私に還る日
改札前は吹き抜けのホールになっており、改札口の上の壁面にはレリーフが施されている。反対側に目を転じると、入口上の窓が黄昏の光に輝いていた。
ここにも人の気配はなかった。ふつう、駅というものは絶えず人がいるものと思っている暖野は、心細さを覚えずにはいられなかった。
改札口に向かって左側に切符売場があった。自動券売機が並んだものではなく、はたまた“みどりの窓口”のような近代的なものでもない、昔ながらの出札口。上には路線図らしきものが掲げられている。駅の雰囲気というものは、新旧を問わず似たようなものがある。彼女も窓口で切符を買うのは、ワンゲル合宿で山に行くときくらいものものである。
暖野は切符売場のカウンターの方へ歩み寄った。窓口があるからには、人がいるかも知れない。
「すみません」
窓口の一つで呼びかけてみる。最初は小さな声だったが、二度目は思い切って少し大きな声で呼んでみた。その声が思いの外ホールに反響して、暖野は驚いた。それでも暖野は声を張り上げた。「誰か、いませんか」
しばらく待った。
返事はない。
窓口は3つあった。その一つ一つを確認したが誰もいなかった。暖野はもう一度呼びかけたが、奥の事務スペースにも人がいそうな気配など微塵もなかった。
どうやら、諦めるしかなさそうだった。
ここで人を探そうとする試みを?
いや、そうではない。全てについてである。どうせ夢なら、いつかは醒めるのだから、それを待つしかなかった。
この状況はどう見ても夢だし、それ以外には考えられない。
でも、こんなはっきりした夢なんて、あるのかしらね――
だが、これを現実だと認めることには、もっと無理があった。
暖野は2、3歩退がって路線図であろうものを見上げた。彼女の知る限り、切符売場の上にあるのは概ね路線図兼運賃表だからだ。
そして、目を疑った。
「嘘でしょ?」
思わず言葉が漏れる。
冗談じゃないわ――!
路線図が読めなかったのである。
暗すぎるとか字が小さいからというのではなく、そこに書かれた文字そのものもが読めなかったのだ。なぜなら、それは日本語で書かれたものではなかったからだ。もちろん英語でもなかったし、以前ルクソールで見せてもらったインドの文字でもなかった。アラビア語でさえ、読めないもののテレビなどで見たことはあるが、それでもなかった。
どこの誰が、乗り慣れた循環バスで見も知らぬ外国へ連れて行かれるというのか。
早く醒めてくれたらいいのに。こんな夢――
夢なら驚きと同時に目が覚めることが多いが、そのような兆しさえなかった。
もう! なんてこと? 一体どうなってるのかしら――!
それでも暖野は、読めもしない路線図を見つめ続けた。まるでそうすることによって、いつかは意味が判るとでもいうかのように。しかし、意味こそ判らなかったが、暖野はあることに気づいた。
似ているのだ。
暖野はポケットから懐中時計を取り出した。裏蓋を外し、その裏に刻まれた文字を見る。
「やっぱりだわ……」
路線図の文字と見比べて、暖野は呟いた。この2つは、間違いなく同じ種類の文字だった。だからといって彼女に読めるわけではなかったが、それでも少なくとも何かが判ったような気がした。
暖野はしばらく路線図を見上げて立ち尽くしていた。だが字が読めない以上、現在地を特定することなどできはしない。そもそも、そんなことをして何になるだろう。ここが彼女の知っているどんな場所にも似ていないことは、すでに明らかなのに。
夢の中で、自分の居場所を確かめようとするなんてね――
暖野はひとり、苦笑した。
ここにも人の気配はなかった。ふつう、駅というものは絶えず人がいるものと思っている暖野は、心細さを覚えずにはいられなかった。
改札口に向かって左側に切符売場があった。自動券売機が並んだものではなく、はたまた“みどりの窓口”のような近代的なものでもない、昔ながらの出札口。上には路線図らしきものが掲げられている。駅の雰囲気というものは、新旧を問わず似たようなものがある。彼女も窓口で切符を買うのは、ワンゲル合宿で山に行くときくらいものものである。
暖野は切符売場のカウンターの方へ歩み寄った。窓口があるからには、人がいるかも知れない。
「すみません」
窓口の一つで呼びかけてみる。最初は小さな声だったが、二度目は思い切って少し大きな声で呼んでみた。その声が思いの外ホールに反響して、暖野は驚いた。それでも暖野は声を張り上げた。「誰か、いませんか」
しばらく待った。
返事はない。
窓口は3つあった。その一つ一つを確認したが誰もいなかった。暖野はもう一度呼びかけたが、奥の事務スペースにも人がいそうな気配など微塵もなかった。
どうやら、諦めるしかなさそうだった。
ここで人を探そうとする試みを?
いや、そうではない。全てについてである。どうせ夢なら、いつかは醒めるのだから、それを待つしかなかった。
この状況はどう見ても夢だし、それ以外には考えられない。
でも、こんなはっきりした夢なんて、あるのかしらね――
だが、これを現実だと認めることには、もっと無理があった。
暖野は2、3歩退がって路線図であろうものを見上げた。彼女の知る限り、切符売場の上にあるのは概ね路線図兼運賃表だからだ。
そして、目を疑った。
「嘘でしょ?」
思わず言葉が漏れる。
冗談じゃないわ――!
路線図が読めなかったのである。
暗すぎるとか字が小さいからというのではなく、そこに書かれた文字そのものもが読めなかったのだ。なぜなら、それは日本語で書かれたものではなかったからだ。もちろん英語でもなかったし、以前ルクソールで見せてもらったインドの文字でもなかった。アラビア語でさえ、読めないもののテレビなどで見たことはあるが、それでもなかった。
どこの誰が、乗り慣れた循環バスで見も知らぬ外国へ連れて行かれるというのか。
早く醒めてくれたらいいのに。こんな夢――
夢なら驚きと同時に目が覚めることが多いが、そのような兆しさえなかった。
もう! なんてこと? 一体どうなってるのかしら――!
それでも暖野は、読めもしない路線図を見つめ続けた。まるでそうすることによって、いつかは意味が判るとでもいうかのように。しかし、意味こそ判らなかったが、暖野はあることに気づいた。
似ているのだ。
暖野はポケットから懐中時計を取り出した。裏蓋を外し、その裏に刻まれた文字を見る。
「やっぱりだわ……」
路線図の文字と見比べて、暖野は呟いた。この2つは、間違いなく同じ種類の文字だった。だからといって彼女に読めるわけではなかったが、それでも少なくとも何かが判ったような気がした。
暖野はしばらく路線図を見上げて立ち尽くしていた。だが字が読めない以上、現在地を特定することなどできはしない。そもそも、そんなことをして何になるだろう。ここが彼女の知っているどんな場所にも似ていないことは、すでに明らかなのに。
夢の中で、自分の居場所を確かめようとするなんてね――
暖野はひとり、苦笑した。