小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

天の卵~神さまのくれた赤ん坊~【後編】Ⅲ

INDEX|2ページ/8ページ|

次のページ前のページ
 

「するはずがないでしょ。男も結婚ももう懲り懲り。最初の男は最低だったわ。二度とあんな想いはしたくない」
「じゃあ、何で」
 言いかけ、自分でも良い歳をした男が口にする質問ではないと思った。
 有喜菜も三十六歳の女なのだ。他人には言えない交友関係もあるだろうし、当然、その中には深い仲の男もいるだろう。むしろ、これだけの良い女なのだから、男が放っておくはずがない。
 しかし、何故か直輝は面白くはなかった。有喜菜が顔も見たことのない男に抱かれているシーンを想像しただけで、怒りで眼裏が紅く染まりそうだ。
 が、自分は有喜菜の友達というだけにすぎず、彼女に対してそんなことを考える権利も自由もないはずだ。
 直輝が想いに囚われていると、有喜菜は思いも掛けないことを言った。
「お腹の子どもの父親が誰だか知ったら、あなたも愕くわよ」
「それは、どういう意味なんだ? お腹の子の父親を俺が知っているということか?」
 直輝は勢い込んで言い、途中でハッとして努めて冷静な自分を保とうとした。
「もし、その男が俺の知り合いだというのなら、君さえ良ければ、名前を聞かせてくれないか? 余計なお節介なら良いんだが、仮にそいつがきちんと責任を取らないだなんて言い張っているのなら、俺から話して落とし前はつけさせるから」
 有喜菜はクスリと笑って、直輝を意味ありげに見た、
「この子の父親は、あなたよ」
 その瞬間、直輝はまたしても呼吸が止まった。全く、有喜菜は何度、自分を殺せば気が済むのか?
「おい、冗談は止してくれよ。俺は真面目に話してるんだぞ?」
 冗談ではなかった。幾ら有喜菜が良い女になって現れたとしても、今、見苦しいくらいに彼女に欲望を感じているのだとしても、それはたった今のことじゃないか。
 俺は以前に有喜菜と関係を持ったことなど、ただの一度もない。それだけは断言できる。
 なのに、彼女は腹の子の父親は俺だと言う。そんな馬鹿な話があるか。それとも、有喜菜は頭がイカレちまったのか?
「そうね。信じられないかもしれないけど、私の話は嘘ではないわ。こんなことで、私も嘘を言ったりはしない。でも、私のお腹で今、育っている子どもは他でもない直輝の子なのよ」
 愕くべきことに、有喜菜は泣いていた。
 大粒の涙が堰を切ったように溢れている。
 昔から女の涙には弱い直輝は慌てた。
「何だか君の話は、俺にはさっぱり判らん。よく判るように説明してくれないか」
 優しく宥めるように言えば、有喜菜は涙を零しながら言った。
「奥さんから聞いたでしょ。代理母が妊娠したこと、初めての治療が成功したことは知らないの?」
 直輝は鋭く息を呑んだ。
「まさか。そんな、幾ら何でも君が」
 直輝は小さくかぶりを振り、絶句した。
「幾ら紗英子でも、それはあり得ない」
 有喜菜は泣き笑いの顔で言った。
「冗談でこんなことを言わないわ。紗英子から依頼を受けたのは去年の終わり、クリスマスの日だった。悩んだけれど、引き受けたの。処置を受けたのは三月一日で、妊娠が判ったのが三週間前」
 あれから既に何度か紗英子と共にS市のクリニックに行き、妊娠は確定だと言われている。ひと月経った今では、エコーに胎児の姿も確認され、心臓が動いている様子も見ていた。
 紗英子との間は別段、変わってはいない。今までにない微妙なよそよそしさは否めないが、上辺は穏やかで無難なやりとりが続いている。紗英子も今では有喜菜の私生活についてあれこれ口出しはしない。有喜菜は今でも相変わらずヒールの高いパンプスを履き、ウエストもベルトで締め上げている。
 悪阻も当初予想していたほどではなく、これまでどおり軽かったので、食べたい物を食べたいだけ食べていた。要するに、妊娠したからといって、生活パターンは何も変えていない。
 紗英子の表情から、言いたいことは山ほどあるようだが、少なくとも干渉や批判めいた科白はなかった。
「信じられない」
 直輝は呻き、真実を否定するかのように首を振った。
「何故、紗英子は君にそんなことを?」
 有喜菜は淡く笑んだ。
「それは私にも判らない。気心の知れた女友達に自分の大切な子ども生んで貰いたいと思ったのかもね」
「だからといって―」
 またも直輝は言葉を失う。
 一体、何をどうすれば、そんな愚かなことを考えつくというのだろうか。直輝にとってそうであるように、紗英子にとっても有喜菜は小学生時代以来の大切な親友ではないのか。
 更に、有喜菜は過去に三度も辛い流産・死産を経験しているという。確かに妊娠できる身体なのかもしれないが、そんな哀しい過去を背負った女性に対して、その身体に赤の他人の子を入れて産む代理母出産をせよとは―。
 直輝は最早、有喜菜にかけるべき言葉を持たなかった。直輝にとって、代理母というのは、他人の子どもを生むために腹を貸す道具だとしか思えない。つまり、利用されているだけだとしか。
 もちろん、有喜菜が紗英子に同情や共感を示して、有喜菜自身の意思で協力しようと申し出たのなら、また話は別だ。だが、話の流れからして、どうもそうではないようだし、第一、紗英子の思い込みの激しい性格からすれば、有喜菜に代理出産を頼むのを躊躇いはしないだろう。
 紗英子は、自分がずっと恋人であり妻だと思い続けてきた女は、親友にそこまで非常識なことを頼んだのか。相手の都合や考えをろくに考慮せずに、代理母になれと。紗英子にもし少しでも有喜菜を想う気持ちがあれば、間違っても、そんなことを頼みはしなかったろう。つまるところ、彼の妻は親友である有喜菜を自分の夢を叶えるための道具としか見なさなかったのだ。
「済まない。本当に、何をどう言って謝ったら良いか判らないよ」
 結局、紗英子は有喜菜の身体を利用したにすぎない。医療が発達した現代でも、年に数人はお産で生命を落とす不運な人もいるのだ。その生命賭けともいえる出産を自分の身勝手で大切な存在であるはずの親友に頼むなんて、直輝には信じられないことだ。
 紗英子には良心や優しさといったものはないのだろうか。有喜菜の手前、夫である直輝はただ恥じ入るしかない。
「それは良いの。別に紗英は私に強制したわけでもないし、それなりの報酬を提示して、頭を下げて頼んできたんだし。それを引き受けたのは私よ。だから、別にあなたや紗英をどうこう言うつもりはないの」
「報酬―」
 直輝は情けなさと怒りで泣きたい気分だった。
 俺の、俺が信じていた妻であったはずの女は、長年の親友に札束を積み上げて代理母になれと要求したのか。
 もう、おしまいだと思った。妻との間が既に修復不可能だとの自覚は薄々あったものの、ここまで心が冷えるとは思わなかった。
 今夜、これからマンションに帰って、自分は一体、どんな顔で妻を見れば良い? 何もなかったような顔で紗英子と話ができるだろうか。
「だから、あなたも紗英をこのことで責めたりしないで。紗英は、直輝に代理母については一切話してないはずよ。だったら、最後まで知らないふりを通してね」
 有喜菜の静かな声にいざなわれるように、直輝は顔を上げた。
「君はそれで良いのか?」
「構わないわ」