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天の卵~神さまのくれた赤ん坊~【前編】Ⅰ

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 身長は百七十五は越えているし、学生時代からサッカーで鍛えているから、三十代後半、いわゆる〝おじさん〟と呼ばれるようになった歳でも、余計な贅肉もついていない身体は引き締まり均整が取れている。ルックスは中学時代から並外れていて、それなりに成績も良かった。
 外見は韓流スターのソン・イルグクに似ているとよく言われ、会社でも後輩の女子社員たちがひそかに狙っているとか、いないとか。むろん、こんな話は直輝本人ではなく、彼が会社帰りに自宅に連れてきた部下が耳打ちしてくれたことだ。
 直輝もやはり彼なりに子どもに恵まれない人生に淋しさは感じているのだろう。週に一度、町内の子どもたちを集めて小さなサッカー教室のようなものを開いている。
 紗英子は滅多に行かないけれど、たまにグラウンドに行ってみると、子どもたちと一緒にいる直輝はとても楽しげに見えた。恐らく、直輝だって、子どもが欲しくないことはないのだろう。それでも、辛い治療をしてまでも、子どもは望まないという。紗英子が側にいれば、子どもは無理にいなくても良いと。
 多分、紗英子はそういう風に考えてくれる夫に感謝するべきだったのだ。そして、直輝の気持ちに添い、二人の幸せを見つけるべく努力すべきだったのだろう。なのに、直輝の言葉から眼を背け、あくまでも子どもが欲しいという自分の欲望に忠実に生きた。
 それが、すべての間違いの因(もと)だったのだ。もっと早くにそのことに気づいていれば、いや、気づいても気づかないふりなどしないで、直輝と二人だけで生きることを考えれば良かった。後に、自分がどれほど後悔することになるか、その時、紗英子はまだ知らなかった。
 大抵、結婚記念日の何日か前には、
―今年もNホテルのディナー、予約しといたからな。
 まるで、それが神聖な儀式の始まりでもあるかのように口にする直輝だが、流石に今年はまだ一度も、それらしいことは口にしない。
 まあ、紗英子がこんな状態では、ディナーなんて行けるはずもなく、ましてや三日後は退院すらも覚束無いだろう。どんなに経過が順調でも、二週間の入院は必要だとあらかじめ言い渡されているのだから。
 初めから行けないものについてあれこれ話しても、かえって空しくなるだけだと思っているのかもしれない。そう考えてみれば、いかにも直輝らしい気遣いだと思えた。紗英子は直輝が何も言い出さなかったことについて、そんな風に解釈した。
 十二回目の結婚記念日は、どうやら初めて自宅以外の場所で迎えることになりそうだ。自分が入院しているのだから仕方ないと思いつつも、直輝が何も言い出さないことについて一抹の淋しさを感じている紗英子であった。
 複雑な想いを抱いてクリスマスツリーを眺めていると、やがて診察室の方から名前が呼ばれた。
「矢代(やしろ)さん、矢代紗英子さーん」
 飾り付けられたツリーはキラキラとイルミネーションも美しく輝いている。紗英子はツリーから視線を外し、返事をして立ち上がった。

 結局、直輝はディナーどころか、プレゼントも今年はくれないままに結婚記念日は終わった。こんなときだからこそ、いつもと同じように気遣いを示して欲しかったと思うのは、自分の我が儘というものだろうか。
 十二月も下旬に入ろうかという日の午後、紗英子は一人で退院した。直輝は仕事なので、タクシーを頼みマンションまで帰宅した。
 直輝が勤務しているのはN企画という大手の広告代理店で、二人は会社のある同じN市内のマンションに暮らしている。マンシヨンは高級という形容詞をつけるのはいささかおこがましいが、中規模どころのそこそこの物件だ。
 クリスマスまでには、まだ間がある。退院したといっても、まだ当分は無理はできない身体だけれど、せめてクリスマスくらいは、ささやかなパーティの準備を整えたいと思う。
 できれば、少し遅れてしまったが、クリスマスと結婚記念日を兼ねたお祝いにしたい。紗英子は眼の前に小さな目標を見つけることで、今を乗り越えたいとも思った。結婚してから今までは、子どもを持つということが一つの目標であった。たとえ他人がどう思おうが、紗英子にとっては究極の望みであったのだ。 
 しかし、その望みを絶たれた今、自分がどうやって生きていけば良いのか、紗英子はまだ新しい目的を見つけていなかった。
 未来はあまりにも混沌としていて、到底、十年先、いや、一年先のことも思い描けない。頭に浮かぶのは、ただ空しく老いてゆく自分の姿ばかりだ。これではいけないのは自分でも判っている。だからこそ、焦りもするし、落ち込むのだ。
 けれど、焦ったからといって、そう簡単に生きる目標が見つかるというものでもないだろう。だとすれば、とりあえずは明日のことを考え、小さな目標を一つずつ見つけて乗り越え達成することしかない。その中、一年先のことも考える心のゆとりが自然と生まれてくるのではないかと考えている。
 今の小さな目標は、目前に迫ったクリスマス。そういえば、紗英子は自分から直輝にプレゼントなんかしたことがなかった。いつも直輝の方が記念日のお祝いだよと言って、気の利いたものを贈ってくれるだけだったのだ。
 この際、自分も直輝にプレゼントを贈るというのも良いかもしれない。でも、直輝が欲しいものって、何だろう。
 考えてみても、なかなか思い浮かばなかった。
 自宅に戻って三日が過ぎた。直輝は毎日、以前と同じように出社する。紗英子がもう家事くらいは大丈夫だと言うのに、彼はじっと寝ていろと言い張ってきかない。なので、晩の食事はすべて店屋物だ。ピザの宅配を取ることもあれば、直輝が会社帰りにコンビニ弁当を買って帰ることもある。
 朝はトーストとコーヒーとサラダだけなので、直輝が簡単に作った。むろん、洗い物も直輝が全部担当する。
 その日も直輝がすべてやってくれ、紗英子は何もすることはなく終わった。別に、それほどの重病人というわけでもないのにと夫の壊れ物を扱うような仕草に笑ってしまうけれど、大切にして貰っていると思えば、嬉しくないはずがない。
 直輝が出かけてから、ふいに思い立って、しまい込んであるクリスマスツリーを出してきた。ここ数年、出すことも忘れていたため、外箱には埃が積もっていたが、丁寧に埃を払い、ツリーを出して飾り付ける。特に子どももいないので、小さなものだが、それでも綺麗にデコレーションにして飾ると、それなりにクリスマスらしい雰囲気を出すのにひと役は買ってくれる。
 その成果に一人満足し、紗英子は色とりどりの電球が点滅するツリーを眩しげに眺めた。
 ふと、あの小さな男の子は今頃、どうしているだろうかと考える。確か拓也と呼ばれていた。あの母子は紗英子よりはひと脚早く退院したらしいから、今は家族揃って幸せなひとときを過ごしているに違いない。
 生まれたばかりの小さな家族を迎え、一家にとっては最高のクリスマスとなるだろう。男の子の無邪気な笑顔を思い出している中に、微笑ましくもなり、また、心にぽっかりと空いた穴を薄ら寒い風が吹き抜けてゆくような気持ちにもなった。

♠RoundⅡ(哀しみという名の現実)♠