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比べて知って楽しい~ドラマに見る東流・日本と韓国の歴史~

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 今日は歴史ネタです。

 今も昔も経営状態の悪化した会社が真っ先に考えるのは人員削減。

 てっとり早くいえば、社員のくびきりです。

 江戸時代の大奥でも、やはり似たようなことがありました。

 八代将軍吉宗の治世のことです。

 吉宗といえば、松平健さん演じる暴れん坊将軍で有名。庶民の声にひろく耳を

 傾けるために目安箱などを設置したことで知られています。

 さて、この吉宗はまた倹約家でもありました。

 幕府が毎年、使うお金を調べているうちに、大奥にかかる費用が莫大で

 見過ごせないこと発見。早速、大奥の女中たちに倹約令を出したところ、

 かなりの猛反発にあったといいます。

 大奥女中は皆、上様や御台様に生涯仕えて、結婚もしないままに終わる運命

 の人が多く、せめて綺麗なキモノやかんざしでオシャレをすることくらいしか

 生きる楽しみはないのだから、それくらい好きにさせてという意見が多かった。

 まあ、それも一理はあるので、吉宗は更に知恵を絞りました。

 そんなある日、大奥中から若くて美しい娘たちが集められました。

 下っ端の女中ではなく、御中臈という身分の高い女中たちの中から、将軍の命令で

 美人で心映えもすぐれた者たちばかりが集められ、一堂に会しました。

 そこに将軍がやってきて、彼女たちの胸は高鳴りました。

 これは、いよいよ自分たちに運も向いてきた。きっと、これから上様の側室となり、

 ご寵愛を受けることができる。もしかしたら、御子を授かり、お腹さとして大奥で

 ときめくこともできるかもしれない。。。と歓んだのですが。

 現実には、将軍から直々に

 そなたたちは今日を限りとして、大奥を下がるように

 と言い渡され、愕然。

 吉宗が言うには、

 そなたたちほどの美人で、聡明な若い娘であれば、必ずすぐに良い嫁ぎ先がある

 はずだ。あたら花の盛りの美しい時期を大奥で無駄に過ごすより、市井にたちかえり、

 嫁いで幸せになりなさい。

 ということでした。

 大奥勤めをしたというのは、行儀作法も身につけた淑女の証であり、家柄もそこそこ良い

 武家、あるいは大店のお嬢様とかが御中臈には多いですから、もう嫁のもらい手は

 ごまんとあるのは当たり前です。

 吉宗はそこに眼をつけたのでした。

 彼女たちに向かい、吉宗は言ったといいます。

 必ず嫁いで幸せになるのだぞ、と諭され、皆は感激のあまり泣いたそう。

 しかし、その裏では、せっかく美人と上様にも認められたというのに、

 このまま大奥を去らねばならないは何とも残念だと、その胸中は複雑でした。

 かくして、かなりの数の若くて美しい奥女中が大奥からいなくなり、

 大奥にかかる費用は以前よりだいぶん減ったといいます。

 流石は吉宗というか、若くて綺麗な娘たちを集めて結婚退職をさせるとは

 眼のつけどころが違いますね。

 しかも、それは彼女たちの幸せにもなるのですから。。。

 退職した娘たちの多くはすぐに良い嫁ぎ先が見つかり、皆、嫁いでいったそうです。

 私はこのエピソードを知った時、吉宗という人の頭の良さだけでなく、

 心の暖かさを感じました。

 ただ倹約、倹約と言うだけでなく、奥女中ひとりひとりの幸せを考えつつ、こんな方法を

 考え出すとは。

 こユニークな人員削減法には、吉宗の思いやりに溢れた人柄がよく表れていると

 思います。      

 
☆ 2012.10.24 ☆

おはようございます。

 今日は本当にマジメに更新する気満々の私でございます。

 あれ、何か口調もいつもと違う?

 なーんて、始まりましたが、今日は少し久しぶりに歴史ネタでいきたいと思います。

 皆様、歴史は苦手なの~と言われる方も多いのですが、

 その割にドラマで大奥とか取り上げたドラマなんかは結構視聴率高い。

 大奥とうのは、いわば後宮。

 将軍様という、ただ一人の男性を待つ女たちの園です。

 後宮って、何か神秘的なイメージがあって、興味が湧きますよね。

 私は中学生の頃に大河ドラマにハマり、歴史オタクーいえ、ファンになりました。

 中学生のときの愛読書は吉屋信子さんの書かれた徳川の夫人たち。

 私がそれを買いにいったら、書店の奥さんが

 中学生にはまだ早いんじゃない?

 と、驚いたのを今でも憶えています。

 それでも、とにかく、歴史が好き、江戸時代が好き。

 ドラマの暴れん坊将軍と大河ドラマは欠かさず見ていました。

 そして、当時の私が新たに知り、衝撃を受けた事実!

 な、何と、江戸幕府三代将軍徳川家光の側室は

 元尼さんだった

 つまりですね。判りやすく言いますと、当時は慶光院というお寺がありました。

 代々の住職は天皇の皇女や皇族の女性が務めるという格式ある門跡寺院の

 尼寺でした。時は流れ、住職はさすがに皇族女性ではなくなっても、やはり

 京都の公卿の姫君たちがその代わりとして住職になっていて、やはり

 格式の高いお寺としてあがめられておりました。
 
 その慶光院の住職が交代するときは目御礼といい、新しい

 住職が江戸までわざわざ下向して、将軍と対面するという習慣がありました。

 なので、当然、家光の代にもそういうことがあり、若い住職は将軍との

 対面のため江戸にやってきました。

  騒動はそのときに起こります。何と、家光はそのやってきた新任の若い住職に

 ひとめ惚れし、余はこの女が欲しいと言い出して無理に還俗

 させて側室にしてしまったのです。

 初めてその下りを知ったとき、私は小説か何かのでっちあげ? かと思い、

 信じられない気持ちでした。

 しかし、それから自分なりに色んな資料・文献を調べていくうちに、

 それが全くの真実というか歴史的事実として残っていることを知り、更に

 大奥には何千という美しい女が集められ、それは家光ただ一人のためのもの。

 なのに、そのたくさんの美女には見向きもせずに、わざわざ就任挨拶にやってきた

 それも尼君に眼をつけるなんて。。。
 
 家光という人の趣味は相当変わっていたんでしょうか? 

 記録によれば、その尼君は当時、16歳。公卿六条有純の息女であり、

 尼姿も清らかな美しい少女だったといいます。

 家光はコスプレ美少女が好きだったのか?

 なんてことまでは判りませんが、かえってキレイな女の子が尼僧の姿をしている

 から余計に気を惹かれたのかも!?

 とにもかくにも、そういうドラマになりそうで、実は真実であったという

 衝撃的史実を知ってからというもの、私はまます歴史に興味を持つようになりました。

 この尼君、還俗して側室になってからはお万の方と名乗り、

 家光の厚い寵愛を受けましたが、残念ながら子どもには恵まれませんでした。

 このとき、家光はもう37歳くらい。

 当時でいえば、もう若いとはいえません。なのに、妻として迎えた関白の娘とは

 疎遠で、まだ跡継ぎたる男子も産まれてはいませんでした。