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天の卵~神さまのくれた赤ん坊~【後編】Ⅱ

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 有喜菜はやがて泥のような深い眠りの底に落ちていった。
 
♦RoundⅦ(再会)♦

 直輝はパソコンの画面から一時、眼を逸らした。こめかみに鈍い痛みを感じて、瞼を閉じ指先で軽く揉む。
 腕時計を覗き込むと、既に十二時はとうに回っている。直輝は深い吐息をついた。この時計は昨年のクリスマスに妻から贈られたものだ。京都の凜工房という小さな工房で凜太という職人が手作りしている。受注生産しかしないという伝説の若い職人で、一般に売られていることはまずない。
 だが、妻はN駅の地下街の時計店でこれを見つけたという。どういう経緯でこの時計が店に並んでいたかは判らないけれど、コレクターにとっては垂涎の的である凜工房の時計はさぞ高かったに相違ない。
 主婦のポケットマネーでさらりと買えるような代物ではないのだ。それをわざわざプレゼントとして贈った妻の心を思うと、いじらしいとも思うし、また申し訳ないとも思う。
 とはいえ、自分たちはもう二度と昔のように屈託ない間柄に戻ることはないだろう。そのことも直輝には判りすぎるくらい判っていた。
 もちろん、妻の紗英子とは単に夫婦として過ごしてきたというだけではない。互いにまだ子どもといえる十三歳のときから恋人として付き合い、結婚した。言わば、長年の歳月を共にした同士という感覚もあり、幾ら溝ができたからといって、憎んだり嫌ったりしているわけではない。
 が、夫婦として―いや、紗英子をもう一人の女として愛することは自分にはできないと、直輝は思っている。紗英子は昨年末、子宮全摘という大変な手術を受けた。男の自分には完全には理解し得ないことではあるけれども、女がその象徴ともいえる子宮を失うというのがどれだけ辛いかくらいは察せられた。
 その大変な手術を乗り越えた妻を、直輝は愛おしいと思っていた。結婚当初から子どもを欲しがり、様々な不妊治療を試みてきても、二人はついに子どもに恵まれず、最後は紗英子が子宮を失うという哀しい結果に終わった。
 よく子宮がなくなれば、女ではないなどと馬鹿げたことを言う輩がいるが、直輝は間違っても、紗英子をそんな風に見たことはない。子宮があろうがなかろうが、紗英子は妻であり、直輝にとっては生涯を共に歩くと決めた伴侶であった。今更、子どもができないことで彼女を責めるつもりも、離婚するつもりもなかった。
 むしろ、子宮を失ってしまった妻を側で支えてやりたいと願っていたほどだったのだ。
 だから、直輝の心が紗英子に対して醒めてしまったというのは、断じて紗英子の身体の変化には関係ないのだ。
 きっかけはクリスマスの当日、紗英子が代理母出産をしたいなどと言い出したことに違いない。あんな馬鹿げた話を紗英子が持ち出さなければ、自分たち夫婦の仲がここまでこじれることはなかった。
 直輝は最後まで何とか紗英子を翻意させようとした。直輝は熱心な信徒というわけではないが、いちおうクリスチャンだ。実家は代々、仏教を信仰している家で、別段それに逆らうつもりもなく、ただ何となく信仰を寄せているという程度のものである。
 たまには日曜朝に教会の礼拝に参加することもあった。煩雑な日常の中で、町外れの小さな教会に身を置くと、どこかホッとした気持ちになれるのは確かだ。礼拝に顔を出す中には、名前は知らずとも顔見知りになった人もいて、そんな人たちがいつものように礼拝に参加しているのを見ると嬉しくなった。
 時計のコレクション同様、彼がひそかなクリスチャンであることを妻は知らない。たまに日曜の朝、ふらりと出かけるのも散歩くらいにしか思っていないだろう。別に秘密にしておこうと思ったわけではないけれど、妻に知らせないひそやかな愉しみがあっても良いだろうと思って口にしなかっただけだ。
 それに心配性の紗英子に迂闊に話せば、
―信仰宗教に入れ込んでいるんじゃないんでしょうね。
 などと、騒ぎ立てるのは眼に見えている。
 紗英子という女は、実家や婚家が仏教を信奉しているのに、キリスト教に惹かれている―そういうことを理解できない、許せないのだ。常識的といえば聞こえは良いが、要するに許容力が狭いのである。
 思えば中学生の頃、時計のコレクションを紗英子に見せなかったのも、紗英子のその性格を自分は見抜いていたからかもしれない。もちろん、コレクションを見せたからといって、紗英子はそれを否定したりはしなかったろう。が、あれこれと根掘り葉掘り訊きたがるには違いなかった。
 男というものは自分が大切にしているものに対して、女にあまり口出しされるのは好まない。いや、それは男でも女でも同じなのではないかと思う。
 その点、有喜菜は違った。紗英子と付き合うようになる前の中一時代、有喜菜はよく直輝の自宅にも遊びにきた。別に有喜菜にコレクションを見せたのは偶然のなりゆきにすぎなかったけれど、あの時、有喜菜は眼を輝かせて〝凄いわ〟と言っただけで、彼のコレクションについて煩く訊ねてきたり論じたりすることはなかった。
 ただ一緒になって、直輝が大切に集めてきたコレクションに眺め入っていただけであった。あの時、有喜菜が静かな理解を示してくれことが、少年であった直輝には嬉しかった。たかだか中学生が集めた安物の腕時計たちがこの上なく価値のあるもののように思えたのだ。
 キリスト教で代理母を禁じているわけではないが、もしイエスがこの世におわせば、やはり妊娠・出産というそもそもは自然の領域である部分に人間の手が加わることは間違いだと言うに違いない。
 もちろん、直輝だとて人間である。人並みに子どもを欲しいと願う気持ちはあるし、我が子をこの腕に抱いてみたいとも思う。だが、妻以外の女の腹だけを借りて―他人の身体を道具として利用してまで、我が子を得たいとは思わない。
 その点が紗英子とは決定的に考えが異なるのである。しかも、紗英子は子宮を喪ったことで、怖いくらいに思いつめている。もう進むべき道がないと思い込み、何が何でも子どもを得なければという半ば強迫観念のようなものに取り憑かれているように見えた。
 これまで不妊治療には気が進まなかったものの、直輝は何とか協力してきた。紗英子にはこの言い方が気に入らなかったようではあるが、まさしく〝子どもを一途に欲しいと願う妻が可哀想〟だったからだ。
 直輝の考えでは、子どもは欲しいし、いればいるに越したことはないが、無理な治療を続けてまで得る必要はない。世の中には敢えて夫婦二人で生きていく生き方を選択する夫婦だっている。だから、自分たちも子どもは諦めて、夫婦で寄り添って生きていけば良いのではないかと考えていた。
 子どもは絶対にいなければならないという人生と、いなくても、何とかやっていけると思う人生。二人のこの考え方が夫婦間の亀裂を決定的なものにした。
 直輝は物想いから自分を解き放ち、また溜息をついた。正直、最近はこの妻から贈られた時計が重荷になりつつある。この時計を見る度に、妻の存在を強く意識してしまい、引いては例の代理出産のことに意識が飛んでしまうのだ。