空のくじら
宮古 やった、すっごく嬉しい! ねぇ博士、良いじゃん私も研究室に入れてよ。
博士 だめだ、うちに入る前にちゃんと大学を卒業しなさい。
宮古 ええー。ちょっと、深雪さんのクジラは意地悪ですよ。
博士 クジラ? ああ、あの話か。
深雪 うちのクジラは海じゃなくて空を泳ぐからちょっとだけ特殊なんだわ、きっと。
宮古 本当にちょっと?
博士 なんだと?
男(医者) 失礼します。
深雪 先生。
博士 妻が御世話になっています。
男 こんにちは。検査の時間ですよ。
深雪 あらいけない。わかりました。じゃあ、あなた。
博士 ああ。
宮古 いってらっしゃーい。
深雪退場
宮古 ……博士。
博士 なんだね。
宮古 博士。
博士 言いたいことがあるのならはっきり言いたまえ。
宮古 最近、昔いた薬学の研究室に行ってるって聞きました。
博士 それがなんだ。
宮古 深雪さん、そんなに悪いんですか。
博士 ……。
宮古 薬がないって本当ですか。
博士 ……本当だ。治療薬がない。今は対症療法でなんとか病状をなだめているにすぎない。
宮古 それで、また薬の研究を?
博士 ……。
宮古 博士、私にも手伝わせてください。
博士 だめだ。
宮古 どうしてですか!
博士 君は君のなすべきことがあるだろう。
宮古 私、博士の力になりたい。力を合わせればきっとなんとかなります。
博士 なるわけないだろう。何度も何度も、気が遠くなるほど実験を繰り返して、ようやく効果
がある成分をつきとめてもそれを薬品として使用できるほど高い純度で抽出するだけの
技術がない。結果だってまだばらつきがあるし、条件の分析も完全じゃない。もし薬品
として形を成しても、それから治験を繰り返してデータを集め、効果を立証しなければい
けない。薬品として完成するまでに一体どれだけの月日がかかると思っている。それまで、それまで深雪は―――
宮古 ―――ごめんなさい、ごめんなさい博士。
博士 ……いや、いい。
暗転
暗転中に
博士 宮古君。
宮古 博士、ごめんなさい……
博士 宮古君。謝るならせめて起きてからにしたまえ。目をつぶったまま謝られても馬鹿にされ
ているようにしか感じないが。
明転
宮古 は……はいっ?
博士 私が働いているときに居眠りとはいい度胸だ。
宮古 は? 何のことを仰っているのか分かりかねますが。
博士 そういうことはよだれを拭いてから言いたまえ。
宮古 よだれっ?!
博士 まったく、君と言う人は。
宮古 そんな残念そうな目で見ないでくださいよっ!
博士 残念そうなのではない。事実残念なのだ。
片江 博士殿、今日こそは話をしてもらうぞ!
博士 ……この時代のサラリーマンは暇なのかね。
片江 さらりーまんとはなんだ?
博士 ……。
宮古 片江さんすごーい。博士を黙らせるなんて。
博士 ああ、君以来だな。
宮古 褒めてますよね?
博士 ……。
片江 未来の日本とはどういう国なのだ。皆がこのように自由に時代を行き来できるのか。
博士 できない。ここに私がいるのは、私が天才だからだ。
片江 人はどのように暮らしている。政は変わるのか。
博士 この時代とさほど変わらん。
片江 しかしこのように便利なものがあるのなら……。
宮古 便利すぎちゃったのよ。
片江 は……、
宮古 19世紀から21世紀までの間、科学技術は飛躍的に進歩したわ。けれど……。
博士 急激すぎる変化は大きな反動を生んだ。いわゆる自然派の派生が起こり、科学技術の発展
はむしろタブー視……忌避されるようになったのだ。まったく、頭が悪いにもほどがある。
片江 だがこの道具は一体?
宮古 全部博士の発明品なんだけど……規制が掛ってて、登録された人間しか使えないことにな
ってる。
博士 それで、君はなぜ昨日からそんなに躍起になって未来の話を聞きたがる。
片江 知りたいではないか、自分の家族、子孫の生きる時代を。
博士 そんなもの時間が過ぎればおのずと分かるだろう。
片江 しかし知りたい気持ちと言うのはそういうものではないだろう。
宮古 博士こそどうしてそんなに渋るんですか? いいじゃないですか、知りたいだけなんだし。
博士 知ってからでは遅いこともある。
片江 何が遅いというのだ。
宮古 私たちがこの人に関わることなんて知ってるわけないじゃないですか。ざっくり時代の話
しちゃうだけでしょう?
博士 昨日も言ったと思うが、私は歴史を変えたいとは思わんしこの時代にさほど興味があるわ
けでもない。
宮古 それはそうでしょうけど。
博士 本来未来とは知り得ないものだ。それを知ってしまうという不自然さが後にどのような影
響をするのかわからん。ならばあえて教える必要もまたあるまい。
片江・宮古 けち!
博士 そこで結託するな! だいたい宮古君が私を非難する理由はないだろう。
宮古 そこはそれ、敵の敵は味方みたいな。
博士 英仏関係か。
片江 ならば仕方ないな。
博士 ようやく諦めたか。宮古君。メンテナンスの方はどうなっている。
宮古 えっ? あー、えっと。
博士 居眠りをするくらいだ、さぞ完璧にできているんだろうな。
宮古 ホホホ当然ですわ博士。ここは私に任せて、博士はあちらでゆっくりお茶でも飲んでらし
たら? 淹れて差し上げますわ。
博士 睡眠薬を仕込むなよ。
宮古 まぁ嫌ですわ博士。どーして気付いちゃったのかしら。
片江 そなた……分かってはいたが恐ろしい女だな。
宮古 何よ。
片江 一人身か。
宮古 そーよそれがなんなのよっ!
片江 そなたが一人身なのは、その節々に見える小悪党じみた言動のせいだと思うぞ。
宮古 何よ小悪党って! その顔に言われるとイラッとすんのよ。
博士 宮古君。
宮古 はいはいわかりましたぁー。まぁでもチェックは一応済んでるし、履歴たどって戻るだけ
なら大丈夫だと思うのよね。ただほら、私ってば研究畑の人間っていうかぁ。ソフトはい
けるけどハードは自信ないっていうかぁ。プログラミング関係なら? 大丈夫なんだけど
ほら、機体の損傷レベルとか、もう完全にセルフチェック機能任せ? みたいな?
博士 機体のことは青木君がやっていたからなぁ。
宮古 ですから、青山君です博士。
博士 どちらでも構わん。全くこんな時に青木君はなにをやっているのかね。
宮古 置いてきたんです私たちが。
博士 肝心な時に役に立たん。
宮古 もうツッコまない。
博士 君、やってみるかね。
片江 私か?
宮古 はぁ? 博士とうとう頭沸きましたか?
博士 だって同じ顔してるから。
宮古 そりゃーねぇ。
博士 なんだ、無理か、そーかそーか。
片江 なんだろうこの敗北感。
博士 まぁ大丈夫だろう。というわけで君。
片江 なんだ。
宮古 いや、なんだじゃないわよ。