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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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私に還る日

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 夏休みの宿題だった読書感想文がどうしても書けずに困っていた宏美がそれを提出することができたのは、暖野がレポート用紙に書いてやったのをそのまま写したからである。つまり暖野はこの夏、2つも感想文を書いたのだった。
 話が劇のことから逸れてきたところへ、バスが来るのが見えた。『団地・循環』と書かれている。
「ねえ、暖野。一緒に帰らない?」
「え?」
 暖野は一瞬、宏美が何のことを言っているのか判らなかった。
「たまには気分を変えてさ、こっちのバスに乗ってみたら?」
「冗談でしょ? 思いっきり遠回りになるじゃない」
「私と違って、どうせタダなんだから、いいじゃない」
 宏美はしつこかった。そうこうしているうちに、バスのドアが開く。
「ほら、もたもたしてると、運転手さんに怒られるわよ」
 宏美は、暖野の手をしっかり掴んでいた。どうやっても放してくれないとみた暖野は、諦めてステップに足をかけた。
 ひどい混みようだ。他の乗客にとっても、いい迷惑だろうと暖野は思った。
 ブザーが鳴って、背後でドアが閉まる。
「ほんとにもう!」
 暖野は宏美を睨みつけた。
 確かに、宏美の言うように、暖野の持っている定期券はどちらのバスでも乗れる地区定期だ。しかし決してタダではない。宏美流に言えば、遠回りで乗った方が断然お得ということにでもなるのだろう。直接駅に向かうより、3倍の時間がかかるのだから。
 しかし、いつまでも怒ってはいられない。話は再び劇のことに戻っていた。
「――じゃあ、赤ずきんとか三匹の子豚でもいいわけね」
 混雑のせいで文字通り目と鼻の先の宏美に向かって、暖野は言った。
「ついでに、マッチ売りの少女もつけてね。でも、そんなのやりたいと思う?」
「思わない」
「もっと真剣に考えてよ。少なくとも暖野の方が、私より本を読んでるんだから」
「だからって、夏目漱石とか横溝正史なんて、できないでしょ?」
「暖野、そんなのばっかり読んでるの?」
「そうじゃないけど。私の読んでるのなんて、到底劇には向かないと思うわ」
「そうかな……」
「最終的には創作になるんじゃないかしら。登場人物とかの関係もあるしね。学園ものあたりに落ち着くと思うわ。――ただね、これだけは憶えておいてよ。創作劇は大失敗する可能性が大きいってこと」
「意外と難しいのね」
「そう。それを選んじゃったのよ」
 団地に入ると、乗客は次々と降りていった。
「無責任。薄情者。宏美なんかもう知らないから」
 宏美が降りるためにボタンを押すと、暖野は立て続けに非難の言葉を浴びせかけた。
「もう一周しろって言うの? 何と言われようと私は降りるわよ」
 暖野は何とか説き伏せようとしたが、無情にも宏美は降車口に消えていった。
 もっとも暖野とて本気で怒っているわけではない。ただ、この先ひとりで話し相手もないままなのが寂しいだけなのだ。だが本当にひとりきりになってしまうとは、この時点では思ってもみなかった。
作品名:私に還る日 作家名:泉絵師 遙夏