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天の卵~神さまのくれた赤ん坊~【前編】Ⅰ

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 ついに有喜菜も我慢の限界が来て、四年前に離婚するに至った。有喜菜も子どもには恵まれなかったが、紗英子の場合とは根本的に違う。有喜菜は五年間の結婚生活で三度妊娠している。一度目は三ヶ月で流産し、二度目は六ヶ月で死産した。妊婦検診の前日までは元気に動いていた胎児が急に動かなくなったのだという。
 これはおかしいと受診したのは、丁度、定期の検診の日に当たっていた。受診した時、まだ胎児の心臓は動いていた。
―かなり弱っていますが、まだ心臓は動いています。
 医師はエコーを通して胎児の心臓を指しながら、言ったそうだ。
 まだ二十一週なので、このまま体外に出しても無事に育つ可能性は少ないから、何もしないで様子を見てはどうかと提案された。もし不幸にもお腹の中で死んでしまったら、陣痛促進剤を打って自然分娩の形で胎児を外に出すしかない。
―恐らくは、このままでは赤ちゃんは亡くなってしまうでしょう。
 有喜菜は医師に取り縋ったという。
―先生、そんなことを言わないでください。この子はまだ生きているし、ちゃんとこうして心臓も動いています。だから、何とか少しでも助ける方法があるなら、その方法を取ってください。
 有喜菜の願いは聞き届けられ、すぐに帝王切開が行われた。胎内にいる間は何もできないが、生きて外へ出せば、わずかなりとも救命の治療はできる。このまま弱って行くのを待って死を迎えさせるよりは、一刻も早く外へ出し、できる治療を施して欲しいというのが有喜菜の願いであった。 
 しかし、必死の願いも天には通じなかった。帝王切開の手術が始まり、体外へ出される寸前まで赤ちゃんの心臓は弱々しいながらも動いていたのに、この世に生まれ出るあと一歩のところで心臓が止まった。
―健康な赤ちゃんでも、二十一週ではなかなか体外では生きられません。ましてや、このお子さんには心臓の先天的な欠陥がありました。無事に生まれても、生き抜くのは難しかったでしょう。
 医師は慰めにもならない言葉をかけた。
 三度めの妊娠は離婚する直前に発覚した。少し前から体調がおかしくて、もしかしたらそうなのかもしれないと有喜菜自身も気づいていたのだけれど、仕事の方が立て込んでおり、なかなか受診する機会がなかった。
 そんなある夜、夫が酔って帰宅、夫婦喧嘩になった。夫が有喜菜を殴り、よろめいた有喜菜は転倒し腹部をしたたか打った。翌朝、トイレで大量出血し、すぐに受診したが、子どもはもう流産してしまった後だった。既に四ヶ月に入っていただろうとのことだった―。
 それが、有喜菜の離婚の直接の原因となったことは言うまでもない。
 つまり、有喜菜は紗英子と違い、妊娠できる身体を備えているのである。これまで子どもに恵まれなかったのは、ひとえに運が悪すぎたということだろう。
 まあ、子どもがいないという事実には変わりがないし、その分、互いに通じ合うものはあるとは思っている。
「良かった、思っていたより顔色も良いし、元気そうね」
 有喜菜は微笑んだ。紗英子は向かい合う形で並んでいる椅子に座った。
 お昼過ぎとあって、カフェは大勢の女性客で溢れんばかりだ。数人で談笑している若い母親たちはそれぞれ幼児や赤ん坊を連れている。三人で和やかに何やら話し込んでいる上品な老婦人たち。
 白い丸テーブルにやはり、白い背もたれのついた椅子は造りそのものは丈夫だが、繊細な蔦模様がところどころ入っていて、テーブルとお揃いのデザインだ。細かな部分まで店側の気遣いの感じられる気持ちの良い店は居心地の良い空間を客たちに提供している。だからこそ、いつも満員状態に近いほどの客が来るのだろう。
 有喜菜は丁度通り掛かった若いウエイターを呼び止め、ホットコーヒーとチーズケーキを注文する。
「あなたは?」
 問われ、紗英子は小さな声でアイスティーをミルクでと付け加えた。
 ウエイターが去ってから、有喜菜が訊ねた。
「お昼ご飯は食べた?」
「―ええ」
 本当は出かける支度に余念がなくて、食べる時間がなかったのだけれど、何故か素直に口に出せなかった。
「そう、なら良かった」
 有喜菜は安心したように笑い、しげしげと紗英子を見つめた。
「幾ら何でも少し痩せすぎじゃない? もう少し食べなくちゃ」
 紗英子は弱々しく微笑んだ。
「まだ病み上がりだもの。その中、嫌でも食欲が出てくるでしょう」
 まるで他人事のように淡々と言い、上目遣いに有喜菜を見上げた。
「有喜菜は食べたの?」
「ここに来る直前にね、上司がいつになく気前よく鰻丼でも食べないかって誘ってくれて、奢りで食べてきちゃった」
 紗英子は呆れたように肩を竦める。
「鰻丼食べて、すぐにチーズケーキ? 太るわよ?」
 脅すように言うと、有喜菜は声を上げて笑った。
「そんなこと、私はいちいち気にしないわ。食べたいときに食べたいものを食べる。人生いつ何があるか判らないんだもの。ダイエットなんて、くだらない、くだらない」
「それにしては相変わらずの見事なプロポーションね。食べたいだけ食べて、モデル並みの体型を維持できるなんて、私には到底信じられないわ」
 半ば冗談のように口にしたが、それは全くの本音であった。
 ほどなく先刻のウェイターが銀の丸盆に湯気の立つコーヒーとチーズケーキ、アイスティーをのせて運んでくる。
 早速、大きな口を遠慮なく開けてチーズケーキを頬張る友を横目に見、紗英子はストローをくわえた。
 絶対に嘘だ。特別なサプリメントを摂取しているなら別として、食べ放題に食べて、これだけの体型を維持できるはずがない。
 やはり、有喜菜は家では慎ましい食事をしているに違いない。紗英子の前では良い格好をしているだけなのだろう。
 ―と、ここまで考えて、紗英子はハッとした。
 私ったら、どうして、こんなことを考えてるの?
 直輝とは中学からの付き合いだったが、有喜菜は同じ小学校出身だ。五年生の春、有喜菜は大阪の小学校から転校してきたのだ。その頃から少し大人びたボーイッシュな少女だったが、内面も面倒見が良い姉御膚で、紗英子とは不思議にすぐ仲良くなった。家同士が近いこともあったのかもしれないが、性格がまるで対照的なところも良かったのだろう。
 他人はよく、それだけ正反対なのに、親友でいられるねと感心するけれど、磁石の対極が引き合うように、かえってタイプが異なるところが今日まで親友でいられた原因なのだろうと思っている。
「このお皿、良い感じ。うちにも欲しいわぁ」
 紗英子の思惑など頓着なさそうに、有喜菜は皿の検分などしている。
「どこのブランドかしらね、シンプルだけどオシャレじゃない?」
 つられて、つい紗英子も皿を見た。既にチーズケーキは半分以上なくなっている。確かに有喜菜の言うように、白い皿の周囲を緑のアイビーが縁取っている、ごくプレーンな皿である。しかし、流石にこの店が使っている品だけであり、さりげなく上品でオシャレだ。
「そうね。後でお店の人に訊ねてみたら? 判るんじゃない」
「そうね」
 有喜菜は屈託なく頷き、また忙しくフォークでケーキを崩しては口に運んでいる。