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比べて知って楽しい~ドラマに見る東流・日本と韓国の歴史~

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 でも、日本の場合、文字が読めますから、文献とかからも知識を得られた。

 一方、韓国史はハングルが読めないので、なかなか思うに任せません。

 なので、偉そうに書いてますが、実はドラマで習得した知識ばかり。。

 韓流時代劇はかなり史実と違うので、その点、韓国の歴史を知らない人は

 あれを鵜呑みにします。。。

 日本人だと、あ、そこ違うのに、、、と脚色とかの部分は判りますけどね。

 なので、私が嬉しそうに語っている記事については、勘違いや間違っている

 部分とかもあるかもです。

 その点はご容赦くださいね。

 ちなみに、その首陽大君が王様となると同時に息子も世子になりました。

 つまり、王女の男のヒロイン、セリョンの兄です。

 トウオン君といいます。しかし、この人もまた病弱だったらしく-伯父さんの文宗に

 似たのか?ー、王になることなく亡くなりました。

 この皇太子のまま亡くなったトウオン君の息子が成宗ソンジョン、

 つまり先日、お話しした王と私の悪女の汚名を着せられたのではないかと

 いうユン廃妃の夫です。

 どうも、ややこしいですね。

 判ってる人間には面白い関係図だけど、知らない人には、どうでも良い。。。笑

 韓流時代ものは、こういう風に全然ちがうシリーズでも

 縦や横で繋がり合っていて、興味深いです。

 あ、日本の時代劇でもむろん、そうですよね。

 また長くなりました。今夜はここらへんで。おやすみなさいませ。 
  


☆ 2013/03/23 ☆

 皆様、おはようございます。

 今日は久々に気分を変えて、歴史ネタでいきます。

 昨夜、韓流時代劇の王女の男を見ました。

 以前もお話しさせていただきましたが、歴史が動いてゆく様子がドラマを通じて

 リアルに伝わってきて、非常に興味深く見ました。

 これは血の繋がった叔父が幼い甥である国王を王座から追放し、

 己が王位につくという、まあ、ありがちなお家騒動であり、政変です。

 首陽大君スヤンテーグンは、即位して世祖セジョとなりますが、本当に

 自分の野望を遂げるたにめに、罪なき大勢の人を殺して成り上がった。

 やがて世祖自身も王となり、百官の居並ぶ前であっさりと暗殺される。

 しかし、ここに至るまでの彼が犯した罪業を知れば、当然の報いともいえます。

 この世祖が廃した前王を端宗タンジョンといいます。

 わずか11歳で即位し、14歳で世祖により退位させられた不遇の王様です。

 大好きな割に不勉強の朝鮮史。

 昨夜はいよいよ幼い端宗が退位するシーン。良識も心もある臣下たちが

 泣いて見送る前を、幼い王は自ら玉座を世祖に譲りました。

 ここは涙なしには見られません。

 

  【ブログでは画像あり】

 幼い王様は、あまりも多くの涙を流さねば名なりませんでした。

 端宗の生母は先代文宗の王妃ですが、このときには亡くなっています。
 
 我が子の辛い姿を見なかったのは救いだったかも。

 私が母親なら自分の生命を犠牲にしてでも、助けてあげたい。

 どうも感情移入しすぎてしまいました。

 そして、この後、彼がどうなったのか?

 ちょうど我が子と同年齢の男の子を見て、非常に気になりました。

 どこかで安楽な余生を送り長生きしたのなら良い思ったのですが。。。

 この記事を書くにあたり、調べましたら、やはり早世しておりました。

 しかも昨夜の退位の場面から二年後、16歳で亡くなっています。

 原因もはっきりとしており、他でもない世祖が端宗に毒薬を飲んで死ぬように

 命じたそうです。

 ゆ、許せねぇ、あの腹黒狸おやじめ

 端宗びいきの私は、世祖演ずる俳優さんをぶん殴りたくなりました-笑。

 可哀想に、子役が演じていた端宗は本当によくやっていました。

 もちろん、世祖をやっている人も同様かと思われます。

 本当に、歴史を再現しているかのようでした。

 この悲劇の王様には逸話があります。

 14歳でめとった王妃がいましたが、端宗が廃されたとき、王妃も降格されました。

 そして、廃された王が流刑地に赴くとき、清渓川という川にかかる橋のたもとで

 王と別れたそうです。

 これが若い夫婦の永遠の別離となりました。

 王は流刑地で毒薬を飲まされ16歳という若さで死去。


 ちなみに、この橋を永渡橋といいます。永遠に渡って帰ってくることは

 なかったという意味あいがあるそうです。

   
  【ブログでは画像あり】


 毒薬を賜る場面かと思われます。

 王であったときも、いつも側で忠実に仕えていた老いた宦官の姿も見えます。

 
  【ブログでは画像あり】
 
  
 端宗の肖像画。今は王としての名誉も回復され、御陵で静かに眠っています。  

 日本にもこういった政権争いで無残に若い生命を散らした人はいますが、

 いつの時代も、どこの国でもあるものなんですね。

 さて、早世した若い王といいますと、日本では六条天皇を

 思い出します。

 六条天皇は二条天皇の皇子であり、源頼朝が日本一の大天狗と称した

 あの後白河天皇の孫です。

 即位したのが一歳、譲位したのが二歳、亡くなったのが11歳。

 まさに短すぎる人生を駆け足で走り抜けた人です。

 赤ちゃんに意思があるはずなく、父の二条天皇は幼い息子を帝位につけ、

 自分は上皇として権勢をほしいままにしようと考えていた。

 そして、自らの父である後白河上皇に対抗しようと考えていたのですね。

 しかし、そんな甘い人ではないのが後白河院。

 後白河院は平清盛の妻時子の妹慈子が生んだ憲仁のりひと親王を

 対抗馬に出し、孫である六条天皇を帝位からひきずりおろし、

 息子の憲仁親王を帝位につけた。

 そこで、史上初の2歳という幼い上皇ができました。
 
  ここら辺もいやですねぇ。祖父が孫を退位させ、息子を位につける。

 孫の父親二条天皇と新しい高倉天皇【憲仁親王】は腹違いとはいえ、

 兄弟だし、追放された六条天皇は高倉天皇より年下の伯父です。

 皆、切っても切れないほど濃い血縁はばかりなのに、

 まだ子どもを使って、自分の野望を遂げようと画策ばかり。
 
 結局、犠牲になるのは道具に使われた子どもです。

 六条天皇は11歳という、今ならまだ小学生でなくなりました。

 端宗のように毒殺されたと歴史に残っているわけではありません。

 病死と記録されています。

 しかし、当時の文献には、皇居の廊下を走っていて足を滑らせ、

 落下して頭を打ったのが原因と書いているものもあります。

 落下してしばらくは意識のあった少年上皇に、おつきの者が

 どうなさいましたか? と聞くと、

 女官に背後から突き飛ばされた、。。というようなことを呟いて意識を失ったとか。

 もちろん、それは正史ではありません。

 しかし、そういう他殺説もないわけではない。

 六条天皇が帝位を終われた経緯を考えれば、十分にあり得そうなことではあります。