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吉良吉田殺人事件

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「ごめんよ、信子...」
「あなた、最低。許しません...」
信子はそう言ったまま、移り変わる外の景色に見入っていた。
「分かってくれよ、ああするしかなかったのだよ。」
「何を分かれって言うの。どうしてあなただけがそんな目に合わなければいけないの。分かるわけ無いじゃない。どうして私たちが割をくわなければならないのよ。」
信子の言うのはもっともだった。
「だから、後のことは何とかするから、頼むから機嫌を直してください。」
京太郎は頼み込むように、両手を合わせた。
「そんな風に言ってもだめです。」
信子が口を尖らせて言った。
今まで、たいていの場合は最後に京太郎が手を合わせて謝ることで解決した。しかし、今度はさすがにそれほど簡単では、ない。
「絶対だめです。許しません。」
信子のそういう声には、これまでにない厳しさがあった。
「早くお仕事を見つけて下さい。明日からもう困るのですから。」
「わ、分かった。すぐに見つける。もうすでに、いくつかの塾の講師や、専門学校にも連絡を取った...」
「それで、すぐにお仕事がある訳ではないでしょ。もう45だし。」
「46だよ、あ、あのでもまだ体は大丈夫だし、頭も割としっかりしてる...」
「そうね、お体だけは大丈夫そうね。でも頭はどうかしら、時々良く忘れ物をなさるわ。そろそろ代え時かも。いっそ肉体労働でもされたら、私はそれでも構わないわ。お給料さへもらえれば...」
信子はそう言って、弁当の箱を開けた。
「ああ、お腹が減った。頼りない亭主を持つと、苦労するわ、お腹も減る...」
そう言って、名古屋で買った秋色の駅弁の野菜の一つを頬ばった。
「ああ、美味しい!でもあなたにはあげない。」
「ああ、それそれ...」
京太郎が悲鳴を上げる隣の席で、一人の若い男が、ゆっくりとサングラスを外していた...


島田は、サングラスを外すと、昨日の出来事を振り返った。

その日、彼は車を降りると、海岸を歩き始めた。潮の香りが途端に島田の鼻を突いた。小さな土手にはリンドウの紫色の花々が一斉にこちらを向いて囁いている様な気がした。宮崎海岸と呼ばれる、穏やかな内海を前方に見渡すその海岸は、地元の人々には夏の海水浴場として知られ、近頃では関東又、関西方面からも観光ツアーやバスが訪れる所だった。その穏やかな海辺の景色と白い砂浜が、島田の心を一瞬、ほっと一息付かせた。初夏の晴れ渡った空の下、青い湖面がきらきらと、午後の日差しに輝いていた。島田はふーっと、胸いっぱいに深呼吸をしてみた。いつもの仕事からは想像も出来ない解放感が、あった。何と言うこともなく、白い砂浜を埠頭に向かって歩いていると、海岸の向こうから同じく一人の女性がこちらに向かって歩いて来た。何気なく見上げると、彼女と視線が合った。少し寂しげだが、どこか人懐こさがある表情だった。
 すれ違いざまに彼女の眼が、島田を見て微笑んだ。島田も戸惑いながらもぎこちない微笑みを返した。
「こんにちは。」
言葉を発したのは彼女の方だった。
「こ、こんにちは...」
普段、女性からこんな風に声をかけられたことはない。それだけに島田は、戸惑った。
彼女はそのまま。歩き去った。島田も少し歩みを進めたが、やがて立ち止まって、後ろを振り向いた。彼女は浜辺にたたずみ、所在なさ気に遠くの海を眺めていた。島田は何か言おうとしたが、言葉が見つからず、仕方なくそのまま前に行こうとした。
「あの...」
きっかけを作ったのは彼女の方だった。
島田の視線に気付いたのか、彼女の方が声をかけた。
「...靴の紐が、ほどけていますわ...」
島田が自分の足元を見ると、なるほど片方の靴の紐が解けて、地面に垂れていた。
「あ、ありがとう。」
「...」
彼女はそのまま、何事も無かったように、海を見つめている。
今度は島田の番だった。
「あの、お、お一人ですか?」
半ばどもりそうになるのをようやく堪え、それだけ言った。
彼女は一瞬、うれしそうな微笑みを浮かべたが、すぐにそれを押し殺すようにして、
「ええ、そうですわ...」
と、言った。

しばらくすると、二人は青い海に向かう、水色のベンチに腰を掛け楽しげに話をしていた。
初夏の空に向かって、海面の水がきらきらと輝いていた。島田の胸は軽やかにときめき、自然と饒舌になっていた。仕事の話や、日々の過ごし方から、学生時代の思い出など、何でも話すことが出来た。島田にとってこの女性は、自分のことを何でも受け入れてくれる、そんな心の広さを感じた。以前どこかで出会ったような懐かしさ...それは彼女とすれ違った瞬間に、島田が感じたものだった。

「それで、僕はいつも時間に追われているのです。つまらないでしょ、こんな話。」
「ううん、ぜんぜん。楽しいわ。何だか久しぶりだわ、こんなに楽しくお話しできたの。」
「実は、僕もそうです。どちらかというと、普段は無口な方です。」
「私もよ。」
いつになく、大きな声になっている自分に気付いて島田は少し恥ずかしい気がした。そして、同時に、思い切ってこの女性に自分の癖のことを話してみようか、と思った。彼女ならひょっとして、受け入れてくれるかもしれない、俺のことを...そんな、淡い期待も、あった。
「...実は、僕には一つ、妙な癖があるのです。」
島田が、少し躊躇いながら、切り出した。
「癖...?」
洋子と名乗る、その女性がきょとんとした顔で、言った。
「ええ、言ってもかまわないですか?」
「別に、私は...構わないわ。」
一瞬、彼女の顔に走った影を、今の島田は見届ける余裕は無かった。
「僕は...」
島田が、ためらいながら言った。
「...確認症なのです。」
「確認症...?」
洋子にその意味は分からない。
「ええ、時間を、...」
島田は思い切って、言うことにした。
「常に、時間を確認しないと気が済まないのです。」
「....」
洋子は島田の方を向いて、口をぽかんと開けたまま、その丸く大きな目を開いた。
「き、気に障りましたか?」
島田がそう言うと、

「...いいえ、ぜんぜん。」
洋子が島田をじっと見つめて言った。
「...実は、私もそうなの...」
洋子のその言葉に、今度は島田の方がぽっかりと口を開けた。

「私、いつも時計と睨めっこ。何をするにも時間を気にしていないと気が済まないの...」
驚いたのは、島田の方だ。自分と同じ悩みを持つ人がこの世にいる。しかも、今日こうして、偶然めぐり合い、ここで、一緒に話をしている。島田は何とも運命的なものを感じざるを得なかった。そして、自分と同類のこの洋子に対し、単なる女性として以上の親近感や懐かしさを思わずにはいられなかった。その気持ちは、洋子にとっても同じだった。
「...だから、私、彼が出来ても、いつも時間で縛ってしまって、みんな息苦しくて逃げて行ってしまうの。私も、今日は30分だけとか、1時間でかえらなくては、とか、そうせざるを得ないの。変でしょ。」
...自分と同じ悩みを持つ、この女性に対し、懐かしさとおかしさをこらえて、
「それで...」
島田が少し躊躇いながら、
「今日はまだ帰らなくていいのですか?」
と、聞いた。
作品名:吉良吉田殺人事件 作家名:Yo Kimura