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「智子さんの妹さんもパニック障害なんですか?」
 一瞬、どうしようか迷ったが、これ以上噛み合わない会話をするわけにはいかないと思い、ここからは真実を話すことにした。
「そうなの」
「意外と多いんですね。僕は西川さんにパニック障害って聞いて、聞いたことがあるな、くらいのもんだったんですけど。実際にどんな病気なんですか?」
「それは響介に訊いた方がいいよ」
「いや、俺も聞きたい。パニック障害って一口に言っても、症状は千差万別なんだよ。パニック障害っていう大きなカテゴリーがあると思ってもらえるといい。俺の場合は、主に嘔吐恐怖なんだけど、智子ちゃんの妹は?」
 しばらく考えてみたが、専門的なことは知らなかった。「よくわからないんだけど」と前置きして答えた。
「ひどい時は動けなくなっちゃうみたい。声を出すのもしんどいみたいで、それこそ何もできなくなっちゃうの」
 響介が、うんうん、と頷く。
「嘔吐恐怖って?」
 荘太が深刻な顔で響介に尋ねる。
「吐くことに恐怖感があって、吐いてしまうんじゃないか、という不安感がある状態。どちらも強烈なもので、最悪、今智子ちゃんが言ったように動けなくなる」
「つまりその状態に陥るのが、西川さんが言ってた発作?」
「そう。パニック発作っていうんだけど。で、パニック発作を繰り返すのがパニック障害」
「なるほど。──あと、前から訊こうと思ってたんだけど、西川さん、お酒飲んで大丈夫なの? 薬飲んでるのに」
「アルコールにはパニック発作を抑える効果があるからね。寧ろ飲んだ方がいいんだって」
「それ本当?」
 笑い声の中、目だけをきょろきょろさせて時計を探す。CDレシーバーの上にそれを認めた。午後七時二十分。早くビールが飲みたい。智子はひっそりとため息を吐いた。

     (五)

 奈津紀が響介の部屋にやって来たのは午後八時を十五分程過ぎた頃だった。
 つまみは荘太の担当だったが、お菓子ばっかりじゃん、と不満を示した智子が、主役であるはずの響介に料理を出してほしいと注文した。奈津紀がそれを手伝い、テーブルには、豚キムチ、チョリソー、冷奴、冷やしトマトが並んだ。
 いても立ってもいられなくなり、荘太は四つのグラスに次々にビールを注いだ。「すいません」と消え入りそうな声で謝った。
「あんまり慣れてなくて……」
「荘太らしくていい」
 智子はそう言って、優しく微笑んだ。どきっとする。未だに下の名前で呼ばれることに慣れない。家族以外で「荘太」と呼ぶのは智子が初めてだった。
「引っ越し、おめでとう! 乾杯!」
 乾杯の音頭を取ったのは、やはり智子だった。楽器可とはいえ、アパートの一室ということで、やや控えめに「乾杯!」と声を合わせる。
「なにか気になるものはあった?」
 響介が智子に尋ねた。智子は料理が出揃うまでの間、ずっとCDラックを見ていた。
「ああ、うん。洋楽が多いね」
 その返答に、あれ? と思う。音楽に疎い自分が抱くような、ミュージシャンらしからぬ感想。音楽談義が始まる気配を感じさせたので肩透かしを喰らった気分だった。もしかしたらそうならないように、敢えて大雑把な言い方をしたのかもしれない。話に付いて行けないことは明白だが、刺激になるから聞きたかったのに、と思っていると、奈津紀が話を繋いだ。
「トモちゃんは邦楽専門だもんね」
「マニアックなだけよ」
 思いついたように「僕、iPod買ったんですよ」と報告する。
「寮の友達にも邦楽に詳しい人がいて、部屋がCDの図書館って感じで、おかげで五十曲入ってます。アーティスト数は三なんですけどね」
「へえ。誰と誰と誰なの?」
「内緒です。でもマニアックでハイセンスだと自負してます」
「インディーズとか?」
 響介が目を輝かせながら尋ねる。ノーコメント、と軽くあしらった。
「インディーズはいいよ。メジャーと比べるとそれほど商業的じゃないから、まっすぐ芯の通った音楽が多い。去年のレコード大賞、誰だか知ってる? アイドルだよ、アイドル。日本のミュージックシーンは狂ってる。そんなこともあって、インディーズは純粋な芸術を追求しているカテゴリーと言えると思う」
 でもさ、と口を挟んだのは智子だった。
「音楽に関わる人数と資金はメジャーの方が圧倒的に多いわけで、例えばミュージックビデオなんか見てごらんよ。やりたいことをやれてるのはメジャーの方じゃない? あのクオリティはインディーズには無理よ」
「重要なのは魂だ。CGを駆使したものが必ずしもいいとは限らない。『こんなこともできる』『あんなこともできる』ってひけらかしてるだけで中身がなかったりするじゃん。技術に目が眩んで大切なものを見失ってる気がするね」
「技術を追求するのは芸術に限らず、なんだってそうでしょ? インディーズはそれを放棄してるわけ? それって純粋な芸術なの? 井の中の蛙じゃん」
「音楽の技術を追求すべきなんだ。インディーズはそこに重点を置いてる。寧ろメジャーの方が作品が手元から離れて、色んな人間に料理されてしまう。作品へのこだわりを放棄してると言えるんじゃないか?」
「違う。多くの人が関わることで大きなパワーを生み出すのよ。響介だってわかってるはずでしょ。そうやってメジャーを敵にして、インディーズに甘んじてる自分を庇わないで」
「インディーズに甘んじてるだって? なに言ってんだよ、現代の音楽の主流は──」
「ちょっと待って!」
 奈津紀が泣きそうな顔で二人の会話を止める。そうだ、止めなければ。けれど徐々に熱を帯びてくる空気に圧倒され、荘太は視線を往復させることに終始した。
 今のは音楽談義じゃない。喧嘩だ。
 吹っ掛けたのは智子だった気がする。なにをそんなにむきになっているのだろう、と智子の顔を窺うと、目に薄ら涙を溜めているようだった。智子は「帰る」と一言だけ言って席を立った。「トモちゃん!」という奈津紀の声をシャットアウトするように、そしてドアを閉めた。

「今から話すことは本当のことなんですけど」
「なにそれ。荘太って嘘吐きなの?」
 智子の顔から笑みが零れる。自分の仕事は終わったような気がしたが、「そういうわけじゃないんですけど……」と話を続けることにした。いつかしようと思っていた話。時期が早まっただけだ。
「智子さん、好きな言葉って何ですか?」
「私は、そうね。継続は力なり、かな」
「僕は、そういったことわざや格言ではないんですけど」
「なに?」
「戦略的撤退」
 智子は驚いた表情を荘太に向けた。予想通りの反応だった。ややあって、やられた、という風に微苦笑を浮かべた。
「この言葉は自分自身も大事にしてますし、また他人に伝えていきたい言葉でもあるんですよね」
 智子が荘太の目を見つめる。思わず俯いてしまったが、その動作を利用し、祈りのように両手の指を絡ませて、語りますよ、というポーズを作った。
「僕は、立ち向かって乗り越えることが必ずしも正しいことじゃないと思ってるんです。逃げ道を作って、心を逃がしてあげることを忘れてはいけません。心が死んでしまう。それだけは絶対に避けなければならないんです」
「だけど逃げるのは、恰好よくないね」
作品名:ディレイ 作家名:宇城和孝