名前はどうしようか。
 智子は昔の渾名を思い出す。小学生の時に呼ばれていた渾名。長い年月を掛けて浸透していったものが、転校してぱったりと誰にも呼ばれなくなって寂しいと感じた渾名。

 智子。トモ。ティーモ。

 関東在住でライブに行けなくて歯噛みしていたことを強調し、これからは全てのライブに行きます、と自分にとっていかに嬉しいニュースであるかを書き綴った。
作品名:ディレイ 作家名:宇城和孝