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天の卵~神さまのくれた赤ん坊~【後編】Ⅰ

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 しかし、その度に、いや、そんなことはけしてないのだと自分に強く言い聞かせる。直輝だって、今は頑なに否定しているけれど、きっと可愛い赤ん坊の顔をひとめ見れば、紗英子のしようとしていることが間違いではないのだと判ってくれるに違いない。
 自分たちは紛れもない自分たち二人の血を引く子どもを仲立ちとして、これからもまた元のようにうまくいくだろう。そんな希望的観測を無理に抱き、紗英子は、すっかり冷淡になってしまった直輝には気づかないふりをして今までどおりにふるまうしかなかった。
 正月明けには、二回目の受診があった。その日も紗英子は有給を取った有喜菜と共に電車を使って二時間かけてクリニックに行った。そこでは、これからの治療の具体的計画が担当医から懇切丁寧に説明された。
 まず、有喜菜の方が投薬や注射によって妊娠しやすい体内環境を整えなければならない。一方で、紗英子もまた排卵を促す処置を受け、卵子が十分に成熟した状態で採卵、つまり体外に取り出さなければならない。そこで初めて直輝の精子を採取し、二人の卵子と精子を顕微授精で受精させる。
 通常、精子に問題がなければ顕微授精は行わないとされているが、今回は紗英子自身の強い希望で、より受精率を高めるためにこの措置を取ることになった。
 受精卵となった状態で注意深く成長を見守り、代理母の子宮へ戻しても良いところまで成長を待ってから、いよいよ有喜菜の子宮に戻すのだ。言葉にしてしまえばそれだけではあるが、この過程が実はとても大変なのだった。
 新しい年はこの第一段階の治療から始まり、有喜菜は間を詰めて通院することになった。むろん、紗英子もそのときには必ず付き添い、必要な経費はすべて紗英子が負担した。
 体外受精そのものの費用だけでも莫大なものになるはずで、正直、有喜菜の通院・治療費までを合わせると、その出費は侮れないものになった。むろん、紗英子の貯金だけではまかない切れず、紗英子は実家の両親に頭を下げて一部を出して貰った。
 紗英子の話を聞いた両親は初め、絶句した。
 紗英子自身、両親が結婚後、なかなか子宝に恵まれず十一年目にできた子どもである。両親もまた子どものできない辛さはよく理解はしてくれていた。しかし、そんな父親ですら、難しい表情で
―直輝君は一体、どう言っているんだ?
 と開口いちばんに訊いてきた。ここで隠し事をしても始まらないので、紗英子は現状をありのままに話した。
 と、父は腕組みをして首を振った。
―この話は諦めた方が良いんじゃないのか。確かに子どものいない人生は辛いものだが、しかし、それは夫婦仲が円満であってこそのものだろう。幾ら子どもができたって、直輝君とお前が仲違いするようなことにでもなれば、そこまでして子どもを作る意味がない。
 父の言葉はもっともではあった。
 母は黙って父娘のやりとりを聞いていたかと思うと、ひっそりと言った。
―私も大方はお父さんと同じ意見よ。でも、紗英子の気持ちも同じ女としてよく判るわ。私の場合は幸いにも紗英子という娘に恵まれたし、何しろ昔のことだから、代理出産なんて想像もつかない時代だったもの。でも、今は医学が発達して、私たち年寄りが想像も及ばないような方法で子どもを得ることができる。叶うならばと藁にも縋る想いで試したいと願う紗英子の気持ちも無理はないと思うのね。
 結局、父は渋面で紗英子の頼みを受け容れ、治療費の一部を負担してくれることを約束した。
―上手くいくと良いわね。
 帰り際、玄関まで見送ってくれた母のひとことだけが救いだった。
 月日は流れ、紗英子と有喜菜は何度か共にS市のクリニックに通い、必要な処置を受けた。こういう治療は非常にデリケートなものなので、すべてが予定どおりにいくとは限らない。が、今回は順調に進み、紗英子の卵子も数個、良好な状態で取り出せた。
 いよいよ直輝の精子提供が必要な場面が到来した時、当の直輝は憮然とした様子だった。
―お前、本当にやる気なのか?
 恐らく、それが夫からの最後通告だったのだろう。しかし、紗英子は気づかないふりをして、頷いた。
―もちろんよ、ここまでやったんだもの。最後までやらなかったら、きっと後悔すると思うし、私はやるわ。
 確かに、それは本音でもあった。賽(さい)は既に投げられたのだ。今、ここで止めることはできなかった。
 直輝は紗英子の決意が固いと見たのか、無表情に言い放った。
―約束だから、一度は協力する。ただし、二二度目はないぞ?
―判ったわ。これで成功しなければ、私も諦める。
 直輝も初めてクリニックに行き、精子の検査を受け正常と診断された上で、採取を行った。予め紗英子から採取した卵子と直輝の精子が顕微授精された。ここからも経過は順調で、三個の受精卵が発育したので紗英子は担当医とも相談した上で、二個の受精卵を有喜菜の子宮に入れることに決めた。
 そして、三月一日の今日、有喜菜に二個の受精卵が移された。
 
自分が健康な子どもを授かる可能性があると聞かされたときも、正直、有喜菜は何の感慨も湧かなかった。当然だろう、幾ら健やかな子どもであろうと、これから自分が身籠もろうとする赤ん坊は我が子ではない。よく借り腹という言葉があるけれども、まさに、代理母は借り腹にすぎないのだ。十月(とつき)十(とお)日(か)、自分の子宮で育て生命賭けで産み落としたとて、それは所詮、他人の子。有喜菜の子どもではない。
 自分の血を一滴たりとも引かない赤ん坊をどうして愛しいなどと思えるだろう。こんなことは馬鹿げている。常識や分別のある人間ならば、代理母出産など頼まれても―たとえいかほどの報酬を積まれようと即座に断るべきものだ。
 自分たち夫婦の子どもを生んで欲しい、代理母になって欲しいと頼まれた刹那、有喜菜は紗英子に裏切られたような気持ちになったものだ。少なくとも、有喜菜は紗英子を親友だと信じてきた。だが、親友だと思っていた女は、ただ有喜菜を利用価値のある道具だとしか見なさなかった。
 中には親友だから、そんなことも頼めるのだと訳知り顔で言う人もいるかもしれない。が、本当の友人であれば、まだ法律で認められてもいないような代理母出産を頼んだりするだろうか。
 少なくとも、有喜菜ならば、顔を見たこともない誰か別の女性に頼むだろうし、また端(はな)から、他人の子宮を借りてまで子を得ようとは思わないに違いない。子どものいない人生は淋しいけれど、従容と受け容れて静かに暮らす道を選ぶだろう。
 紗英子が代理母になって欲しいと言った瞬間から、自分たちを繋いでいた友としての絆は絶たれたに等しい。
 やはり、紗英子は有喜菜をその程度にしか見てはいなかったというのが、証明されたような出来事でもあった。有喜菜が紗英子に出逢ったのはもう二十六年も前のことになる。
 大阪から父の仕事の都合で引っ越してきた先の小学校で同じクラスになったのだ。性格が対照的だったせいか、二人は愕くほどうまくいった。やがて中学に入り、有喜菜は直輝に出逢う。これは誰にも話したことはないけれど、有喜菜は直輝を好きだった。いや、多分、今も彼への気持ちは変わっていないと思う。