箱篋幽明
豆乳バニラアイス味
大学の旧校舎と新校舎を繋ぐ通路のすみには、机が三つほど並べられてちょっとした憩いのスペースができていた。めったに日の当たらない(物理的にも比喩的にも)憩いスペースだが、たまにイヤフォンをつけて本を読んでいる女子学生や、同じ階に研究室がある教授と話し込んでいる学生たちの姿が見られた。
私も、このスペースを愛用している一人である。人通りの少ないこの寂れた場所で、よくジュースを飲みながら窓の下を眺めていた。この隅に置いてある自動販売機のパックジュースである。目的の一つはこれであった。校内で唯一、ここの自販には「豆乳バニラアイス味」が売っているのだ。ただでさえ砂糖の固まりのように甘いバニラアイスの味に模したこの飲み物は、豆乳独特のまろやかさも相まって、殺人的に甘ったるい、溶けた生クリームを飲んでいるようなシロモノだ。甘党という綽名を冠する私は、これが大好物だったのである。
ガコン。その日も私は豆乳バニラアイスを買って、定位置についた。窓に一番近い机だ。ここの窓からは校舎の入り口が見える。夕方、友達と笑いながら帰る者たち、手を繋いだカップル、ケータイをいじりながら歩く奴、急いでいる非常勤講師……それらを上からぼーっと眺める(そして豆乳バニラアイスを飲む)のが好きだった。なんの意味も持たない時間を過ごすことの出来る幸せというのを私は知っていたのである。隣の空いている椅子に日中辞書で重い鞄を置いて、私は豆乳バニラアイスにストローを刺した。さて、ひとくち飲んでふと顔を上げると向こうの机にも、一人で座っている女子学生。気が付かなかった、他の人が居るのに居合わせたことあんまりないのにな。今どき珍しいほど真っ直ぐの黒髪で、おとなしい印象の女性だ。
しばらくそうして、持っていた豆乳バニラアイスが軽くなってもう飲み終わるという時に、後ろから肩を叩かれた。振り向くと、そこにいたのはフラミンゴだった。彼女は私がこの場所にいると踏んで授業が終わったあとに、会いに来たのだった。
「あんたまたそれ飲んでんの」
「好きなんだもん」
「ひとくちくれ」
「まあいいよ。もうないけど」
私の手から豆乳バニラアイスを引ったくり、フラミンゴはストローに口を付けた。ずずっ、と終わり掛けの音がして、豆乳バニラアイスはフラミンゴに飲まれてしまったのである。
「ごめん、全部飲んじゃった」
「このやろう……あれ」
「どしたの?」
「つい、さっきまで人いたのに」
黒髪の女性は居なくなっていた。もちろん、私とフラミンゴが話しているうちに帰ったとも考えられる。だけど、女性の居た席は一番奥で、この憩いスペースから出るには私たちのすぐ隣を通らなければならないし、その狭い通路はフラミンゴが塞いでしまっているので気付くだろう。それに、フラミンゴが来たときには、女性はまだ座っていたのを私は見た。
「あれじゃない、豆乳バニラアイスの妖精」
「は?」
「あんたがそればっか飲んでるからさ、ありがとうって。飲んでる間だけ見えるの」
「そんな馬鹿な」