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笑うのっぺらぼう

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「――っ!」
 私は椅子から転げ落ちた。
「あら、大丈夫?」
 どうやら図書委員の仕事中に眠ってしまったらしい。椅子から転げ落ちた私を、司書の先生は優しく引き起こしてくれる。
「疲れているのかしら。今日はもう帰ったら?」
「いえ、大丈夫です。ちょっと気を緩めてしまっただけです」
 恥ずかしい姿を見せてしまった。私は半ば照れながら、衣服の埃を払う。
 うーん、色々と油断してしまった。私は気を引き締める。
 どうやらそんなに時間は経っていないみたいだ。私は安堵しながら、手元に並んだ本を棚に移して行く。
 それにしても酷い夢だ。いくらのっぺらぼうの話が頭に残っているからって、あんな夢を見ることもないだろうに。
 ふと、妖怪解説本、という怪しげな一冊に目が止まる。
「何、これ?」
 私はその本を開く。どうやら図鑑形式で様々な妖怪に関する元ネタ、解説を行っているような内容だ。
 丁度話題となっているのっぺらぼうの記事を見つける。私はその記事を読み進める。

『東北から沖縄まで、日本全国様々な地域に伝承が残っている妖怪であり、代表的な『再度の怪』と呼ばれる怪談手法を取り入れた妖怪話である。
 ――『再度の怪』とは、二度に渡って人を驚かすという怪談手法であり、のっぺらぼうのストーリー(通りがかりの男が背を向けた女に声を掛けたら、その女には顔がなかった。慌てて逃げ出した男が逃げ込んだ店の店主に、そのことを話すと店主は顔を撫でて「こんな顔ですかい?」と男に問い掛けた。店主には顔がなかった)は典型的な再度の怪であると言える。
 ――その正体はムジナ、狸や狐などの物の怪の類とされる話も残っている』

 大まかにまとめればそんな解説だ。後はお歯黒べったりや尻目、ぬっぺふほふなど同系統の妖怪にも触れられている。
 こうやって解説されると、今さっき見た夢についての恐怖心もなんだか薄らいできた。
 のっぺらぼう。無個性の象徴とも言えるだろうか。
 私こそのっぺらぼうなのかも知れない。人に合わせて色々な表情を張り付けるのっぺらぼう。
 まあ、これは私の処世術であるが故、このスタンスを変えようとは思わない。だが改めて考えてみると、きついものがある。まるで『お前には自分がない』と言われているみたいで、足元すら覚束なくなる。
 いや、考えないようにしよう。それが、今の自分が自分である為の何よりの手段なのだから。

 学校を出ると、私は駅へと向かう。駅周辺で遊んでいる大崎に会うためだ。私は彼女へ居場所確認のメールを送る。
 ……返事がないまま駅前へと辿り着いた。
 はてさて、どこにいるのか分からないのでは、探し様がない。メールが帰ってくるまでの暇を潰す為に書店へと足を運ぼうと思い、路地裏へと足を踏み入れる。
 老父が一人で営業している古書店であり、落語を聞くのが趣味なのだ。カウンターに座り込み日がな一日中ラジカセで落語を聞いているのだ。考え事をすると額に手を置く癖があって、私はその癖が少し好きなのだ。
 しばらく歩くと道端で女の人がしゃがみ込んでいた。私は女性の横を通り過ぎる。
 ――顔が欲しい。
 ふと、耳元で誰かが囁いた。
 しかし、そこには誰もいない。いるのは、少し後ろでしゃがみ込んでいる女性だけだ。
 イヤナヨカンガシタ。私はゆっくりと振り返る。
 女性は立ち上がっていた。ゆらり、ゆらりと揺れており、俯いているせいで顔を伺い知れない。
 女性は、ゆっくりを面を上げる。
 イヤナヨカンガシタ。
 顔を見てはいけない。あの女の顔を見てはいけない。警戒心が、危機感が、そう喚き散らしている。
 しかし、足は全く動かない。何故だろうか。なんでこんな時に限って足が動かない。
 女がこちらを見た。
 顔がなかった。面の皮は剥ぎ取られ、鼻梁は陥没し、眼窩はただの洞穴になっている。
「ア゛、ア゛ァァアァァァア゛……」
 女は唸る。舌も引き抜かれ、喉笛は握り潰されている。
 眼窩より転げ落ちた目玉が、こちらを覗く。
「あ、あぁ、うわぁぁぁぁぁぁっ!」
 恐怖で器が満たされる。私は弾けるように逃げだした。
 路地裏を走り回り、覚えのある道を直走りながら、書店へと走る。あそこなら店主の老父がいる筈だ。
 無我夢中で走ったせいだろうか。書店までの道のりを私は覚えていなかった。
 小さな書店だ。老父が趣味がてらに開いた古書店。いつも見ているその戸を叩く。
 書店の奥、カウンターまで突進する。カウンターには店主が背を向けて座っており、噺家の声が店内に響いている。
「あっちに、あっちに顔に大怪我をした女の人がっ!」
 私の支離滅裂な説明を理解したのか、店主はチェアを回転させこちらへ表を向ける。
 ――チェアが回転した時の勢いによって、額に置かれた手が滑り落ちる。
『――その人の顔は、こんな顔でしたかな?』
 ラジカセの噺家は言った。
 同じだ。今さっきの女と同じ顔だ。剥ぎ取られた顔。顔のない顔。
「あ、ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああっ!」
 店から飛び出る。
 闇に満ちてゆく路地裏を逃げ惑う。とにかく人通りのあるところに出ないとっ!
 散々走り回ったのに、一向に人のいる場所へと出ない。おかしい。いつも歩きなれた道なのにっ!
「ねぇ……」
 大崎の声だった。
 その声で、私の気は緩んだ。知っている人の声を聞けたのだ。それも仕方ない。
「道端で、女の人が、本屋のお爺さんの顔がっ!」
 ――それは、こんな顔でしたかな?
 何処かから声が聞こえた。
 闇の中から大崎の顔が浮かび上がる。
 ああ、止めてくれ。そんな、まさかそんなことっ!
「だず、げ、でぇ……」
 大崎の顔は、なかった。
 彼女の隣には大きな影があった。その影は大崎の髪を掴み、持ち上げている。
 夜闇の中に、その顔は浮かび上がる。
 ――のっぺらぼうだった。
 真っ白な卵のような顔。それを模した真っ白な仮面を付けた男。それが顔のない化け物の正体だった。
「や、やめ゛――ぐげぇ、げきょ……っ!」
「あ、あ、あぁぁ」
 器を満たしてなお注がれ続ける恐怖は、やがて器すら没させる。私の足腰は最早恐怖に支配され、私の意思から離れて行く。
 ――顔が欲しい。
 そいつには顔がない。
 顔がない故に、他人の顔を求めるのだ。奴は大崎の顔を仮面の上から張り付けている。しかし、気に入らなかったのか、すぐにその顔を放り捨てた。
 顔のない顔が夜道の闇の中をユラユラと揺れている。
 そいつには顔がない。鼻梁も口腔も眼窩も彼は持たない。ただ、卵のようなツルツルとした顔を模した仮面を身につけているだけなのだ。
 顔のない化け物は、語りかけてくるのだ。顔が欲しい、顔が欲しいと。
 耳朶を叩く音なき声が、闇の中に木霊する。
「――あなたは何者?」
 震える声で、私は問い掛けた。
 ――私? 私ゃぁ顔なき化け物、のっぺらぼうにございます。

 のっぺらぼうは笑う。
作品名:笑うのっぺらぼう 作家名:最中の中