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「つまりこういうことだ。二人は事務所に有無を言わさず結婚するための強攻策に出た」
 うーん、と顎に手をやる。近年、芸能界でのできちゃった結婚が目立つ。それも、女癖が悪いと言われているお笑い芸人ではなく、俳優やミュージシャンに多い。
「石上慧の計画さ」
 あの野郎、と巻き舌で言って、長谷川は中空を睨む。荘太はパソコンを起動させると、インターネットのホームページを開いた。日本で一番一般的な、ポータルサイトの画面。ニューストピックスを確認する。
「妊娠二ヶ月 吉永理沙電撃結婚へ」
 クリックする。

 今月上旬、熱愛が報じられた女優、吉永理沙(二十五)が妊娠していることが二十日わかった。吉永と、交際相手の歌手の石上慧(二十一)はそれぞれの所属事務所に妊娠を報告しており、近く結婚の報告がありそうだ。
 交際が明らかになって約二週間。関係者によると、吉永は現在妊娠二ヶ月で、既に事務所には、「結婚したい」という強い意志と合わせて報告済みだという。
 この間、週刊誌やスポーツ紙では、今月八日に千葉県浦安市の東京ディズニーシーで仲良くデートしている様子も伝えられていた。
 だが、この時双方の事務所が交際を否定。石上が所属するパークファイブエンタープライズは「ディズニーシーに行ったのは事実だが、友人の一人で交際の事実はない」、吉永の所属するリズミープロモーションは「友達の一人で恋人ではない」としていた。
 映画、ドラマにひっぱりだこの吉永と、女子中高生に絶大な人気を誇る石上。今が売り時の芸能人には珍しい急展開の裏には、一体なにがあったのか。
「事務所に交際否定のコメントを出されたことで、『将来を考えた真剣な交際なのに』と考えた二人が強行突破したのか、との見方がある」(民放ワイドショーデスク)
 ゴールインの日取りは仕事のスケジュールを優先して決める意向。吉永は出演映画『僕の地球を回す人』が公開され、テレビ出演が目白押し。出産、結婚後も仕事を続けるという。

 なるほど、「事務所」という単語が頻繁に出てくる。結婚は家同士のイベント、といわれるが、芸能人の場合、そこに事務所も絡んでくるらしい。
 振り返ると、記事を読み終えるのを待っていたのか、長谷川が「俺、納得いかねえよ」と荘太を斜めに見上げた。
「できちゃった結婚って恥ずべきことじゃねえの? それをマスコミは『授かり婚』なんて言って、あたかも当然のことのように伝えてるし、吉永理沙も石上慧も人気があるから、若い連中は憧れたりするんじゃねえの? できちゃった結婚はできちゃった結婚だろ。よくねえよ、こんなの」
 俺の考え方が古いのか? と長谷川は再び中空を睨んだ。
 今やマスコミの影響力はインターネットの普及により弱まっている。いくら「授かり婚」を連呼したところで、滑稽な情報操作と認識されるだけで、ネガティブなニュアンスを払拭させることは難しいだろう。けれど芸能人の影響力に関しては依然として力を保っているように思う。彼らのようなスターは十代の神様だ。今後、できちゃった結婚が増加し、社会的意識が一般化するということも大いにあり得る。もしかすると、その傾向は既にあるかもしれない。結婚が先か、妊娠が先か。そう考えると、答えの見つからない研究のようにも思えてくる。だけど──。
「おめでたいことに変わりはないから、素直に『おめでとう』って言えないのは、悲しいね」
「…………」
「いや、別に長谷川を攻めてるわけじゃないんだけど……」
 長谷川は黙ったまま目を伏せた。まずい。怒らせてしまっただろうか。荘太にとって吉永理沙は一芸能人でしかない。客観的な意見を述べたが、長谷川の気持ちを汲んで、憤るべきだったかもしれない。長谷川に感情移入しようと試みて、はたと気付く。自分には憧れの芸能人がいない。できちゃった結婚の報道にショックを受けるような芸能人が。
 いや、待てよ、と思ったその時だった。長谷川の顔が上がる。「御前」と悪戯めいた声を、そして出した。
「ゴムはしろよ、ゴムは」
 一瞬なんの話かわからず、きょとんとする。ああ、コンドーム。すると今度は新たな疑問が浮かぶ。何故自分にその話を? なにも答えられずにいると、長谷川が「お前さ」と先程と同じ語調で言った。
「いつになったら俺に彼女を紹介してくれるわけ?」
「えっ」
 比喩ではなく、開いた口が塞がらない。そのリアクションを長谷川はどうやら読み違えたらしかった。唇を半分だけ持ち上げて続ける。
「わかりやすいんだよ、お前は。毎日毎日机にかじりついて寮の連中とも関わらないお前が、最近になって急に出掛けることが多くなった。……女だろ?」
「そんなわけ」
 ないだろう。
 続けようとしたところで、荘太の携帯電話のメールの着信音が鳴った。長谷川が、ほら見ろ、と言わんばかりに音の方向を指差す。荘太は机に向き直り、携帯電話を手に取ると、メールを開いた。
『荘太、今夜空いてる?』
 長谷川の推理は、正解で誤解だ。

     (三)

 ついにやってしまった。

 響介がアルバイトを早退したのは六月二日、土曜日のことだった。
 土曜日は一週間のうちで最も忙しい日だ。或いはそのプレッシャーもあったのかもしれない。賄いを食べ終えた直後、気分が悪くなって二階のトイレに入った。そして出られなくなった。早く戻らないと、という想いだけが空回りする。
 汗ばんだ手をズボンの右のポケットに突っ込み、最後の一錠になってしまった市販の吐き気止めを握りしめる。
 そういえば以前、パニック障害経験者だというカウンセラーのブログに、パニック発作が起こった時の対処法で、何もしない、というのがあったのを思い出した。病気なのだから発作が起こるのは当たり前で、自然なことなのだ、と。なんとかしないと、と焦るのは状況を悪化させるだけだと書いていた。その記事を読んだ時は目から鱗だった。パニック発作が起こった時、その名の通り、パニックに陥る。しかしこんなシンプルなことで、それを回避できるのか、と何度も頷いた。けれど部屋から漏れ聞こえてくる、あらゆる下手な歌声を聞きながら、響介は思う。無理だ。こうしている間にも客は来店するし、オーダーは入る。下にいる手島に迷惑が掛かる。パニック発作は、得てして起こっては困るという場面で起こるものだ。
 いくらじっとしていても回復の兆しはなかった。携帯電話を取り出すと、電話帳を開いて「店長」を表示する。通話ボタンの上に親指を乗せ、けれど押すことができない。
 消えてしまいたい。
 唐突に、トントン、と音がした。
 ドアの向こうの相手を気遣う優しいノック。響介はけれど、びくりと肩を震わせた。そっとしておいてくれ! 心の中で大声を上げながら、黙りを決め込む。
「響介、大丈夫か?」
 声に、ドアの方を振り返る。独特な、手島の声。丸みを帯びた声音が心に刺さる。手島はいつまで経っても戻らない響介を心配して来てくれたのだ。男子トイレの前まで。どんな顔をして手島の前に姿を現せばいいのかわからない。ドア越しに返事する。
「すいません。気分が悪くて……」
「帰っていいぞ。余力があるうちに帰った方がいい」
作品名:ディレイ 作家名:宇城和孝