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朝日に落ちる箒星

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29.寿至




「で、携帯の電源入れたら、四十件だよ、メール」
 ウンザリと言う顔で智樹は額に手をやった。星野と言う女は相当しつこい女らしい。
「メールの中身は何なの?」
 拓美ちゃんが興味津々な顔を隠さずに訊くので、俺は対面に座る彼女の足を軽く蹴った。
「全部は確認してないけど、今から会いたいとか、それ系ばっかりだね。夢に出てきそう」
 そう言いながら食堂のおばちゃん特製「カレーパスタ」を食っている。君枝ちゃんと智樹の腕にはお揃いの腕輪が巻かれている。クリスマスのプレゼントなんだろう。ふと、車の中で聞いた「もう愛してるよ、とっくに」という君枝ちゃんの言葉と、穏やかな顔が蘇り、俺は一人ほくそ笑んだ。
 目の前から、俺と同じようにほくそ笑みながら女が近づいて来た。星野だ。
「こんにちは。サークルのみなさん」
 それまで下を向いて飯を食っていた君枝ちゃんが、ガバっと顔を上げた。星野は俺の後ろを通り、君枝ちゃんの隣の椅子を引いた。手には缶コーヒーが握られている。君枝ちゃんは、少し俺の方に身を寄せた。
「クリスマスは楽しかった? 彼女さん」
 星野の言葉に、君枝ちゃんは黙ったままゆっくりと、頭を縦に振った。ふっ、と星野の口から嘲笑うような声が漏れて「セックスはしたの?」と訊いたので俺達は全員固まった。
「お前、何なんだよ、何がしたいんだよ」
 智樹は怒気を孕んだ声で静かに星野を糾弾したが、星野は全く堪えていない顔で「今、この女と話してるの」と言う。
「彼は最後までイった? イかす事、できた? 私の方がうまいなんて、言われなかったか心配で、今日は来たの」
 それまで黙っていた拓美ちゃんが、テーブルをひっくり返さん勢いで立ち上がり、星野の元へ歩いて行く。俺は呆然とそれを見ているしかなかった。
 背の高い拓美ちゃんは星野を思いっきり見下ろす形で「あんたに君枝ちゃんの何が分かんの。二度とこの子に話し掛けんな。とりあえずどっか行け」
 振り返った拓美ちゃんは怒りの形相で、後をすり抜ける彼女の腕を掴んだが、振り払われた。
「へぇ、結構仲がいいんだね、美人さんとも。ふーん。こんな地味な子に関わらない方がいいよ、美人さん。ろくな事ないから」
 缶コーヒーのプルタブを開け、悠々と飲んでいる。
「頼むからどっか行ってくれ」
 俺の隣に座る君枝ちゃんは、俯いたまま身体を震わせて、寒さに凍える小動物の様だった。智樹の言葉に目を丸くした星野は「久野君の頼みごとなら聞かなきゃね」と言って席を立とうとした時に「あのさ」と君枝ちゃんが口を開いた。
「私は何言われてもいいけど、他の三人は巻き込まないで。智樹との事が話したいなら、私とさしで話をして。いつでも話しに応じるから」
 それを聞いた星野は「ふーん」と一言落として去って行った。
 俯いたまま君枝ちゃんは「拓美ちゃん、ごめん」と涙声で謝った。拓美ちゃんは「君枝ちゃんが謝るところじゃないでしょ。あの女、何なの。腹立つ」と大層ご立腹だった。
 一番居心地が悪そうにしていたのは智樹で、結局はあの女と関係を持ってしまった事がこれほど尾を引く原因になっている訳だ。智樹には申し訳ないが、哀れだった。

「こればっかりはなぁ、智樹は実際あの子に手を出しちゃったわけだしな」
 中庭でジュースを飲みながら、拓美ちゃんの隣に座った。
「それにしたって引っ張り過ぎじゃない? 智樹君が振り向かないって、どうして分かんないのかなぁ」
 拓美ちゃんはさっきからイライラモードで、頭を掻いたり落ち着きが無い。
「精神的にイっちゃってんじゃないの、あの子」
 頭を人差し指でとんとんと叩いて、首を傾げている。仲の良い君枝ちゃんが痛めつけられている様は見ていられないのだろう。
 サークルを始めたばかりの頃は、なかなか君枝ちゃんが自分の話をしてくれないと言っていた拓美ちゃんだったが、最近は智樹との間の事も話すようになったらしく、身体の事も相談され「親友だよ、君枝ちゃんは」と言っている。
「何事も無いといいけどな」
「君枝ちゃんが心配だよ。自分を責める傾向にあるからね、あの子」
 ふと、後ろに人の気配を感じた。
「人の事より、自分の事を心配した方がいいんじゃない」
 星野の声がしてすぐ、拓美ちゃんが背後を振り向いた。
 そこには有り得ない光景があった。拓美ちゃんの背中から、解剖用のナイフらしき物が生えていた。
「え、何、これどういう事?」
 拓美ちゃんは背中の方に首を回して、視野に飛び込んでくる鈍色の物があまりにも場違いで、痛いとかそういう事よりも状況が飲み込めなくて、動けずにいる。
「拓美ちゃん、そこにじっとしてて。誰か救急車呼んで!」
 俺は中庭にいる人に声を掛けると一人の男性が手を挙げて携帯を取り出した。
 立ち尽くしたままで片側の口端だけをキュッと持ち上げて歪な笑みを浮かべる星野の顔は完全に異常で、俺はそいつを取り押さえておこうとしたら「いいよ、彼女の方行きなよ」と顔見知りでもない男性が三人、星野を取り押さえてくれた。
「ありがとう」と言って拓美ちゃんの横に寄り添った頃にはもう騒動になっていて、四方を取り囲む校舎の窓から人がじろじろ見ていた。食堂の方からもどんどん野次馬が沸いてくる。
 野次馬の上、頭一つ分背が高い智樹の顔が見えた。俺は彼に向かって手を挙げる。
「拓美ちゃん?!」
 智樹の叫び声と、隣に居る君枝ちゃんが息を飲むのは同時だった。智樹は星野の方へ歩いて行き「何で拓美ちゃんなんだよ。俺でいいじゃねぇか」と低く静かな声で訊ねた。
「久野君達の大事な物を傷つけた方が、久野君もあの女も苦しいでしょ。自分達のせいであの美人さんの背中に傷が出来たって、一生忘れられないでしょ」
 ずっと歪んだ笑いを崩さないいまま、視線は君枝ちゃんに向けられていた。
 君枝ちゃんは星野の事なんて目もくれず、拓美ちゃんの手を握って涙を流している。
「大丈夫だから、生きてるし、話もできるし、大丈夫だから」
 十二月の寒空の下、脂汗が滲み出ている拓美ちゃんを見て、大丈夫なんて思う人間は一人としていなかったと思う。
作品名:朝日に落ちる箒星 作家名:はち