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     (一)

 上村奈津紀は興奮していた。音楽が鳴り止んでも尚、体を前後に揺するのをやめなかった。
 なんて素敵な曲なんだろう。
 今朝、響介が突然やって来て、手渡していった一枚のCD。
「天使 西川響介」
 今度は歌詞だけを黙読する。そうすると、ラブレターを読んでいるような気分になり、あっ、と奈津紀は閃く。感想文を書いて渡そう。
 確か便せんがあったはず、と立ち上がったその時、部屋のチャイムが鳴った。小走りに玄関に向かう。ドアスコープを一瞬だけ覗いて、勢いよくドアノブを回した。
「トモちゃん!」
「調子は、どう?」
「まあまあかな。上がって」
 おじゃましまーす、とふざけ調子に言って、智子はキッチンを抜けて部屋へ向かった。奈津紀はキッチンに留まり、やかんを火にかける。すぐに湧くだろうと、その場で仁王立ちした。
「まあまあ、か。ちゃんと会えてるの?」
 部屋の方から智子の声が飛んでくる。
「うん。最近はキョンくん忙しそうだから、あんまり会っていないけれど、病気のせいで会えなかったっていうことは一度もないよ」
 キッチン台の棚からティーカップを二つ取り出しながら、奈津紀は答える。
「食事とかどうしてるの?」
「キョンくんの家で、私が作ったものを一緒に食べてる」
「大丈夫なの?」
「大丈夫みたい。家はリラックスするから」
「そっか。もうすっかりあそこは家って認識なのね」
 沸騰したお湯をティーカップに注ぐ。それからティーバッグを落として、蓋をした。砂糖とスプーンを添えたと同時に、智子がキッチンに現れた。
「もらうね」
「どうぞ」
 智子が紅茶を持って部屋に戻る。奈津紀はティーカップの蓋を取って、ティーバッグを捨てると、冷蔵庫から牛乳を取り出し、少しだけ注ぐ。
 遅れて部屋に戻ると、智子はCDケースを手に取って眺めていた。西川響介のニューシングル『天使』だ。奈津紀は、えっ、と思う。どうして黙っているのだろう。智子ならすぐにリアクションしそうなものなのに。ああ、と思い出す。響介の引っ越し祝いで集まった時の喧嘩。智子は響介の作品に敵意めいた感情を持っているのかもしれない。片付けておいた方がよかったかな、と奈津紀は片目を瞑る。なんて言えばいいだろう、と必死に頭を回転させていると、智子が「ふうん」と言いながら、CDケースをそっとテーブルに置いた。
「いい感じだね」
 明るい声音に安堵しながら、腰を下ろす。
「うん。今日発売のニューシングルだよ」
「あっ、そうなの? インディーズもやっぱり水曜日にリリースするんだね」
「えっ」
「CDは水曜日にリリースするのが一般的だから」
「そうなんだ」
 ティーカップに砂糖を入れて、スプーンを突っ込む。ミルクティが揺れた。
「ランキングの集計期間が月曜日から日曜日だから。水曜日リリースにすると、火曜日にショップに並ぶことになるでしょ?」
「フラゲだね」
「そう、フライングゲット。CDは発売直後の一週間が一番売れるから、火曜日から売り始めて六日間集計してもらった方が有利なの。ランキングもCDのプロモーションになるから、上位に入るためにみんなそうする」
「じゃあ、発売日を火曜日にして、月曜日に入荷するようにした方がよくない? そうすれば、まるまる七日間集計してもらえるよ?」
「それは流通の関係で無理なのよ。日曜日は流通会社がお休みだから。月曜日に届けようとすると、土曜日に着いてしまうショップが出てきちゃうわけ。そうなると、土日にCDが売れちゃうから、最初の集計期間が二日間になっちゃう」
「なるほど。大変よくわかりました」
 智子が、あはは、と笑う。奈津紀はミルクティを一口飲むと、「なんだ……」と声を漏らした。智子が、ん? と顔を向ける。
「今日ね、記念日なんだ。キョンくんと付き合って今日でちょうど三ヶ月」
「十六日?」
「うん。それに合わせて発売してくれたんだと思ってた」
「あっ、じゃあ、そうじゃない?」
 奈津紀は棚から西川響介のアルバムを二枚取り出した。裏返しにしてテーブルに並べると、スマートフォンでカレンダーを表示して、アルバムの発売日と照らし合わせる。どちらも水曜日だった。
「キョンくんも水曜日に発売するのにこだわってる。単なる偶然だったみたい」
「じゃあ、別になにかあるんじゃない?」
「ううん。バイト行っちゃった。そういうの重んじる人じゃないみたい」
「一ヶ月記念日もなにもなかったの?」
「遠恋だったから」
 そうだった、と肩を竦めて、智子は紅茶を静かに飲む。ティーカップをテーブルに置くと、再びCDケースを手に取った。中から歌詞カードを抜き取って開く。ややあってから、「でも」と優しい表情を浮かべた。
「これってさ、奈津紀のことだよね」
 奈津紀は響介の言葉を思い出す。
『ミュージシャンっていうのは、日記を公開する職業だから。頑張れ、愛してる、なんて他の誰かが歌ってる。俺は俺にしか歌えないものを歌っていく』
 多分、と小声で答える。やはりラブレターを読まれているような気分になる。
 智子は奈津紀に向き直ると、「じゃあさ」と微笑んだ。
「これをプレゼントだと思いなよ。三ヶ月、おめでとう」
「ありがとう」
 智子が歌詞カードをCDケースに戻すのを見て、奈津紀もアルバムを棚に戻す。「水曜日リリース……」という声を背中で聞いた。

     (二)

「御前、聞いてくれよ!」
 そう言って部屋に飛び込んできた長谷川は、今にも泣き出しそうな表情をしていた。実際にこの男が泣くことはないだろうから、「泣き出しそうだ」とアピールした顔を作っているのだろう。長谷川とは対照的に、荘太は落ち着いた様子で尋ねる。
「彼女となんかあった?」
「それどころじゃないんだって!」
 それどころじゃないということは、彼女ともなにかあるのか。忙しい男だな、と荘太は思う。
「吉永理沙が電撃結婚だ! でき婚だぜ、でき婚!」
 吉永理沙。グラビアアイドルから女優に転身して活躍している二十四歳。以前、長谷川に「めちゃくちゃ可愛いんだって!」と強引にドラマを見せられたことがある。夏クールだったから、今は二十五歳かもしれない。
「俺は明日から何永理沙を応援すればいいんだよ……」
 くだらない疑問には答えず、「お相手は?」と尋ねる。
「ワンスクの──、ダンスボーカルユニット『WONDER SQUARE』の石上慧」
 聞いたことがない。そんなことは想定済みだったらしく、長谷川はすぐさま言葉を継いだ。
「二十一だぜ、二十一! あいつに吉永理沙は任せられねえよ!」
 俺は絶対認めない、と父親のような台詞を吐き出すと、長谷川は力なく床に座り込み、頭を抱えた。ややあってから、「だいたいさ……」と怒るような、呆れるような口調で話し始めた。
「でき婚って、どういうことだよ。順序が逆だろ。普通は結婚して、それから子どもだろ。──御前、俺思うんだけどさ。これって、計画的犯行じゃねえか?」
「えっ」
「吉永理沙は女優として脂が乗っている時期だ。そして石上慧は若手のアイドルだ。それぞれの事務所が結婚を許すと思うか?」
「──思わない」
 長谷川の気迫に飲まれ、相手が望んでいるであろう返答をする。
作品名:ディレイ 作家名:宇城和孝