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 突然、彩は小走りで図書室を出ていった。やがて戻ってくると、MDウォークマンを机の上に置いた。
「『リルラ リルハ』が入ってるから、まずは智子と世里香が聴いて」
 智子が右耳にイヤホンを差し込み、世里香が左耳にイヤホンを差し込む。智子は、やっぱり、と思う。使われている楽器の数が少ない。ちゃんと四人で演奏できる曲なんだ。
 聴き終えると、世里香が知穂にイヤホンを渡した。やがて知穂が楽しげに肩を揺らし始めた。周りには音楽が聴こえないので、その姿は滑稽なはずだが、おかしくなかった。
 忘れないで、見つめることを。今できるでしょう? 今しかないこの時間を、あなた次第で──。
 頭の中で木村カエラがもう一度歌った。
 智子はエレクトリックベースを思い浮かべる。

 あれだけ仕切っていた彩にリーダーを命名された。智子が一番しっかりしてるから、と言っていたが、実際にリーダーの仕事をしてみて、なるほど、と思った。メンバーの都合を聞いて、スタジオに予約を入れて、折り返しメンバーに伝える、というのは非常に面倒な作業だった。スタジオが埋まっていて予約が取れず、再度メンバーの都合を聞くという二度手間を取らされることもあり、大変だった。彩の奴め。
 六月になると、それなりに形になるようになった。彩の歌はカラオケでよく聴いていたので上手いのは知っていたし、世里香は何をやらせてもそれなりにこなしてしまう器用な女だったが、知穂が予想に反して頑張りを見せた。毎晩ギターを弾きながら寝落ちしているらしい。
「みんな、ごめん!」
 スタジオに入ってくるなり彩が叫んだ。
「二分前。遅刻じゃないよ」
 世里香が右手でスティックをくるくると回しながら言った。
「そうじゃなくて。一次予選の締め切り、来週だった」
 練習が楽しくてすっかり忘れていた。『戦略的撤退』は第一回全国高校軽音楽選手権大会に出場するために結成されたバンドだった。
 一次予選は音源審査。県内から八組が選ばれる。二次予選はライブ審査。県代表が選ばれる。決勝大会でグランプリが選ばれ、メジャーデビュー。仕組みはこうだ。けれど、とにかく演奏できなければ始まらない、と具体的な日程までは確認していなかった。
「彩、あのフライヤー持ってる?」
 彩は鞄からフライヤーを取り出した。申し訳なさそうに智子に手渡す。
 一次予選の締め切りは六月十五日。二次予選は七月十五日、会場は千葉市にあるライブハウス『ミッドナイトレイン』。決勝大会は八月二十五日と二十六日の二日間、会場は西日本最大のライブハウス『Zepp Osaka』。
 六月十五日。あと十日。
「どうしよう、智子」
「なんとかする」
 翌日、智子はイオンで『作曲の教科書』という本を買って、パソコンに『Easy Score Editer』というMIDIシーケンサーをダウンロードし、曲作りに取り掛かった。
 曲が完成すると、智子はメンバーを自宅に呼んだ。曲を聴きながら、全員で作詞をした。とはいっても、書いたのはほぼ智子と世里香で、彩と知穂は「それいい!」だとか「ここ違くない?」といったようなことを言っていただけだったが。ともあれ、『全力恋愛』という曲が出来上がった。楽譜をプリンターで印刷して、そこにボールペンで歌詞を書き込む。メンバーが帰る時、智子も一緒に家を出て、近くのコンビニでコピーを取って配った。
 二日連続でスタジオに入った。二日目、スタジオの店員に教えてもらいながら、自分たちの演奏をMDに録音した。いわゆる「一発録り」である。そうして出来た応募資料を、その翌日に郵便局に持っていった。六月十五日のことだった。つまり締め切り当日だ。
 こんな付け焼き刃の作品で合格できるわけがない。そう思いながらも、智子は今まで感じたことのない達成感で胸がいっぱいだった。

 信じられないことに、『戦略的撤退』は一次審査を通過した。
 千葉県の応募総数は六十四通だったが、その内の八組に選ばれてしまったのである。
 四人は昼休憩、図書室に集まった。今やここは『戦略的撤退』という名のクラブの部室のようになっていた。
「来週のライブなんだけど、作戦思いついたから聞いてくれる?」
「なになに?」
 彩が不敵な笑みで切り出し、知穂が興味津々といった具合に顔を寄せる。
「ステージ衣装なんだけどさ、学校の制服で出るって、どう?」
「いいかも」
 答えたのは世里香だった。頭に「どうでも」が付いていそうな、安定のクールビューティー。その艶やかな黒髪を耳に掛けながら、「灯台下暗しだね」と言葉を継いだ。
「高校生のイベントだけど、制服で出るという発想をする人はいない気がする。なんだかロックじゃないし。だけど衣装が揃ってるのは見栄えがいいし、イベントにも合っていていいと思う」
「この制服可愛いしね」
 知穂が紺色のチェックのスカートをぱたぱたさせる。
「じゃあ、ステージ衣装は制服で。──彩、リボン忘れないでね」
「今日はたまたまだってー」
 そうして迎えた七月十五日、智子たちは学校に集合した。夏の甲子園県予選の試合を終えて帰ってきた野球部と入れ違いで出発した。
 一時間半の電車の旅。四人で千葉市まで出掛けるのは初めてだった。彩と知穂は、終始周りに迷惑を掛けないかひやひやする程はしゃいでいた。いつもなら「うるさい!」と一喝するところだが、その光景に昨晩から続いていた緊張がほぐれて、智子は尊敬の念を抱いた。
 初めてのライブ。客席が暗くて見えないこと、照明が暑いこと、ステージで演奏するのがいかに気持ちいいものかということを知った。しかし、その高揚感は二組目のバンドの演奏が始まると、すぐに消え失せてしまった。
 うまっ……。
 当たり前の話だ。ここにいるのは選ばれた八組。まぐれでここにいる自分たちとは違う。
 八組の演奏が終わると、各代表者がステージに横一列に並んだ。司会のお姉さんが嬉しそうな声音で告げた。
「千葉県代表は、『戦略的撤退』のみなさん! おめでとうございます!」
 えっ、と智子は目を見開く。そのリアクションを、司会のお姉さんは読み違えたらしかった。智子の正面に立つと、泣き笑いの表情を作って、「大丈夫?」と智子の肩に優しく手を置いた。「一言お願いします」とマイクを、そして手渡した。
「あの、私たちの分際で、ごめんなさい!」
 そう言って頭を下げると、あちらこちらで笑いが起こった。
 どうして? 私たちよりずっと練習して、真面目に頑張ってきた人たちが、どうして笑えるの? 思い出作りのための即席のバンドを、メジャーデビューを目指している人たちが、どうして……。
 智子はされるがままに、認定証を受け取った。
「智子。いい曲を書ける人が売れるわけでもないし、楽器が上手な人が売れるわけでもないのよ」
 帰りの電車で、世里香が言った。

 八月二十六日。決勝大会二日目。大型の台風十一号の影響で大阪は大雨だった。
 千葉を出発する前、『Zepp Osaka』の前で写真を撮ろう、と話していたのだが、断念して足早に会場入りした。
 ひろー、ステージたかー、と彩と知穂は二次予選の時と同様にはしゃいだ。いよいよ智子は、こいつらは天才かもしれない、と思った。
作品名:ディレイ 作家名:宇城和孝