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天の卵~神さまのくれた赤ん坊~【前編】Ⅲ

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 直輝の持つカップから白い湯気がたちのぼっている。湯気を通して夫の顔を時折、ちらりと見ながら、紗英子は改めて直輝の整いすぎるほど整った顔に見惚れていた。
 私はこんなにも直君が好き。
 泣きたいような気持ちになってくる。
 一時は離婚しかないのかと思いつめたほどだったのに、やはり、昨夜のセックスが二人の距離を縮めてくれたのだろうか。だとすれば、直輝の考えはあながち間違ってはいなかったことになる。
―セックスは子作りのためだけにあるものじゃないだろう。
 彼は不妊治療をしている間も、よく言っていた。そのたびに、紗英子は彼に反発し、夫婦仲はどんどん険悪になっていった。漸く辛い治療から解放され、直輝は直輝でホッとしているのだろう。彼の言うように、夫婦のセックスとは本来、互いの信頼と愛情を深め、確かめ合うコミニュケーションなのかもしれない。
 結婚して何年も経つのに、いまだに自分がこんなにも夫を愛しているのが信じられない。が、果たして彼も自分と同じ気持ちなのかは自信がない。今、この場で訊ねようとしても、笑われそうで勇気が出せない。
 昨夜は幾度も直輝に抱かれ、彼はその度に紗英子の耳許で〝好きだ、愛している〟と囁いた。しかし、情事の最中の〝愛している〟などという科白を鵜呑みするほど愚かなことはない。男にしろ女にしろ快楽に身体を支配され、我を忘れている最中には、どのような甘い科白だとて口にするものだ。
「あなた、少し話があるの」
 別に今夜、あの話をしなければいけないわけではなかった。だが、こうと決めたのなら、早い方が良いのも確かだ。引き延ばせば引き延ばすほど、心は鈍り言いにくくなるだろうことは判っていた。
「うん? 何だ」
 新聞に視線を向けたまま返事が返ってきた。
「大切な話よ」
 紗英子の口調に何かただならぬものを感じ取ったのか、直輝は新聞を大雑把に畳み、脇へ寄せた。
 食後のコーヒーはリビングでと決まっている。イブのために焼いたブッシュ・ド・ノエルもクリスマスが終わる前にちゃんと今夜、食べたし、シャンパンも開けて、他のご馳走も何とか片付いた。
 今、直輝と紗英子は少し離れて同じソファに並んでいる。
「何だ、改まって。難しい話なら、また明日以降にしてくれないか。今日はまだクリスマスだろ。あまり込み入った話はしたくないな」
 昨夜、久しぶりに良いムードになりながらも、有喜菜のことで険悪になりかけた。漸く仲直りしたところにまた厄介な話を持ち出されたくないと思ったに違いない。
「さっきも言ったでしょ、大切な話なのよ」
 直輝がこれ見よがしに溜息をついた。
「で、何なんだ、その大切な話ってのは」
「赤ちゃんの話」
 これは、かなりの不意打ちだったらしい。ここまで愕いた夫の顔を紗英子は初めて目の当たりにした。他のことが話題であれば、きっと笑っていただろう。
 しかし、今夜は笑うどころではなかった。
「赤ん坊? 紗英子、お前、一体、何を言ってるんだ? お前は手術をして―」
 流石に最後までは言えなかったのだろう。直輝は中途半端に口をつぐみ、紗英子の正気を疑うかのように見つめてきた。
「それとも、施設から身寄りのない子どもでも引き取ろうってのか?」
 直輝はどこか所在なげに周囲を見回し、それから苛立ったように煙草を取り出して火をつけた。
「そりゃア、親のない引き取り手のない赤ん坊を育てるってのも悪くはないと思う。だが、他人の子を育てるのは思ってる以上に難しいぞ? 犬や猫の子を飼うのとは訳が違う。その子が一人前になるまで一生涯、責任をもって養育しなければならないんだ。紗英子がどうしても育ててみたいというのなら、敢えて反対まではしないけど、もう少し気持ちが落ち着いてから、よく考えて判断しても悪くはないんじゃないのか?」
 紗英子は真顔で首を振った。
「違うのよ、赤の他人の子を引き取るわけじゃないのよ。私たちの、直輝さんと私の血を引く、紛れもない私たちの子どもよ」
「おい、紗英子。お前、本当に何を言ってるんだ? こんなことをお前に言うのは酷だが、俺たちにはもう子どもはできるはずがないってことはお前もよく判ってるだろ」
「そんなことはよく判ってる。でもね、直輝さん、諦めるのは早いのよ。私たちにも子どもを持つチャンスはまだ残されているんだから」
 直輝は呆れたように首を振った。
「俺はどうも紗英子の言う意味がよく判らん。お前はもう子宮を取ってしまったのに、どうやって子どもを生むっていうんだ?」
「だから、私が生むわけじゃないの。私の代わりに、誰か別の女性に生んで貰うのよ」
 勢い込んで言った妻を、直輝は唖然として見つめた。
「何だ、それは。お前、何を夢みたいなことを言ってる」
「夢じゃないの。直輝さんも聞いたことくらいはあるでしょ。代理出産といって、自分たちの子どもを別の人の子宮に戻して育てて生んで貰う方法があるのよ」
「―」
 しばらく直輝から声はなかった。
「タレントの幡多ふゆ香さんが一ヶ月ほど前に、代理出産で生まれた双子の赤ちゃんを連れて帰国したニュース、今朝のテレビで見たの。だから、私たちも―」
「おい」
 直輝が呼びかける。紗英子は一瞬ポカンと夫を見たが、それでも、喋るのを止めようとしなかった。
「だからね、わたしたちも―」
「おい! 俺の話も聞けよ」
 直輝が声を荒げた。
「代理出産なんて口で簡単に言うが、それがどれほど大変なことか判ってるのか? 今、日本では代理母による出産は認められていないんだぞ? 下手をすれば、犯罪にもなりかねない違法行為だって自覚があるのか。大体、そんな状況で引き受けてくれる病院なんて、あるものか」
「大丈夫よ、ちゃんと国内で引き受けてくれるところを見つけたから」
 紗英子があっさりと言うのに、直輝は眼を剥いた。
「お前、本気なのか? 何もそこまでする必要があるのか?」
「あるわ。私はどんなことがあっても、少しでも可能性がある限り、諦めない。私はもう子宮を失ってしまったけど、まだ卵巣は二つとも健康な状態で正常に機能している。でも、これから年齢が上がるにつれて、卵子の状態だって良くなっていくことはない。ならば、一日でも早く良い状態の卵子を取り出して、あなたの精子と受精させたい。その受精卵を代理母の子宮に戻して無事着床すれば、あなたと私の赤ちゃんが生まれるでしょう」
「俺は反対だ。何もそこまで―天の倫理に逆らってまで、子どもを作る必要はない」
 紗英子はキッとなった。
「何が天の倫理? あなたの言う天の倫理って、なに?」
「紗英子、よく考えてみろよ。赤ん坊ってのは、天の神さまが授けてくれるものなんだぞ。俺は元々、不妊治療そのものに否定的だったんだ。自然にしていれば授かるはずの子どもができないってことは、それが俺らの運命なんだから、残念なことではあるが、それが天の意思なら仕方ない、甘んじて受けるべきだと考えていた。だけど、ずっと子どもが欲しいと願い続けてきたお前があまりに不憫で、見ていられなくて、気が進まないながらも協力してきたんだ。だが、もうこれ以上はご免だ。受精卵を赤の他人の腹に入れて自分の子どもを生ませるだなんて、そんなのはおかしい。間違ってるよ」