私に還る日
一歩踏み込んだ途端、暖野は圧倒されてしまった。内装が豪華だったとか彼女が空想していたような謁見室のようなものだったからではなく、あまりに雑然としてお世辞にも綺麗とは言えないものだったからだ。
本棚には本が溢れ、飾り棚は品物を陳列するという用をなしていなかった。そこかしこに雑多な物が置かれ、大きな机の上にも書物が山と積まれていた。その机の後は一面のガラス窓だった。
マルカは、暖野の後ろに控えていた。
「よく来てくれた」
声は机の向こう、本の山の間から聞こえてきた。「散らかっていて申し訳ないが、そこに掛けてくれたまえ」
よく来たも何もないもんだわ。勝手に連れてきておいて――
そうは思いつつも、暖野はすぐ横に木の椅子があるのを見つけて腰を下ろした。
彼女が座るのを待って、再び声が聞こえてくる。
「君にとっては突然のことで、驚いたことと思う。だが、こうするより他はなかったということも解ってほしい」
机の向こうで人の動く気配がした。声の主が姿を現す。その人物は、ほとんど真っ白と言ってもいいほどの白髪で、そのうえ立派な髭を蓄えていた。結構な年齢であろうが、その姿はかくしゃくとしており、一種の気品すら感じられた。
「あなたは……、誰なんですか?」
出来るだけ失礼にならないようにとは思うものの、性急さには勝てずそんな言い方になった。
「そうか、まだ名乗っていなかったな。これは失礼した。私はアゲハという。君は――ノンノ君だったね」
暖野は、彼が自分の名を知っているのを別段不思議にも思わなかった。
マルカもそうだったこともあるが、アゲハと名乗る人物が彼女をここへ招いた以上、名前を知っていて当然だろうからだ。
「彼は、博士なんです」
マルカが目の前の老人について補足した。
「そんなことは、もういい」
アゲハが静かに頭を振る。そして暖野に向き直って続けた。「残念ながら、あまり時間がないのだ。すでに時は動き始めてしまったのだから」
彼は懐中時計のことを言っているのだろうか、と暖野は思った。ポケットの上から時計に触れてみる。その硬質な円い物体は、今は暖野のスカートの左側に収まっていた。
「その時計は、鍵なのだよ」
暖野の仕草を見て、アゲハが言う。もとより、彼女がそれを持っていることなど先刻承知の上なのだろう。
「鍵?」
「そう。 この世界を存在させることの出来る唯一の者が持つことで、初めて力を発揮する」
やっぱり、あの話は本当だったんだわ――
暖野はルクソールで聞いた、あの話を思い返していた。
「ちょ――ちょっと待ってください」
これは、いくら何でも馬鹿げていると彼女は思った。自分が時計の本来の持ち主だと宣言されたようなものではないか、と。
「それじゃ、私ははじめからここに来ることになっていたんですか? この世界を存在させるために? それに、ここはきちんと存在しているじゃないですか」
暖野はそこまで一気にまくしたてた。
本棚には本が溢れ、飾り棚は品物を陳列するという用をなしていなかった。そこかしこに雑多な物が置かれ、大きな机の上にも書物が山と積まれていた。その机の後は一面のガラス窓だった。
マルカは、暖野の後ろに控えていた。
「よく来てくれた」
声は机の向こう、本の山の間から聞こえてきた。「散らかっていて申し訳ないが、そこに掛けてくれたまえ」
よく来たも何もないもんだわ。勝手に連れてきておいて――
そうは思いつつも、暖野はすぐ横に木の椅子があるのを見つけて腰を下ろした。
彼女が座るのを待って、再び声が聞こえてくる。
「君にとっては突然のことで、驚いたことと思う。だが、こうするより他はなかったということも解ってほしい」
机の向こうで人の動く気配がした。声の主が姿を現す。その人物は、ほとんど真っ白と言ってもいいほどの白髪で、そのうえ立派な髭を蓄えていた。結構な年齢であろうが、その姿はかくしゃくとしており、一種の気品すら感じられた。
「あなたは……、誰なんですか?」
出来るだけ失礼にならないようにとは思うものの、性急さには勝てずそんな言い方になった。
「そうか、まだ名乗っていなかったな。これは失礼した。私はアゲハという。君は――ノンノ君だったね」
暖野は、彼が自分の名を知っているのを別段不思議にも思わなかった。
マルカもそうだったこともあるが、アゲハと名乗る人物が彼女をここへ招いた以上、名前を知っていて当然だろうからだ。
「彼は、博士なんです」
マルカが目の前の老人について補足した。
「そんなことは、もういい」
アゲハが静かに頭を振る。そして暖野に向き直って続けた。「残念ながら、あまり時間がないのだ。すでに時は動き始めてしまったのだから」
彼は懐中時計のことを言っているのだろうか、と暖野は思った。ポケットの上から時計に触れてみる。その硬質な円い物体は、今は暖野のスカートの左側に収まっていた。
「その時計は、鍵なのだよ」
暖野の仕草を見て、アゲハが言う。もとより、彼女がそれを持っていることなど先刻承知の上なのだろう。
「鍵?」
「そう。 この世界を存在させることの出来る唯一の者が持つことで、初めて力を発揮する」
やっぱり、あの話は本当だったんだわ――
暖野はルクソールで聞いた、あの話を思い返していた。
「ちょ――ちょっと待ってください」
これは、いくら何でも馬鹿げていると彼女は思った。自分が時計の本来の持ち主だと宣言されたようなものではないか、と。
「それじゃ、私ははじめからここに来ることになっていたんですか? この世界を存在させるために? それに、ここはきちんと存在しているじゃないですか」
暖野はそこまで一気にまくしたてた。