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天の卵~神さまのくれた赤ん坊~【後編】 Ⅳ・完結

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 有喜菜は自室のベッドに座り、その封筒を開けた。いかにも紗英子の好みらしい淡いピンク色の洋封筒を開くと、丁寧に折りたたんだお揃いの便せんと小さなお守りが出てきた。
―有喜菜へ
 大分、お産も近づいてきましたね。
 このお守りは奈良の有名なお寺で特別にご祈祷して頂いたものです。
 本当はあなたと一緒に安産祈願に行けたら良かったのだけれど、もういつ赤ちゃんが生まれるか判らない状態のあなたに遠出はできないと思い、私一人で出かけてきました。
 今度、逢うときに渡しても良いのですが、少しでも早く身につけて貰いたかったので、送ります。 
 寒くなってきたので、風邪など引かないように気をつけてください。
 それでは、また。
              紗英子 

 有喜菜は小さなお守りを眺めた。金地に朱で〝安産〟と刺繍されている。わざわざこのお守りを買うために、紗英子は新幹線に片道数時間乗って奈良まで出かけてきたのだ。
 ひと月前までの有喜菜なら、鼻で嗤って、もしかしたら、そのままゴミ箱に棄てたかもしれない。でも、今はできなかった。
 別に直輝の気持ちをはっきりと知って、紗英子に同情めいた気持ちを抱いたわけではない。それは、紗英子に対して、あまりにも失礼というものだろう。
 ただ、夫の―最も愛していた男の心を失ってまで得ようとしたもの、それが紗英子にとっては我が子であり、赤ん坊であった。その大切な赤ん坊を託されている身であれば、子どもの無事な誕生をひたすら願う母としての紗英子の心を無下にはできないと思ったのである。
 有喜菜はお守りをそっと握りしめてから、ジャンパースカートの肩紐に結びつけた。
「あなたのママからの贈り物よ。だから、最後まで一緒に頑張ろうね」
 有喜菜は本物の子どもが側にいるかのようにお腹を撫でながら、話しかける。すると、すぐに合図に応えるかのように、キックしてくる反応があった。
「ふふ、紗英子は私と違って昔から成績良かったものね。あなたもママに似て、きっとお利口さんなのね」
 有喜菜はお腹を撫でながら、話しかける。
 また数回、胎児が腹壁を蹴ってきた。
 いつしか有喜菜は泣いていた。だが、この涙が何に対する涙かは有喜菜自身にも判らなかった。
―考えてみれば、紗英子も含めて俺たちは出発点を間違えてしまったんだろうな。
 ただ、この時、有喜菜の耳奥では、公園で直輝が呟いた言葉がありありと甦っていた。
 何故、私たちは、こうなってしまったのだろう。かつての親友が親友ではなくなり、夫婦が別れるようなことになってしまったのか。
 めぐる想いに応えはない。
 ただ、これだけは一つ確かに言えることがあった。直輝の言うように、やはり間違いに気づいたならば、気づかないふりをしてそのまま同じ道を進むのではなく、勇気を出して振り出しに戻ってやり直すべきだ。
 それが、これ以上の不幸を重ねないための、せめてもの生きてゆくすべだろう。
 自分と直輝にも、そして、紗英子にも。
 この先、何が待ち受けているかは判らない。でも、とりあえず今の自分の役目は紗英子の子どもを生むこと。
 紗英子が何を犠牲にしても得たいと願った宝物。もしかしたら、この子が私の中に舞い降りてきたのも、天の神さまの意思なのかもしれない。恐らく、これが親友として彼女にしてあげられる最後のことになるだろう。
 有喜菜はひっそりと微笑んだ。自己満足でもない、混沌の中にひとすじの光を見出した彼女の横顔はどこか町の小さな教会で見かける、赤児のイエスを抱く聖母マリアにも似ていた。
 その時、有喜菜のお腹をまた、赤ん坊が元気よく蹴った。
 有喜菜の出産予定日まで、あと一ヶ月。
 
♦予知夢~黒い霧~♦ 

―苦しい。誰か助けて!
 一面を覆い尽くす漆黒の闇の中で、紗英子は懸命にもがいていた。自分を取り巻くのはただ黒い霧ばかりで、手探りで先に進もうとしても、一体、前進しているのか後退しているのかすら判らない。
 自分はここで何をしているのだろう。焦燥にも似た想いで一杯になり、狼狽え周囲を見回してみても、絶望を宿した瞳に映るのは、ただ黒い靄(もや)のようなものばかりで。
 よりいっそう深い落胆に囚われつつ、紗英子は眼をこらして何とか活路を見出そうとする。
 と、その時。スウッとあたかも海が割れてひとすじの道が現れるかのように、眼前の黒霧が晴れていった。何事かと前方を更に凝視していると、その中、あれほど立ちこめていたのが嘘のように、からりと晴れた前方に誰かがいるのに気づく。
―ねえ、そこにいるのは誰なの? お願い、私を助けて。
 紗英子は声を振り絞る。
 しかしながら、数十メートル先にいるはずの人間たちは、いっかな紗英子に気づく風もない。
 人間たち?
 紗英子は茫然として前方を見つめた。あそこにいるのは一人ではなく、二人だ。それにしても、あの人たちは何をしているのだろう。疑問に思いながら伸び上がるようにして見つめている中に、突如としてテレビ画面がクローズ・アップするように、一つの光景が大きく迫ってくる。
 その二人は男と女だった。男の顔は―。
 そこで、紗英子は背中に氷塊を入れられたように、ゾワリと身体中の膚が粟立つのを憶えた。
 男の顔は紛れもなく夫直輝のものではないか! 更に背中に届くロングヘアーしか見えないが、あの均整の取れた抜群の体躯を有しているのは。あそこまで並外れた容姿を持つ女を少なくとも紗英子は一人、知っている。
 そう、小学生時代からの親友宮澤有喜菜である。直輝がこちらを向いているのに対し、女の方は背を向けているので、紗英子の方からは容貌までは判別がつかない。
 だが、あの見事に成熟した肢体といい、艶やかな長い髪といい、すべては紗英子の記憶にある有喜菜のものと一致していた。かなり前から、有喜菜は明るいブラウンに染めていた髪を黒髪に戻し、伸ばしている。
 幾つもの闇を集めたような漆黒の長い髪は、彼女をよりエキゾチックで謎めいた美女に見せている。ご丁寧に、夢の中の女は、その丈なす豊かな黒髪までもが有喜菜と酷似していた。
 何故? どうして、直輝さんと有喜菜が?
 ただ一つの疑問だけが嵐に翻弄される頼りないわくら葉のように舞い踊る。
 現在、二人の間には何一つ接点はないはずだ。有喜菜が代理母であることを、夫は知らないのだから。
 有喜菜のことを考えている中に、紗英子の胸に苦いものが込み上げてきた。
 幼いときからの恋人であり、やがて夫となった大切な直輝についた小さな嘘。
 あれは確か、中二になったばかりの頃。それまで同じクラスだった直輝と有喜菜が離ればなれになり、入れかわるように紗英子と直輝が同じクラスになった。有喜菜から中一のときに紹介されて以来、紗英子は直輝にずっと憧れていた。
 でも、直輝はいつも有喜菜とくっついていて、二人の間に紗英子の入る余地はなかった。もちろん、当時、直輝と有喜菜はカップルというわけでもなく、付き合っていたわけでもない。
 二人がつるんでいる様子は、どこから見ても男の子同士の無邪気な友情に見えた。だが、紗英子はそれが気に入らなかった。