比べて知って楽しい~ドラマに見る東流・日本と韓国の歴史~
大奥の美女に見向きもせず、あの女傑春日局が心配して家光に
無理に側室を持たせたら、やっと女の子が生まれたものの、やはり
女性には興味を示しません。
本当か嘘かは判りませんが、あまりに女性に興味を示さないので、
上様はホモだという噂さ流れていたそうです。
そんな時、やっとこの女が良いと言ったかと思えば、それは何と高貴な尼君
だったというので、さすがの春日局も蒼くなり、
家光に考え直して思いとどまるようにと説得したといいます。
しかし、結局、家光は我意を通し、尼君を無理に側室にしてしまいました。
当時の徳川幕府、将軍家の威光を示すような出来事ですね。
私は現代の人間ですけれど、当時、その出来事はかなりのスキャンダルとして
世間を騒がせたに違いないと思うのて゜すが、どうだったのでしょうか?
ドラマでも、この下りは色んな演じ手さんが演じました。
記憶に新しいのはドラマ大奥で家光を西島秀俊さんが演じたときのもの。
お万の方は誰だったか忘れましたが。。。
後はその前の大奥ーそれこれ私が子どもの頃の話ーで今は亡くなられた沖雅也さんが
家光を演じたときも、このシーンはありました。
例えば大河ドラマのように男のおもての歴史をメインに描くときは
こういう出来事は省略されがちですが、
女たちの生きた裏の舞台である大奥をメインに描いたりするときは、
必ずといってよいほど出てくるーというか無視して通り過ぎることはできない
それが家光の代のときの、このお万の方騒動のようです。
まあ、確かに、あまりにもドラマチックすぎて、ドラマにするにはもってこいの
ような出来事なので。。。
かく言う私も小説に一度は取り上げてみたい題材です
何年か前になりますが、映画で仲間由紀恵さんが絵島を
やったときも見に行きました
☆ 2012.10.29 ☆
おはようございます。
今日は歴史ネタ。俄然、張り切っていきます。
さて、いつかもお話しさてせて頂きましたが、朝鮮王朝時代の韓国
には英祖ヨンジョという国王がおりました。
在位も長く、亡くなったのは八十くらい。
不世出の名君―あちらはでは聖君ソンゾンとして民からも敬愛された
王様として知られています。
ただいま、NHK総合で放映中のイ・サンこと正祖の祖父ですね。
しかし、あのドラマでも描かれていたように、ヨンジョは実の息子の当時、
皇太子であった思悼世子サドゥセジャを米びつに閉じ込めて殺す
という惨いことをやってのけます。
これは脚色ではなく、歴史的事実として残っています。
私も最初に知ったときは、ほえ~、仮にも名君と後世から讃えられる人が
本当にそんなことをやったのか?
と、かなりショックを受けました。
しかも、そんなことをやった人を名君と呼んでいるのも何かヘンじゃないと思いました。
確かに、日本においても、歴史を振り返れば、親子・兄弟で殺し合ったという
悲劇はたくさんあります。
万葉の時代に、天智天皇、天武天皇なんかは直接は闘わなかったけど、
結局大友皇子の悲劇が起きたりしましたよね。つまり、叔父が甥を殺したり。
鎌倉時代でも源頼朝が死んだら、叔父である実朝を甥の公暁が殺しました。
権力を前にすると、人は変わります。なので、政権をめぐって、肉親間で
血が流れるのは別に不思議じゃない。
でも、流石に殺し方という言い方もヘンですが、同じ殺すにしても、やり方が
あると思う。首を切るとか、そういう普通の処刑の仕方ではなく、米びつに生きたまま
入れて餓死させるだなんて、しかも自分の息子をですよ。
想像するだけで、苦しいだろうな、辛いだろうなと思います。
そういうことをやった人を、私だったら、尊敬はできないと思う。
これも前にブログで書いたこととカブるのですが、ヨンショは好き嫌いが激しい人
で、自分の子どもたちにもそれがいえました。
お気に入りの子、そうでない子とはっきり分かれていて、当然ながら、
扱いも違いました。
サドウセジャはオトナしすぎるくらいおとなしく、物をはっきりと言えない、言わない
人だった。ヨンジョは打てば響くような才気あるタイプが好きで、世子は全然
可愛がられないばかりか、はっきり嫌われていました。
まあ、皇太子だし、期待していたのが外れたから、余計に腹立たしかったのかも
しれませんね。とにかく息子のやること、なすことすべてが気に入らなかった。
なので、いちいち、行動に文句をつけ、眼を光らせていたわけです。
小心な世子はもう父親の前に出ると、萎縮してしまい、緊張のあまり余計に
言葉ばどもるし、失敗ばかり。
それを見たヨンジョがまた失望し、息子から余計に心が離れてゆく。
悪循環の繰り返しでした。
そんなことをやっている中に、世子の行動には異常が見られるようになり、
回りの人を無闇に斬り殺したりするようになり、そこをヨンジョから指摘され、
ついには処刑されたわけです。
まあ、その背景には、当時、朝廷を二分していた老論ノロン派、南人ナミン派とい
う二大勢力の争いも関係していましたが、それはこの際、省略します。
さて、こちらも既にお話ししましたが、日本を代表する名君といえば、
徳川吉宗。私は子ども時代に見た暴れん坊将軍のイメージがあまりにも強く―笑、
吉宗というと、松平健さんが浮かびます。
現存する肖像ではむしろ、松平さんのようにがっしりとした感じではく、
線の細い、神経質そうなイメージて゜、意外な感じです。
実は吉宗にも息子が何人かおりました。
長男の家重は九代将軍になった人、しかし、記録によると、生来、暗愚で
言語不明瞭、つまり、まともに喋ることすらできない状態であったといいます。
家重が将軍になってから、こんな事件が起きました。
何しろ物言いがあやふやなので、側の人も理解できない。
ただ一人、側用人だけが理解できて、そのためにその人に権力が集中したと
いう弊害も起きたほど。
家来が家重の命令が理解できなくて、言うことをきかなかった、というより、
きけなかった。
と、家重は怒って、その人を島流しにすると言いました。
いくら何でも、そんな些細なことで島流しはひどすぎる。。。
他の人々は家重ではなく、既に隠居している大御所吉宗に訴えました。
大御所様、いかになんでも、上様のあのなさりようはひどうございます。
と、吉宗に泣きついたのです。
将軍といえば天下人、その天下人に意見できるのは、父である吉宗だけだから。
しかし、吉宗はこう答えたそうです。
今、余は既に将軍ではない。家重が将軍であるのに、隠居した父親が
絶対であるはずの将軍の命令を取り消したりすれば、将軍の権威を損なう
ことになる。ひいては、家重の体面にもキズが付くことになろう
作品名:比べて知って楽しい~ドラマに見る東流・日本と韓国の歴史~ 作家名:東 めぐみ