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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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私に還る日

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 石段の上に立ち、しばらく街並みを眺めていたが、それ以外に特に変わったものなどなかった。左手に伸びる街路からバスが戻ってくる気配もない。バスはその方角に走り去ったのだった。
 ため息を一つつくと、暖野は石段に腰を下ろした。そうして両膝に肘を置き、頬杖をつく。
 黄昏れた光は変わらぬままだった。噴水の水音が眠気を誘う。
 夢の中でも、眠くなるんだ――
 暖野は意外に思った。
 本当に夢なのだろうか――
 再びその問題が首をもたげてくる。
 頭の奥ではもうひとりの自分が、これが現実であると絶えず訴えている。しかし、彼女の意識は懸命にそれを否定し続けた。
 先ほどから握ったままの時計を見る。
 6時22分。動き出してから、間もなく1時間が過ぎようとしていた。
――本来の持ち主が手にしたとき、はじめて動き出す時計。そして、それが動き出したときに何が起こるかは、誰も知らない。この時計はその持ち主を捜して長い旅をしてきた。その果てに――
 やっぱり私が――
 暖野は急いでその考えを否定した。
 だが、それで全てのつじつまが合いはしないか。
――やっと、会えましたね。
……ずっと待っていたのですよ――
 やっと――
「やっと、来てくれましたね」
 暖野は周りを見回した。
 聞き慣れた声。そう、あの夢の中で会った少年の声が聞こえたような気がしたからだ。
 空耳なんて……ね。
 暖野は、ふっと笑った。
 そしてまた、噴水の水を見つめる。それくらいしか見るものもなかったからだ。
 何をそんなに怖れているの? 怖がることなんて、なにもないのに……。
「何を、そんなに怖れているのですか?」
 二つの声が重なった。自分の心の内のものと、そして――
「誰!」
 暖野は立ち上がった。やはり、誰の姿もない。
「誰なの!?」
 暖野は悲鳴に近い声を上げる。
「ここです」
 また、少年の声。
「どこ?」
 暖野はもう一度、ゆっくりと見回す。
 誰もいない。少なくとも、見える範囲には。
 見える範囲――?
 暖野は階段の手すりに手をかけて身を乗り出した。
作品名:私に還る日 作家名:泉絵師 遙夏