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天の卵~神さまのくれた赤ん坊~【前編】Ⅰ

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 そう、と、紗英子は笑顔で頷いたけれど。やはり、面白くないのは変わらない。
 有喜菜も有喜菜だが、夫も夫だ。今まで一度もそんな話をしてくれたことはなかった。しかも、そのことを有喜菜から聞かされて知ったというのがいちばん嫌だった。
 もっとも、あの頃はまだ自分と直輝は付き合っていたわけではなかった。あくまでも、有喜菜を通じて友人として紹介されただけの関係にすぎず、自他共に認める彼氏と彼女の関係になったのは二年になってからのことだった。有喜菜と直輝が別のクラスとなり、紗英子と直輝が今度は同じクラスになった。
 スポーツマンでイケメンの直輝はあの頃から注目度大で、女の子にすごぶるモテた。それまで何かといえばくっついていた有喜菜と直輝がやっと離れてくれたので、紗英子はここぞとばかりに猛アタックしたのだ。
 自分のどこに、そこまでの無謀さと勇気があったのかと我ながら感心するほど積極的になれた。平凡な自分は直輝とは釣り合わない。元から実ることなどない恋だと諦めていたのに、どういうわけか、直輝は紗英子の告白を受け容れて二人は付き合い始めた。有喜菜にはもちろん、事後報告で済ませた。
「それじゃあ、折角教えて貰ったんだし、時計にするわ。ありがとう。私の知らないことを教えてくれて」
 最後には可能な限りの皮肉を込めておいた。
「いいえ、どういたしまして」
 曖昧な笑顔を浮かべる有喜菜の顔が一瞬、複雑そうに歪んだことに、迂闊にも紗英子は気づかなかった。
「それにしても、愕いた。直輝さんに腕時計を集める趣味があっただなんて。私の知る限り、いつもホームセンターで買った千円の時計を填めてるだけだけど」
 それでも首をひねりながら呟くのを、有喜菜は聞き逃さなかったらしい。
「そんなに疑うのなら、帰って直輝に訊いてみると良いわ」
 どこか投げやりにも聞こえる有喜菜の声が響いてきた。
 
 有喜菜とは何となく気まずいまま、紗英子はそれからまもく別れた。有喜菜はこれから職場に戻るという。
―病気の友達の見舞いに行くからって、昼休みを特別に延長して貰ったのよ。
 勤務時間内に逢えたことについてそう言い訳した。だが、それほど時間の融通がきくくらいなら、何故、入院している最中に直接、病院に来なかったのか?
 有喜菜の職場も同じN市内にあり、紗英子の入っていたクリニックからはそう遠くない距離なのだ。わざわざ丸一日の休みを取らなくても、今日のように少し昼休みを延長して貰っただけで来られただろうに。
 そこで、紗英子は首を振った。どうも今日の自分は長年の親友を悪い眼で見ようとばかりしている。女性にとって子宮を取るというのは大変なことだ。既に子どもを生み終えた年老いた女性ならともかく、子どものいない妊娠を希望する女にとっては、一大事なのだ。
 その一大事を迎えたばかりの紗英子にどうやって逢えばよいのか、当然、哀しみに打ちひしがれているに違いないであろう友に何と言葉をかけたら良いか判らない。それは有喜菜にしてみれば、当然の心境であったに違いない。有喜菜は有喜菜で見舞いに来たくても来れられなくて遠慮していただけだろう。
 退院して少し日を置いた今ならば、子宮を失った直後よりは少しはショックからも立ち直っている。そう思って、有喜菜の方からわざわざ電話してきてくれたのだ。
 現に、彼女は何度も〝元気そうで良かった〟と繰り返していた。昔から紗英子と違い、有喜菜は裏表のない質だ。紗英子は時折、自分でも嫌になるくらい、本音と建て前が違うことがある。心で幾ら相手を嫌っていたとしても、その人の前にいざ出ると、笑顔で心にもないお愛想を言ったりする。
 有喜菜はそんな腹芸はできない。思ったことはいつもストレートに口にするし態度にも出すから、結構敵もいた。もっとも、彼女は弱い子や困った子も放っておけなくて、いつも世話を焼いていたし、いじめられっ子を見つけようものなら身を挺して庇っていた。だから、有喜菜のことをよく言わない子も少数ではあったがいたけれど、その分、大勢の友達に信頼され、慕われていた。
 有喜菜の他には友達らしい友達もいなかった紗英子とは大違いで、有喜菜の周囲には男女関係なく常に人が集まっていた。俗に言うカリスマ性があるというのだろうか。男子にでも平気で溜め口で喋る有喜菜を男子生徒たちもまた女子扱いせず、男の子のように接していた記憶がある。
 そんな有喜菜が納得できる理由もなしに見舞いにこなかったはずはない。彼女の言うように本当に忙しかったのだろうし、たとえそうではないにせよ、気を遣ったのだろう。そういうところは、直輝と有喜菜はよく似ている。他人への気配りができるというのか。それは両親が年老いてからやっと恵まれた一人っ子であった紗英子にはない点だ。
 紗英子はどうしても何でも自分本位に考えてしまう。だから、直輝にも与えられるばかりで、自分から与えようとはしなかった。それは何も記念日の贈り物のことだけを言っているのではない。この十三年間、あらゆるもの―品物だけでなく優しさや愛情すらも、紗英子はもしかしたら直輝から与えられっ放しだったのではないか。
 むろん、紗英子は紗英子なりに直輝を必要とし、愛していた。しかし、それはあくまでも夫としての直輝、将来、生まれるはずであった子どもの父親としての彼であったような気がする。
 明確なところはまだ判らなかったけれど、このままではいけない。紗英子は初めて、そんな想いになっていた。
 
 N駅の地下街は大勢の買い物客で溢れていた。紗英子はいつもは横眼に見て通り過ぎるとある店の前で立ち止まる。
 中に入ると、周囲に様々な時計が陳列されていた。中ほどにショーケースがあり、いかにも高級そうな腕時計が並んでいる。
「何かお探しでいらっしゃいますか?」
 早速、販売員が寄ってくる。振り返ると、二十代後半ほどの若い店員が愛想笑いを浮かべていた。
「男性へのプレゼントにしたいのですけど、何か適当なものはありますか?」
 今でもまだ直輝が腕時計をコレクションしているなんて信じられない。百歩譲って昔は集めていたのかもしれないけれど、今は少なくとも、そんな趣味はないはずだ。もし、そこまで腕時計に執着しているのであれば、ずっと妻として彼の側にいた紗英子が気づかないはずはないのだから。
 何よ、自分には旦那もいないからといって、適当なことばかり言って。
 と、どうしても心の中で有喜菜に怒りが向いてしまう。
 嫌な感情を追い出すように勢いよく頭を振ると、若い販売員が怪訝そうにこちらを見ていた。
「ご主人さまへのプレゼントでいらっしゃいますね?」
 念を押され、紗英子は頷く。
「腕時計をコレクションしているらしいんですけど、やっぱり、そういう人は眼が肥えているだろうから、ブランド物とかの方が良いんでしょうか?」
 販売員は少し考える素振りを見せ、ショーケースを鍵で開けて一つの時計を取り出した。
「これなどは、いかがでしょう?」
「何というブランドかしら。私、そういうのにはまるで疎くて」