小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

天の卵~神さまのくれた赤ん坊~【前編】Ⅰ

INDEX|9ページ/9ページ|

前のページ
 

 販売員は茶髪のロングヘアで、化粧が濃い。今風のメークなのだろうが、アイシャドーをこれでもかというほど塗った顔はまるでパンダそのものである。
 しかし、外見に似合わず、気さくで親切だ。
「これは正確に言うと、ブランド品ではありません。ブランドといえばブランドともいえますが、京都の凜工房という小さな工房で凜太さんという職人が一つ一つすべて手作りで作っている稀少な腕時計なんです」
「凜工房―」
「ご主人さまが時計のコレクターでいらっしゃるなら、もしかしてご存じかもしれません。でも、一般的にはあまり知られてはいないブランドですね」
 店員はビロード張りのトレーに乗せたその時計を指し示して見せた。一見、何のことはない腕時計で、シルバーの縁に丸形の時計がはめ込まれている。バンドは本革らしく、艶やかな黒が上品な光沢を見せていた。
 正直、紗英子には、これのどこに希少価値があるのか理解できない。やはり、見る眼がないのだろう。
「通の方には、その良さがお解りになるという本物の中の本物と言えば良いのでしょうか」
「そう、なんですか」
 コーヒーの宣伝ではないけれど、要するに違いが判る男には判るということだろう。何とはなく納得して、紗英子はその時計を包んで貰うことにした。
「きっと歓ばれると思いますよ。コレクションをなさるほどの方なら、既にもうたくさんのブランド品や珍しいものをお持ちでしょうし、かえって、こういう逸品というか希少価値のあるものを好まれる傾向がありますから」
 一点一点すべて、凜太という若い職人が手作りするため、その分、値段は張る。紗英子が選んだのは五万ちょっとかかった。当然ながら、そんな大金は持参しているはずもなく、支払いはカードで済ませた。
「今、キャンペーンやってるんで、良かったら、お子さまに差し上げてください」
 と、風船とチョコレートの詰め合わせの入った小さな袋を貰った。
「いえ、うちは―」
 子どもがいないんですと言おうとして、面倒臭くなって止めた。
 ギフト用に包んで貰い、店員の〝ありがとうございます〟という愛想の良い声に見送られて店を出た。
 店を出て地下街の出口に向かって歩きかけたときのことである。
 向こうから〝あっ〟と小さな声が聞こえ、紗英子は眼を見開いた。
「おばちゃん!」
 見れば、やってくるのは家族連れらしい。五歳くらいの男の子と赤ん坊を連れた、まだ若い両親だ。紗英子には、その男の子の顔に見憶えがあった。ついこの間まで入院していたクリニックで見かけたあの子―〝お腹に赤ちゃんがいるの?〟と紗英子に問いかけ、母親に叱られていた子どもである。
 確か、拓也といったか。
 拓也もまた紗英子を憶えていたらしく、母親の手を振りほどいて、ぴょんぴょん跳ねるように駆けてきた。
「おばちゃん、また逢ったね」
 拓也は嬉しげに顔を輝かせて紗英子を見上げている。
 可愛い子だと思った。随分と人懐っこい。
「元気にしてた?」
 紗英子もまたしゃがみ込んで拓也と同じ眼線の高さになった。
「うん」
「あ、そうだ」
 紗英子はふと思いつき、肩に提げたバッグから先刻のチョコレートを出した。右手に持った蒼い風船と一緒に拓也に渡す。
「これね、たった今、貰ったばかりなの。良かったら、どうぞ、。おばちゃんからのクリスマスプレゼント」
「うわあ、ありがとう」
 拓也はくりくりとした黒い瞳をくるくると回し、嬉しげに風船とチョコレートを受け取った。
「拓也、知らない人から物を貰っちゃいけないって言ってるでしょう」
 後ろからやってきた母親から、きつい声が飛んでくる。
「お久しぶりです。赤ちゃん、また少し大きくなりましたね」
 紗英子が改めて声をかけると、母親が不審げなまなざしをくれ、次いでハッとした表情になった。
「病院にいた方ですよね? もう、退院されたんですか?」
「はい。といっても、つい三日前のことですけど」
 紗英子が微笑むのに、母親は曖昧な笑みを浮かべた。
「それは良かったです」
 更に、チョコレートと風船を両手に持って飛び跳ねる息子を一瞥した。
「申し訳ありませんが、息子には甘いものは虫歯になるので与えない主義なもので」
 と、拓也の手からチョコレートを引き取るようにして奪い、突き返してきた。
「おい、良いじゃないか。折角下さったんだ。失礼だぞ」
 見かねたのか、傍らに立っていた男性が割って入った。ピンクのウサギの着ぐるみを着た赤ん坊を抱いているところからして、拓也の父親だろう。
「こういうことは、言いにくいからこそ、きちんと言った方が良いのよ」
 暗に〝あなたは黙っておいてちょうだい〟と言わんばかりの態度に、夫も鼻白んだように押し黙った。
「おばちゃん、今日ね、ちさちゃんのお宮参りの写真を撮ってきたの。あそこの写真スタジオでね―」
 大人たちの間に漂う気まずさなど頓着せず、拓也が紗英子に話しかける。
「拓也! 余計なことは話さなくて良いの。それでは、私たちは先を急ぎますもので、失礼します」
 母親は、まだ何か話したそうにしている拓也の手を握ると、一礼して足早に通り過ぎていった。父親の方が申し訳なさそうに頭を下げ、赤ん坊を抱いたまま後を追いかける。
 宮参りの写真、か。
 それで皆、盛装していたわけだ。母親に至っては淡いベージュに花模様の訪問着だったし、父親の方も背広姿、拓也も子ども用のスーツを着ていた。
 この地下街には、こじんまりとした写真スタジオも入っている。恐らくは、そこで宮参りの写真を撮ってきたに違いない。最近はこういう家族の記念写真を撮るのがブームで、どこの写真館も力を入れていると聞く。紗英子の友人たちから毎年、正月に送られてくる年賀状にも、明らかに写真館で撮ったらしい記念写真がよく使われていた。
 紗英子は重い溜息をついていた。
 母親のあの失礼な態度にも腹が立たないわけではなかったけれど、むしろ傷ついたのは、眼前に突きつけられた家族のいかにも幸せそうな光景だった。
 何で、私には、あんなごく当たり前の幸せが与えられなかったのかな。
 つくづく自分の運命を恨めしく思わずにはいられなかった。
 自分が一体、何をしたというのだろう。何の悪いことをしたからといって、こんな辛い想いをしなければならないのだろうか。
 思わず涙が込み上げてきて、紗英子は慌てて涙を堪えた。あんな仕打ちをされた上に、人前で泣くなんて、あまりに惨めすぎる。