私に還る日
3 バス
その日も朝から上天気だった。
学園祭を1ヶ月後に控え、校内は熱気と慌ただしさが高まりつつあった。
そんな中、暖野はひとり沈んだ気持ちでいた。
結局、ルクソールではたいしたことは判らなかった。マスターの話では、我が身に起こっていることを理解する助けにもならなかった。
いま、教室では学園祭での出し物について話し合われている。劇か合唱か、あるいは模擬店かで意見が大きく三分されていた。挙手による多数決で決めることになり、クラス委員が上記3つの項目を読み上げたが、暖野はそのどれにも手を挙げなかった。
「高梨さん」
クラス委員で議長でもある松丘千鶴が、それを見とがめて言った。
しかし、暖野は自分が呼ばれたことに全く気づかない。
「高梨さん!」
「は、はい!」
暖野は慌てて立ち上がった。
べつに立つ必要などなかったのだと気づくと、恥ずかしさで赤くなって俯いた。
教室のあちこちで笑いが起こる。
「高梨さんは、何か他の考えでもあるの?」
松丘千鶴が訊く。
「考え――ですか?」
暖野は今の状況を把握しようと努めた。なにしろこのHRの最初から、ろくに話を聞いていないのだ。もっともそれは、今朝からずっとのことで、今に始まったことではなかったのだが。彼女がこうして名指しされたのも、朝から4度目だったのである。
黒板を見る。
○劇
○合唱
○模擬店
嫌でも目立つ大きな文字が目に飛び込んでくる。それで、今は学園祭で何をするかが話し合われているのだということが判った。3つの項目の下には正の字で数を示してある。どうやら多数決をとっているらしい。だとすると、自分はこれ以外に何かやりたいことがあるのかと訊かれていることになる。
暖野はこれだけのことを、たっぷり1分以上かけて理解した。
「ごめんなさい。聞いてませんでした」
暖野は素直に謝った。
「しっかりしてよ。これから猫の手も借りたいくらいに忙しくなるんだから」
松丘千鶴はひとつため息をついて続けた。「で、高梨さんは、どれがいいわけ?」
「私?」
暖野はしばらく考えた。
「暖野。――暖野」
後から誰かがつつく。その声は、宏美のものだった。「劇よ。劇って言って」
暖野はかすかに頷いた。
「私は、劇がいいと思いますけど」
何人かが拍手をした。男子の中からは聞こえよがしの非難の声が上がる。
「じゃあ、劇に決まりね」
松丘千鶴が言った。劇と模擬店が同票だったのだ。つまり、この場では暖野が勝敗を決したこととなり、いささか責任めいたものを感じずにはいられなかった。